またその后に問ひたまはく、「汝の堅めし瑞の小佩は、誰かも解かむ」とのりたまひしかば、答へて白さく、「旦波の比古多多須美智能宇斯の王が女、名は兄比賣弟比賣、この二柱の女王、淨き公民にませば、使ひたまふべし」とまをしたまひき。然ありて遂にその沙本比古の王を殺りたまへるに、その同母妹も從ひたまひき。
8月の疲れがどっとでて一日眠い日が続いているが、外は台風が近づいていた。時々暗くなって嵐となる。ですぐ晴れる。
上の場面での天皇もその后も、様々な天候の中で、決断をしていったに違いない。とはいえ、兄をとって子どもを天皇に渡したところで物語はとまり、それ以上の展開をさせないためにも、兄と后が死んでしまう結末には、我々の文化の体力のなさを感じざる得ない。
そういえば、『三国志』に、姦賊トウタクを暗殺するために、所謂連関の計が、王允によってはかられるが、そこでリョフとトウタクを仲違いさせるために、貂蝉という絶世の美女がでてくる。リョフとトウタクは、彼女に惚れて身を滅ぼしてしまうのだ。リョフが死ぬ下邳の闘い以降、彼女は物語から姿を消す。ドラマの『三国志』では、曹操の前でさんざんリョフを褒め称えたあと曹操の部下によって殺されていたが、そこには物語上、曹操の犯した罪の提示という意味があったのだ。しかし、吉川英治とかそれにもとづく横山光輝では、彼女は連関の計が終了した時点で自害することになっていて、あっけなかった。
わたしは、このあっけなさと上のお話に共通するものを感じるのである。
われわれは生のしつこさに負けがちなのである。
彼らは『徒然草』の兼好法師に説かれないでも、僕位の年齢に達するまでには、出家悟道の大事を知って修業し、いつのまにか悟りを啓いて、あきらめの好い人間に変ってしまう。トルストイやゲーテのように、中年期を過ぎてまでも、プラトニックな恋愛を憧憬したり、モノマニアの理想に妄執したりするような人間は、すくなくとも僕らの周囲にはあまりいない。して見れば僕のような人間、初老の年を既に過ぎて、馬鹿げた妄想や情熱から、未練に執着を脱しきれないような男は、日本人としては少しケタ外れで、修業の足りない低能児であるかも知れない。とにかく老年を楽しむために、まだまだ僕は修業が不足で、充分の心境に達していないことを自覚している。
――萩原朔太郎「老年と人生」
最後の「修行が不足」とか読者に媚びているところが気にくわないが、確かに、気分は分かる。戦時中に書かれた、羽生操の『椰子・光・珊瑚礁』というのは、戦時下の南方ルポの類いである。羽生はいろいろなところを旅した人で、案外戦時中は、こういうタイプが活躍している。スパイだった、ウイラード・プライスとかもそうであろう。羽生は、華僑にくらべて、日本人は若い頃は勤勉だがすこし偉くなると勤勉さを失い、うまくいかないと放り出す傾向にあるとか書いてある。それに大勢になるとかならず兄弟牆に鬩ぐ醜態をさらすと。
本当は、我々の社会は、老いた人間のたびたび犯す過ちを大目に見ている、という側面もある。出家悟道どころじゃない。むかしの恨みを晴らす機会を窺い、すぐに人生も終えられない。――そういうものが現実である。