★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

雄略天皇も木に登る

2020-09-27 23:48:04 | 文学
又、一時、天皇、葛城の山の上に登り幸でましき。爾に、大猪出でけり。即ち天皇、鳴鏑以て其の猪を射たまへる時に、其の猪怒りて、宇多岐依り来。故、天皇、其の宇多岐を畏みて、榛の上に登り坐まして、歌曰みしたまひけらく、
 やすみしし 我が大君の 遊ばしし 猪の 病み猪の うたき畏み 我が逃げ登りし ありをの 榛の木の枝


この歌を文字通り解せば、自分で自分を歌ってしまったことになるが、それはそれで面白いのではないかと思うのだ。

わたくしもそこそこ育ちがよいのでわかるのであるが、――苦難に陥った時になんだか自分を眺めている自分が発生し、却って笑えてくることがある。いや、考えてみると、育ちは別に関係ないようだ。報道でも、よく犯人が案外なめた態度をとっているのを「ヒドイ」とかなんとか言っているけれども、人間の感情というものをいい加減認識した方がよいのである。



我が家の庭は、酷暑から開放され、気がついたら沼ガエルの天国になっている。まだわたくしは見ていないが、細君によるとキノコまで生えていたそうである。天皇も猪に追われて木の上に逃げる。キノコも生える。カエルも私の足から逃げる。

 京内が里の茶店でお菓子を買つて貰つて、佐次兵衛に伴れられて山小屋へ帰つて来たのは、其の翌日でありました。
「さ、もう駄々をこねるんぢやアないよ、お前のお蔭で昨日今日は二人とも遊んで了つた。」と云ひながら、佐次兵衛は京内をつれて谷川へ水を汲みに行つて見ると、これはまあ何といふ事です。大きな猪と大きな熊が、二疋共引掻かれて、噛切られて、大怪我をして死んで居るぢやありませんか。しかも二疋とも大きな石を腹の下に抑へて、頭を並べて死んで居るのです。能く能く見ると、石の下から小い黒い獣の足が二寸ばかり外へ出てゐました。
 佐次兵衛が猪と熊とを引除けて石を引起した時、京内は可愛い可愛い熊の子が、赤い舌を出して死んでゐるのを見まして、ポロポロ涙を流しました。
「なア、畜生でも……これは屹度この小い熊の子の為に親同志が喧嘩をして死んだのだらう……」と云つてゐる時、藪の蔭からコソコソと小い猪の子が出て来て、直ぐ逃げてしまひました。
 佐次兵衛は、此の三疋の獣の為めに叮嚀にお葬式をしてやりました。
 それから京内は大変孝行な子供になつて、一生懸命にお父さんと一緒に働いて名高い炭焼になりました。今に木炭は紀州の名高い産物の一つであります。


――沖野岩三郎「熊と猪」


我々は動物たちをついこういう修羅場におきかえて見がちであるが、古事記にはもっとふつうに「逃げる」我々が描かれている。そうではなく、沖野のような話では、名を上げたり出世したりする結末が待っている。

最近は、こういう修羅場的なものに疲れたのか、物事との弱い繋がりをもってヨシとする人々が多く出てきた。血なまぐさい愛よりも、アイドルを「推す」行為の方を普遍的とみたりするわけである。それは結構であるが、わたしはそういう人間がどのようなことを実際やっているかだけに注目している。