★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

夢の小蛇

2020-09-02 23:46:16 | 文学


「汝まことに我を愛しと恩ほさば、吾と汝と天の下治さむとす」といひて、すなはち八塩折の紐小刀を作りて、その妹に授けて日く、「この小刀もちて、天皇の寝したまふを刺し殺せまつれ」といふ。かれ天皇、謀をその知らしめさずて、その后の御膝を枕きて、御寝したまひき。ここにこの后、紐小刀もちて、天皇の御頸炎刺しまつらむとして、三度挙りたまひて、哀しとおもふ情にえ忍へずして、頸をえ刺しまつらずて、泣く涙、御面に落ち溢れき。天皇驚き起ちたまひて、その后に間ひてのりたまはく、「吾は異しき夢を見つ沙本の方より、暴雨の零りて、急に吾が面を沾しつ。また錦色の小蛇、我が頸に纏繞はりつ。かかる夢は、こは何の表にあらむ」とのりたまひき。

蛇神のエピソードと言い、天皇の権力の不安を煽り立てるようだが、ここでは皇后(サオビメ)の兄が「自分と天皇とどちらが好きなのだ?」と迫り、「あなたです」と言った妹に天皇暗殺を頼む。サオビメは三度小刀を振り上げたが、どうしてもできず、泣いてしまった。天皇は起きて「奈良の方からにわか雨がやてきて顔をぬらし、錦色の小蛇が首に纏わり付いたのだ。なんの前兆だ?」と聞くのであった。こんな象徴的な夢でなく、はやく神々はおしえてやりゃいいに。この話は、のっけから、明らかに宮廷トラブルから妄想されたか、事実を元にしたかしらないが、我々の心がつくりだしたお話だ。

思うに、古事記の編集者は、最初の方の神さんたちの政治的な何かを合理化してゆくことにも気を配ったであろうが、こういう昔話をきちんと心を以て語れるかという課題の重圧があったと思うのだ。

古事記が政権のプロパガンダであるという見方は、案外近代的かも知れない。

 まだ私は古い家を捨てて疎開しようとも考へてゐない時分、晴れた九月の朝だつた、茶の間と居間との前の芝生に一ぴきの蛇がだらんとのびて寝てゐた。中へびであつた。死んでゐるらしいと、東北の農村そだちの女中は棒をもつて来てそれを引つかけようとした時だつた、蛇はいきなり頭を上げて六尺ばかり跳び上がり、すつと身をうねらしてきらきら光つて芝の上を走りはじめた。すばらしい早さで私たちの眼の前を滑り忽ちのうちに陰の方にかくれて行つた。生きてゐたのね! どうしてこんな明るい芝の上に寝てゐたのかと、私たちは話し合つた。いつぞやの小蛇が育つたのでせうと女中は言つた。さうすると、あれは家のヌシなのねと、私は奇妙な気もちになつた。家に何か変つた事が起るときヌシが現はれるといふ言ひつたへを信じるともなく私は信じてゐたらしく、そんな話を電話で息子の家に話した、新井宿の家に何か変つたことがあるのかもしれないと私は言つたけれど、若い人たちは、そんな事ないでせうと年寄の心を安心させようとした。
 昭和十九年の初夏、蛇の事なんぞもうすつかり忘れてしまふほど忙しく、私は井の頭線の浜田山に疎開して来たが、そのあと私たちが長く住みふるした家は強制疎開でこわされて今は畑となつてゐる。いまになつて考へると、正しくあのヌシが私の家の消長の姿を教へに来たのであつたらう。勁いながい姿がすうつと庭をはしつたその朝のことが、めざましくはつきり思ひ出される。ヌシは、畑となつたあの広い空地のどこかに今もゐるのだらうか? ふしぎに私はその蛇に少しの気味わるさも感じない。むしろ恋しいくらゐにそのほそい銀の形をおもひ浮べる。


――片山廣子「大へび小へび」


へびが家のヌシと考えられていた感じをわたくしはまだ覚えている。迷信は消えたが、その代わりに我々は何を得たのか?嫉妬と自己愛がより強くなってしまったではないか。小蛇には意味があった。予兆としてあらわれ――その不気味さの崇高さで、我々が怒りの塊になることを防いでいたような気がしないでもない。