宝島のチュー太郎

酒屋なのだが、迷バーテンダーでもある、
燗酒大好きオヤジの妄想的随想録

【例えばこんな】全体像その2

2023年09月14日 10時21分37秒 | つくりバナシ

例えばこんな【8】


 楽しい時間は、あっという間に過ぎる。
そして、どんどん終電の時刻が迫ってくる。
僕は少なからず焦っていた。
このまま別れたら、もう次はないんじゃないか?
ケイは、変な男のペースに巻き込まれておかしなことになったなんて、後悔するんじゃないか?
そもそも、夏の夜の夢のような出来事なんだから、幻のようなもの?
事実、当の本人である僕自身が、まだ夢の中を彷徨ってる気分なんだから。
でも、いずれは帰らなきゃならないし、ずっとこのまま一緒にいる訳にはいかない。
う~ん、どうすりゃいいんだ。
ええい、ままよ。
 サムタイムを出て、吉祥寺駅に向かう途中で、僕はこう切り出した。
「送るよ」
「でも、遠回りになるから」
「いいんだ、だって、元々遠回りの続きなんだから」
「ホントだ。私、送ってもらう途中だったんだ」
ケイはそう言うと、如何にも楽しそうに笑った。
 中央線で新宿まで出て、山手線に乗り換えて一つ目、新大久保駅で降りる。
この区間は日本一距離が短いらしい。
「ありがとう。お陰でとても楽しかった。もう、すぐだから、今日はここで・・・」
ケイの言葉を遮るように僕は言った。
「ケイの部屋が見たい」
「え?」
「このまま別れたくない」
「でも、部屋、散らかってるし・・・」
「いいよ、一緒に片づけてやるよ」
「それは恥ずかしい」
「じゃあ、外で待ってる」
「・・・」
「・・・」
 深夜の新大久保の駅前で、僕たちの延長戦開始だ。
「わかった。じゃあ、そこの喫茶店で待ってて。大急ぎで片づけてくるから」
と、意を決したように告げるケイ。
「うん、慌てなくていいからな、ゆっくり待ってるから」
と、一安心の僕。
僕たちはその喫茶店の前で、一旦別れる。
 終夜営業のその喫茶店は、まるでそれのみがウリだとでもいわんばかりで、オーダーを取りにきたウェイターにも覇気がない。
まあ、いいや、どうせ僕だって、珈琲を飲みたくて来た訳じゃない。
通りがよく見渡せる窓際の席に座った僕は、取り敢えず新聞なんぞを読むフリをしてみるが、全然記事が頭に入ってこない。
そうなんだ、僕の頭の中は、もうケイのことでいっぱいで、他のことは入り込む余地がないくらいなんだ。
 このままケイが来なかったらどうしよう。
アパートがどこにあるか知らないんだから、僕はそこから先へは一歩も進めない。
考えてみれば、ケイは、律儀に迎えにくる必要はない。
このままうっちゃっとけば、僕はトボトボ帰るだろう。
それで、後腐れ無く縁切りが出来る。
僕はこんなにネガティブな男だったんだろうか?
自分で自分が嫌になるくらい、マイナスイメージを思い浮かべてしまう。
恋は人をネガティブにする。
いや、恋は人の本質をレリーフする。
 30分が過ぎた。
もう終電も終わっただろう。
ま、いいや、来なけりゃ来ないで、始発の時刻までここで雑誌でも読んで帰ろう。
ここまででも充分だ。
楽しかったし、滅多に出来ないような経験をさせてもらった。
感謝しこそすれ、恨むなんてことは絶対にやめよう。
『おお、ポジティブ、やるじゃん、それでこそオレ』
なんて、殊勝なことを考えつつ、腹の中では、まだ来ない、なんで?なんて、ヤキモキしている。
小さな男だ、僕は。
切ない恋は人を小心者にさせる。
・・・1時間が経った。
 終電も終わり、通行人もまばらになった通りをずっと眺めていた。
諦めたり、励ましたり、心の中で葛藤しながら。
相も変わらず、ボーっと眺め続けていた。
 そこへ、ケイがふいに現れた!!
正しく、僕の網膜にフレームインしたんだ。
白いポロシャツに、赤いタータンチェックのタイトなパンツ。
着替えたんだ、とてもよく似合ってる。
ケイはガラス窓越しに、少し店内を探して、すぐに僕を見つけると、ニッコリ微笑んで手を振った。
なんて可愛いんだ。
僕は、これまでこれほど可愛い仕草の女性を見たことがない。
ケイの周りが、キラキラ輝いて見えた。
このときの瞬間の光景を、僕は恐らく死ぬまで忘れないだろう。
まるで一葉の写真のごとく。
この先、老いさらばえて、恋なんて遠い昔のことになっても、今宵のこのシーンだけは決して忘れない。
ハッキリ、そう意識した。
 僕は、急いで珈琲の代金を払って店を出る。
現金なもので、さっきのウェイターがいい奴に見えた。
「ごめんね、待たせちゃって」
「いいんだ、新聞を読んでたから」
 ケイ、ゴメン。
もう絶対に君を疑わないから。
 ケイの住んでるアパートは、そこから数百メートル行ったところを右に折れて、百メートルくらい入った左手にあった。
そのまま、その道をまっすぐ20分ほど歩くと、ウィザードだと言う。
なるほど、随分遠回りして帰って来た訳だ。
 そのアパートは、出入り口が一つで、部屋が複数あって、便所が共同になっている。
ケイの部屋は、階段を上がった、二階の取っつきにある。
引き戸になっていて、入るとすぐに狭い台所がある。
その奥が四畳半の部屋で、正面が窓になっている。
お世辞にも綺麗なアパートとは言えないが、部屋の中は、女性らしく快適に整理されている。
結局、僕たちはこの日から、ここと、僕の部屋を頻繁に行き来する関係になる。
 この夜は、お互いにかなり疲れていた。
だって、出会ってからようやく24時間が経とうとしているが、その間、二人とも一睡もしてないのだから。
ケイが、僕を自分の部屋に入れてくれたことで、僕たちはもう完全に意志の疎通が出来ていた。
いや、ケイはとっくにそのつもりだったのに、僕だけがそれを疑ったのかも知れない。
 なにはともあれ、僕たちは、その夜、ひとつの布団で一緒に眠った。
確かに僕の隣に、ケイが息づいている。
その実感が何よりの充足感を僕に与えてくれた。
こんなにも好きな女性が今、隣で、寄り添うように眠っている。
これからはずっと一緒だ。
そんな暗黙の了解のようなものをお互いが感じていたんだと思う。
 事実、それからというもの、僕たちは、笑えるくらいお互いを求め合った。
なんでこんなに好きになったんだろうって、不思議に思えるくらい。
愛されている自信も出来た。
愛している確信もある。
僕たちの生活には、二人が逢わない日があるなんて信じられなかった。
馬鹿みたいに寄り添っていた。
そんな、めくるめく毎日が続いた。
 あの日までは・・・







例えばこんな【9】




1976年5月
 大学2年生の春、学友がセッティングした合ハイの人数合わせに駆り出された。
相手は、国立音楽大学の1年生グループだった。
奥多摩でハイキングをして、夜は、新宿の【acb】で飲んだ。

僕は極力大人しくしていたのに、たまたま送って帰る電車の中で隣り合わせた女性と話が合った。
それは、腰の辺りまで伸びた綺麗なストレートの黒髪を真ん中で分けたヘアスタイルが素敵な子だった。
僕がこれまでつきあったことのないタイプ。

山梨県出身の秋田理恵子という名で、リコという愛称で呼ばれているのだと教えられた。
それまで過ごした半日の間、一度も会話を交わさなかった遅れを取り戻すかのように僕たちはどんどん喋った。
が、やはり時間が足りない。
だから、次の機会に話の続きをしようと、ごく自然に電話番号を聞いた。

 リコとは、その後何度か会った。
夕暮れ時の井の頭公園、夜の国立の喫茶店、昼下がりの国立音楽大学にほど近い彼女の部屋。
音大の生徒らしく、部屋にピアノがあって、荒井由実の曲を弾き語りしてくれた。
そのとき、特技を持ってるって、なんて素晴らしいことなんだと思った。
その点、僕はどうなんだろう?なんにもないんじゃないか?
そんな思いにも駆られた。

 でも、ときめきは続かなかった。
リコの部屋には電話があるが、僕の部屋にはそれがない。
なので、僕の方から電話を掛けなければ、連絡の取りようがない。
それをいいことに、自然消滅もアリじゃないかと思っていたんだ。
考えてみれば、随分と勝手な話だ。

 僕は幡ヶ谷の【みどり荘】というアパートに住んでいた。
そして、その駅前の【稲毛屋】という酒屋でバイトしてた。
そこは、代々明治の和泉校舎に通う学生がバイト生として雇われていて、僕も学生課の告知を見て応募したのだった。
夕方から閉店の20時まで、店番と近くのエリアの配達を任されていて、仕事を上がった後にはいつもそこの店主であるおばあちゃん手作りの夕食をいただいて帰る。
この夕食がありがたかった。

 ある雨上がりの夜、稲毛屋を出て、踏切を越え、その向こうにある甲州街道を越える歩道橋を渡り切り、階段を中ほどまで降りたところだった。
後ろで咳払いをする声がする。
思わず振り返ると、最上段に傘を持ったリコが立っていた。

「どうした、もしかして待ってたの?」
「うん、ちゃんと話がしたくて」

 それから、部屋に着くまでの道のりを、僕たちは無言のまま肩を並べて歩いた。
リコが僕の部屋に来るのはこれで二度目。

一度目は、合ハイに行ったメンバーと、新宿で再度飲んだ帰りに寄って、結局泊まって帰った。
僕のパジャマを着た姿がとても可愛かった。
でも、普通に一緒に寝ただけで、変なことはしなかった。
僕は、純粋だったし、リコは思いっきりウブだった。
しなきゃいいってもんでもないんだろうけど。

「もう随分、電話をくれないから来ちゃった」
「・・・」
「なんで電話をくれないの?」
「ごめん」
「謝られても困る」
「このままいくと、君を傷つけるかも知れない」
「・・・」
「これまで言い出せなくて・・・」
「もう逢えないってこと?」
「その方がいいんじゃないかな」

「いやだ」
「こんな感じの男でもいいのかな」
「いい」
「西村さんがその気になるまで待つから」
「・・・」
「・・・」

結局押し切られてしまった。
結論を出せないまま、つきあいは継続のカタチに。

そしてその後、リコの情熱にほだされる感じで男女の関係になった。
だって、やっぱりセックスは気持ちが良いんだもの。
マシュマロの様に白くて柔らかいリコの肌はむっちりとして吸い付く様だ。
その上で、リコはどんどん上手になっていった。
僕はそんなセックスに溺れていたと言ってもいいかも知れない。
都合の良いときだけ呼び出してセックスする。
僕は、いつしかリコを【都合のいい女】として処していた。





例えばこんな【10】

 ケイに対する思いが深まれば深まるほど、言いようのない罪悪感が僕の心を支配し始めた。
勿論、それはリコに対しても同じことだった。
ただ、決定的に違うのは、今、僕の隣にいるのはケイで、その上心底好きになってしまっていた。
本当に身勝手な男だと思う。
でも、それが本音なんだから、どうしようもない。

 ならば、思いに忠実に動く外はない。
『正直に打ち明けよう』
そう決心した。

 その頃の僕たちは、お互いにバイトを辞めたばかり(同じところを同じ日に)で、夜ともなれば、どちらかの部屋に泊まって過ごしていた。
出会ってから半月足らず、季節はいよいよ夏本番を迎えるところ。

 お互いに、目の前の日々を過ごすことに精一杯で、その先の約束など何も交わしてはいない。
ただ、暗黙の了解のようなところはあった。
だからこそ、それを殊更に言葉にするのは、はばかるところがあったんだ。
ならば、それこそキチンとするのが筋だ。
それに胡座をかくのは、卑怯な男のすることだ。

 窓から涼しい風が入る、7月半ばのとある夕暮れだった。
一緒に大和湯に行って、出る時刻を決めて合流し、その足で近くの酒屋の自販機で缶ビールを2本買う。
お互いに1本ずつ持ち、ケイがそれを頭に乗せて歩き出す。
僕のBVDの丸首Tシャツに、ジーンズ姿のケイ。
要は、男物の肌着にジーンズというごくラフな格好なんだけど、ケイにはそれがとてもよく似合う。
勿論、僕も同じ出で立ち。
その仕草が可愛くて、僕もそれを真似る。

ケイと居ると、こんなごく小さなことが楽しい。
そして、いつも僕を新鮮な気持ちにさせてくれる。
決して裕福とは言えない僕たちのその頃の食卓には、よく素麺が乗った。
この日も、素麺とビールという、やや素っ気ないメニュー。
但し、スクランブルエッグ、そしてハムとキューリの千切りという薬味のお陰で、存外ビールは美味いんだ。

 黒柳徹子と久米宏の「ザ・ベストテン」を眺めながら、僕はそっと切り出した。

「あのさ」
「ん、なに?」
「ん~と」
「なに、どうしたの?」
「実は、言っておかなきゃならないことがあるんだ」
「・・・」

「ずっと言おうと思いながら言えなかったんだけど」
「・・・」
「つきあっている彼女がいる」
「え?」

「だから、彼女がいる。でも、俺はケイが好きだ」
「・・・」
「自分でもメチャクチャなのは判ってる。でも、この気持ちはどうしようもないし・・・ だからこそ、正直に話すべきだと思ったんだ」
「・・・」
「彼女にはキチンと説明して謝る。そして、ケイとちゃんと向き合いたいんだ」

「ちょっと待って」
「・・・」
「突然そんなこと言われても」
「・・・」
「ハイそうですかって、言えると思う?」
「・・・」
「そんな簡単なもの?」
「いや、そうじゃない。尊重したいからこそ正直に打ち明けたんだ」
「今頃になって?」
「・・・」

「兎に角、今夜は帰る」
「送るよ」
「いい!一人で帰る」

 そう言い残すと、ケイは僕の部屋から出ていった。
そこには、まだケイの温もりがあるTシャツだけが残った・・・





例えばこんな【11】




 それから僕たちは冷戦状態に入った。
いや、僕の方は大いにケイが必要だったし、実のところヤキモキ、いや、ヒヤヒヤしていた。
このまま永久に逢えなくなることだってあり得る。
じゃあ、何のために告白したんだ、そんなことになるなら、いっそのこと騙し続けた方が良かったじゃないか、いや、それは違うだろ・・・

 そんな葛藤を繰り返しつつも、暫くの冷却期間がケイには必要だろうと判断した。
だから、ぐっと我慢した。
といっても、たったの二日だったけど。

 告白から三日目の夜、身勝手な僕にしては、精一杯の辛抱の挙げ句に、満を持して電話を掛けた。
ドキドキしながら・・・

「もしもし」
「・・・」
「ケイ?」
「・・・」
「まだ怒ってる?」
「・・・」
「何か言ってくれ」
「・・・」
「会いたい」
「・・・」
「これからそっちへ行く」
「・・・」
「ケイ?」
「来なくていい」
「どうして?」
「どうしても」
「行く」
「来なくていい」
「・・・」
「・・・」
「じゃあ、このままか?」
「わからない」
「とにかく行く」
「来なくていい」


こんなやりとりを繰り返して、僕はいてもたってもいられずケイの部屋に向かった。
もしかしたら、ケイはもう部屋には居ないかも知れない。
ホントに会いたくないならそうするだろう。
一種の賭け、いや、「好き、嫌い・・・」といった花占いのようなものだ。

 その占いに従ってみるのもいいかも知れない。
そんな負け惜しみ的なことを考えながら、僕は歩いた。
でも、実際にケイの部屋に灯りが点ってなかったら、僕はどんな心持ちになるんだろう。
それはそれで仕方ない、受け入れる外にしようがないじゃないか。
こういうのを自虐的というのだろうか。

 変に冷静な自分と、強烈にケイを求める自分とのせめぎ合いの中、いよいよケイのアパートが近づいてきた・・・




 アパートの階段を上がりながら、正面のケイの部屋の引き戸を見た。
その隙間から明かりが漏れている。
『居る、ケイは居る』

 ノックする。
応答はない。

「ケイ入るよ」
「・・・」

「もう許してくれないか、ちゃんとするから」
「天野さんとこれから会う」
「え?天野?なんで?」
「電話で何度も誘われてたんだ。実はもうこの前会った」
「どこで?」
「この部屋で」
「なんで?」
「以前、デートの後、この前まで送ってもらったときに部屋の位置も教えたことがあったから」
「で、呼んだのか?」
「いや、二階まで這い上がってきた」
「嘘だろ、なんで?」
「シュンのことを打ち明けたからだよ」
「・・・」


「すると、天野さんが、とんでもない奴だ。俺が守ってやる。これから俺んとこへ行こうって」

「で?」
「そのままついていった」
「なんで?」
「私が何をしようとシュンには関係ないでしょ!」

「で?泊まったのか?」
「泊まった」
「・・・求められたのか?」
「求められた」
「・・・したのか?」
「した」
「・・・」
「シュンに責める権利ある?」
「・・・」

 ケイが壊れた・・・




例えばこんな【12】


 それから、再び二人のオールナイトバトルが始まった。

「もう帰って、出掛けるから」
「ちょっと待て、このまま行かせるわけにはいかない」
「なに勝手なこと言ってるの、自分はどうなの」
「それは、ケイと出会う前のハナシだ。それからはやましいことは何もない」
「フン、どうだかね」
「信じてくれ」
「信じられるわけないでしょ!」
「どうしても行くのか?」
「行く」
「じゃあ、途中までついてゆく」
「なにバカなこと言ってるの」


 そんなやりとりをしながら、僕はケイの後を追う。

「ついてこないで」
「ケイ、落ち着け」
「落ち着いてるわよ」
「いや、ヤケになってる」
「なんで私がヤケなの」
「オレのせいだ」
「しょってるわねえ、シュン、自分がそんなにいい男だと思ってるの」
「・・・」



 それから夜の新大久保界隈を二人で徘徊。
結局【あずさ】というラブホテルに入った。

『抱き合えばなんとかなる』
という男の勘違い発想のなせる業だった。
事実、それなりの朝が来た。

 でも、朝になると元のケイに戻っていた。
結局、僕を振り切ってタクシーに乗って行ってしまった。

「どうしても行くのか」
「行くよ。少し遅れたけど」
「どうして」
「シュンにそれを説明するギムはない」
「もう会えないのか」
「そうだね」
「それでいいのか」
「それは自分の心に訊いて」

そう言い残して・・・







 キツかった。
初めて失恋した。
失恋がこれほどキツいとは。
茫然自失の体で、人の気持ちも知らない明るい朝の青梅街道を、東高円寺に向かってトボトボ歩いて帰った。

 折しも大学最終学年、前期試験の真っ最中。
これを切り抜ければ、8月9月と丸二か月の夏休みに突入する。
でも、当然のことながら、まるで覇気が無い。
平たく言うと、まったくやる気が湧かない。。

 恭子に借りてた因幡晃のLPレコード2枚を繰り返し流す。
【アパートの鍵】が沁みる。
窓辺に腰掛けて、ケイのことばかりを思い出しながら。
ハラハラと涙が零れ落ちる。

『なんでこうなった、何処で間違えた』
『ハナから間違いだったのか』
『もう取り返しようはないのか』

そんな自問自答を繰り返してた昼下がり。


 「おお、西村いたか」
見下ろせば、学友の山谷と小松。
「ドライブ行こうぜ」

訊けば、知人から117クーペを借りたという。
折角だから湘南へ一緒に行こうと。

 全くそんな気分ではなかったが、結果として、この能天気な学友が僕の窮地を救ってくれた。
だって、試験真っ最中にドライブなんて、能天気としか言いようがないだろう。


「西村、どうした、なんか変だぞ」
「失恋した」
「え?そうなのか」
「うん」
「え、あの国立の子か?」
「えっと、それに関連した・・・」
「なんだ、その関連したつうのは」
「まあ、今はちょっと」
「それにしてもいいなあ、失恋できるなんて。それはそれ以前に恋愛があったってことだぞ」

 こいつらの能天気さに呆れると同時に、素直に納得する。

 午後からの湘南だから、そんなに時間はなかった。
ただ帰途、どこかの夏祭りを通りすがりに見た。
そしてその夜、カーラジオから流れた矢沢永吉の【I SAY GOODBY SO GOODBYE】が妙に記憶に残っている・・・


その3







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