●たらこ唇の天使(2021年1月26日 22:37)
獅子風蓮さま、signifieさま:
貴重な発言の場と御縁とを賜り、誠にありがとうございます。
獅子風蓮さま、私の申し上げたことが何かの呼び水となり、あなた様と奄美との御縁が
復活することを念じてやみません。奄美のカトリックについては、迫害されたことばかりが
強調されますし、事実その通りなのですが、カトリックの側にも迫害を招くような下地があったのではないかと最近は思うに至っております。
1930年代までの奄美では、一部の限られた知識層(ノロを世襲する家系をも含む)への布教が成功していただけの土地で、伝統的な宗教や国家神道を批判していたら、その代償は殉教者こそ出さなかったものの、十字架撤去事件(ちょうどいま、習近平政権下の中国でやってるような…)や、聖職者・信者さんの連行などが起きても不思議ではありますまい。はい、迫害は事実ですが、その呼び水となったであろうカトリック側の「悪業」は、今のところはっきりしておりません。ただ、私のこれまでの調査からして、カトリック側がはじめに何かしでかしたからこそ、官憲や伝統的勢力からの迫害を受けたのではないか?と。
実は、老母の古くからの知人にそれはそれは熱心な共産党員の御夫婦がおります。幸か不幸かこのお二方は、学歴自体はさほど高くはないが、上層部からの覚えはいつもめでたいようで、財務ならぬカンパ(献金)に苦しめられたこともなく、それどころか、労働組合幹部として、それなりに充実した現役時代を送り、夫君は海外の友党との交流のため、定年後は数年間、海外で楽しくお過ごしになったりと、御夫婦そろって共産党の明るい面をのみ見つつ、少しずつ墓場へ近づきつつあります。
獅子風蓮さまも、その天性の才能ゆえに、創価であれ、正宗であれ、上層部は心の中ではどう思っても、それなりにあなた様をこれまで礼遇なさった(冷遇ではありませんよ!)のではありませんか?そりゃあ、あの石原さとみさんのお母様(教団の外郭企業職員)が2億円金庫・バッグ投棄事件(1989)の真相を知るがゆえに、親子ともども学会本部から優遇されているのには到底及ばぬかもしれませんが……。
とにかく、学会と正宗の信徒の大多数は、教団幹部からすれば「信者と書いて『儲』けと読む」対象以外の何物でもないんだ、ということを特権的地位にあるあなた様には、もう少し御認識頂ければ幸いでございます。
またしても「幸福製造機クン」なんて言ってしまい、お許しくださいませ。どうか学士会や、地域医師会の中で人文方面に造詣深い同業の皆様へ
「忌憚なく言ってくれ。謗法払いによる被害は実のところどうだったの?」
と尋ねてみてください。私がなんらオーバーなことを言っているわけではないことを御信用頂けることと存じます。
1962年に出た高瀬広居氏の『第三文明の宗教』は、創価学会礼讃本の先駆けでありますが、そこにも、まだ小さかった男の子が、お父上のたった一つの形見だった大黒さん木像を「謗法払い」で灰にされ、泣きわめく姿が描かれています。むろん、そんなものは文化財でもなんでもありますまいが、創価と正宗が社会に向かって素直に謝罪すべき悪業であることに変わりはありますまい。
木造の仏像や、位牌は、わが国では家系図を兼ねており、相当な史料価値を帯びていた、ということを、日蓮正宗の現存信徒の中では最高の知性を誇るあなた様にだけはお含み置き頂ければ光栄至極でございます。
●希望(2021年1月26日 23:55)
「白バラ通信パンドラの箱」の希望です。
皆様方のご意見交換に関して、心より敬意を表します。特に、獅子風蓮様には、私のブログの文章を引用して頂き、心より厚く感謝申し上げます。
現在、研究室の片付け作業に専念しております。まだまだ、かなりの時間を要しそうです。残念ながら、皆様方のご意見交換に加わる余裕はございません。
東村山市の件、佐藤優氏の件、どちらに関しても、まだ明らかにしていないことがあります。
前者については、創価学会池田カルト一派からは、この記載に関する名誉毀損の訴訟はなされておりません。不可解なことです。
後者に関しては、私は、佐藤優氏のセミナーを受けたことがあります。その内容等は、創価学会池田カルト一派に「押収」された私の日記「髙倉親子奮闘記」の中に記載しています。
残念ながら、佐藤優氏は「偽札」です。その理由を、桜が咲く頃には、私のブログ「白バラ通信パンドラの箱」に掲載させて頂きます。
●ハルキ 2021年1月27日 00:27
獅子風蓮さま、はじめまして。私は名乗るほどの者ではありませんが、創価の組織形態(主に上意下達の人間関係)に嫌気がさし退転した者です。
一連の獅子風連さまのコメントを拝見し、率直に言って「えらく博識な人だなあ」というのが忌憚なき感想です。
構造主義に関して、創価を例にとって私訳すると
会員と会員とのあいだに成り立つ関係そのものを構造とし、 その構造そのものを実体視するのが構造主義
(会員を動かすのは「構造だ!」とするのが構造主義)
これに対しポスト構造主義とは
その構造さえも人間関係から出来ているので、会員を動かすのは人間関係(の差異)だ、とするのがポスト構造主義
ゲシュタルトのイメージとして近いのは構造主義の方ですかね?
(現代思想は興味こそある分野ですが、私のキャパでとらえたイメージを言語化するのはこれが限界です)
さて、獅子風蓮さまが先述されていた「創価の良心」についてですが、これを構造主義とポスト構造主義両方の観点に照らし合わせ、これから先の将来
自分みたいなアンチはどう創価の良心にアプローチしていくのが正解なのか判断に迷うところです。
というのも、本日公にされたSGI提言、これが意識高い系の退転者や外部の人達が読んだ時に
胸が躍り、ほとんど非の打ち所がない内容になっていると思われます。(こうゆうのって一体誰が代筆してるんでしょう?難しいことがかなり簡潔明瞭に書かれていました)
本日のSGI提言を読んで、自分が悩んでいたことや迷っていたことの一部道標になる内容が書かれており、少し気が大きくなってヘネシーを開けて飲んでいるので少し酔っていますが
獅子風蓮さまにお伺いしたいことは、「創価の良心への正しいと思われるアプローチの方法」です。
一部理解や協調路線なのか、それとも一切の温情なく突っぱねるのが正解なのか。
しかし今日の提言はどんな人が読んでも解りやすく、納得のいく内容でした。
あと問題は執行部がどれぐらい本気なのか?って本気度ですね。志賀青年部長とか既に妙案が浮かんでいるのだろうか?(こっちは去年の暮れから悩んでも悩んでも自分で納得のいくアイディアが浮かんでこない)
管理人様、先日は大変に失礼致しました。自分で冷静さがどうと高説垂れておきながら明らかに感情で先走ったコメントをしてしまいました。
これからもこちらの庭で遊ばせていただけたら幸いです。多謝
【解説】
実は、構造主義に関するハルキのコメントは、まったく理解不能でした。
ハルキがきちんと構造主義を理解しているかどうか、疑いが残ります。