★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

言論と腕押し

2022-08-26 23:15:39 | 文学


「さらばうでおし」と、両人まけず、おとらず、三時あまりも、もみあへば、短斎も中に立ち、両方へ力を付けて、かけ声雲中に、ひびきわたつて、三人ながら姿をうしなひて、この勝負しつた人もなし

「雲中の腕押し」は不思議な話だが、好きな話である。戦とは殺し合いであるが、もと戦人とはおもえぬ仙人?たち。腕相撲をしながら箱根山中から雲の中に消えてゆく。

ツイッターなどの戦場がダメなのは、つい殺し合いを「ブロック」とか言うから罪悪感がでちゃっていらいらするのであった。「絶交」とか「今生の別れ」とか「おいそこの汚え手を引っ込めろ」とか言えばいいのだ。殺し合いをなんらかの形でなんとかする技術は、日本で長年工夫されてきたのだ。それをシステム上喧嘩しないようにコントロールできると思っているなど、明らかに頭が悪いのではなかろうか。

私は腕相撲などはメッタにやったことがないが、終戦直後、羽織袴で私のところへやってきた右翼の青年の集りの使者の高橋という青年(今、私の家にいる)、これも柔道二段らしいが、これをヒネッて、その時以来、腕相撲では気をよくしていたせいだ。
 この高橋は、私のところへ講演をたのみに来たのである。右翼青年の集りが拙者に講演をたのむとは憎い奴め、ウシロを見せるわけにはいかないから、当日でかけて行くと、二十人ぐらいの坊主頭の若者どもが小癪な目をして私をかこんで坐る。この小僧めらが、と思ったから、天皇制反対論を一時間ばかり熱演してやった。歴史的事実に拠ってウンチクを傾けたのであるが、ウンチクが不足であるから、ちょッと傾けると、たちまちカラになる。こんな筈ではなかったが、と、あっちのヒキダシ、こっちのヒキダシ、頭の中をかきまわして、おまけに話しベタとくる。闘志は満々たるものだが、演説の方は甚だチンプンカンプンであったらしい。


――坂口安吾「熱海復興」


安吾は徹底的に地上にこだわる人なので、ちょっとでも地上から浮き上がろうとする右翼青年に腕相撲で挑んだ。しかし、そのまえにちゃんと演説をやっている。そういえば、「雲中の腕押し」でもかなり仙人たちの昔話が多かったようだ。いまは、いきなり言論で戦おうとする怖い人ばかりだ。


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