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さまざまなことを「流さずに」考えてみよう。"slow-thinking"から"steady-thinking"へ

ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」の再放送を見た

2011-05-20 06:25:16 | 白河アーカイブス

「ネットワーク」と言うからには、100人程度の科学者が一斉に放射能調査に動き出したのかと思っていたが、実際に番組を見てみると、特に「ネットワーク」と言えるほどの多人数で放射能調査をしていたわけではなかった。調査をしたのはほんの3,4人である。その後の分析はもっと多人数で行うようだが。

たった3,4人しかいないにもかかわらず、とにかく何にでも「ネットワーク」という名前をつけたがる習性は、左翼的な人に特徴的である。ETV特集は、例の「戦争女性法廷」も含め、そういう系の人が作った番組が多いだけに、どうしても一定の先入観を持って見ざるを得ない。案の定、こういうネーミングセンスだけで、すでに5割ほど内容に対して落胆した。

3,4人で、放射能計測装置を使い、福島県にばらまかれている放射能(あえて番組での呼び方のままで表記するが)を計測しながら、原発によって生活を破壊された人々の姿を記録した、そういう番組であった。ただ、いくつかの収穫は確かにあったので、それについてレポートする。

 

まず、彼らが自動車を使って放射能を計測した結果は、5/6の、文科省とアメリカエネルギー省による航空機モニタリング結果についての発表と、ほぼ同じ分布であった。リンクを貼る。

 

文部科学省及び米国エネルギー省航空機による航空機モニタリングの測定結果について(pdfファイル)

3ページ目の図も貼る。

<図1>

当ブログでは、放射線医学総合研究所の見解を基に、内部被曝も含めて、「年間100ミリシーベルト(mSv)までなら発がん性が有意には高くならない」と考えている。これを、1日8時間外に出ており、その間外部被曝し、内部被曝はその外部被曝の4倍だと仮定すると、許容範囲となる1時間あたりの放射線量は、

100÷365÷8÷5≒0.00685ミリシーベルト/時=6.85マイクロシーベルト/時

が、許容可能な最大放射線量となる。ただ、この番組で、文科省と厚労省の共同発表として、学校に関しては、すなわち子どもに関しては、3.8マイクロシーベルト/時 未満という基準を出していることを知った。これは純粋に収穫だった。

 

<図2>

 

ということは、上の図1において、黄色~赤のゾーンは、文科省+厚労省の基準においても、子どもに関しては「完全に危険」ということになる。

逆に言えば、福島市などの、図1における「青~緑色ゾーン」は特に問題ないかというと、そうではなかった。この番組では、福島市の渡利地区(わたりちく)、渡利中学校近辺の放射線量が「4~4.25マイクロシーベルト/時」を記録していると報じていた。

<図3>

※ 図3において、赤い丸は、「2マイクロシーベルト/時 以上」の放射線量である。3.8ではないので注意。

 

どうしても山や丘に囲まれている地域は、雲のようにふわふわ浮かんでいる放射能が滞留しやすく、渡利中学校はそういう立地であるため、こういう結果になったものと思われる。

こういう地域を細かく見つけていくことは、行政の責任として文科省・厚労省・経産省が分担して行っていくべきだと私も考えるが、この番組を見る限りは、文科省が定点観測を続けているだけのようである。このデータが正しければ、原発から離れた地域についての放射線量計測が、現状においても甘いという批判は免れない。

ただ、こういうことが見つかった地域については、屋外での活動を1時間以内に制限し、部活や体育も窓を閉め切って屋内で行っているとのこと。放射線量に厳しくなりすぎると、登下校時の被曝さえダメということにもなりかねず、そうなると子どもたちのストレスも溜まるため、放射線量の判断については、正直なところ「年間100ミリシーベルト」というかなり大きめの制限を勝手に設定している私でさえ、非常に悩ましいと感じる。ましてや現場の教育関係者や、子供を持つ親御さんたちの心配や不安や苦悩は推して知るべしである。

 

福島(市か県かは言っていなかった)の保護者たちが、5/2に参議院議員会館へ行き、「20ミリシーベルト/年」の基準をもっと下げてほしいと訴えに行った。

 

 

『「20ミリシーベルト/年」の基準を下げてくれれば、我々は動ける』と訴えていたが、正直なところ、それで何がどう動くのかがわからなかった。国のお墨付きを得て、放射線量がさらに下がるまで、臨時休校期間にするということか。それはそれで、子どもたちにとっては勉強以上に、友人と顔を合わせて交流することができなくなることによるストレスも心配だ。この点については、NHKがもっと丁寧に取材すべきである。

 

 

文科省の「原子力安全監」は、「年間20mSvを最大値として、できるだけそれ以下になるように努力する」というラインを譲らなかった。ただ、さっきも書いたように、譲ったからどうなるのかという部分がいまいちハッキリしないので、ラインを譲らなかったことをもってして「文科省は子どものことを考えていない」とは言えないと私は考える。

次の収穫はここであった。ここに同席していた、「内閣府 原子力安全委員会」の「原子力安全委員」が、「年間20mSvというラインは、原子力安全委員会としては認めません」と言い切った点である。


 

しかし、全く理解できなかったのは、「では原子力安全委員会としては、何mSv/年なら許容範囲と考えるのか」という質問に対して、「わかりません。これから検討します」としか答えなかった点である。

小佐古敏荘(こさこ・としそう)前内閣官房参与(東京大大学院教授)が、4/29に参与の辞任会見をしたときに、

「20mSv/年という基準はとても許すことができない!」

と泣きながら訴えていたことは記憶に新しいが、その小佐古氏も、何mSv/年なら許せるのかを明言したのかについては、どの報道を見ても見当たらない。そして内閣府が管轄している原子力安全委員会も、何mSv/年なら許せるのかについて、未だに基準を出せていない。

 

申しわけないが、これでは、単に小佐古氏や原子力安全委員会が、将来起こるかも知れない福島県民の発がんに対して、今から責任逃れの予防線を張っているようにしか見えない。つまり、将来、もし福島県民、特に子どもに甲状腺がんが頻発したときに、

「他の機関は知りませんが、『原子力安全委員会』は、20mSv/年などいう基準は認めていませんでした=我々に責任はありません」

と言い逃れるための予防線を張っているとしか見えないのだ。

原子力行政に関して、国民の安全をできるだけ守る立場に立つことが要請されている原子力安全委員会がこの体たらくでは、仮にであっても基準を設定している文科省の方がよほど責任ある態度である。実際に、原子力安全委員のこの発言で、この集会はかなり紛糾したシーンをこの番組では映し出していた。

 

 

ただ、↓のたれ幕を見る限り、本当に子どもたちを守りたくてこういう集会を開いたのか、あるいはそういう言葉を使って、政治的メッセージを伝えたかったのか、どうもハッキリしないという印象も持つ。

 

 

というわけで、関心を持った方は、ご自身でこの番組を見てほしい。この再放送の最後に、5/28(土)、午後3時からこれを再々放送するという告知が出た。NHK上層部としても、この番組はできるだけ多くの人に見てほしいという姿勢が固まったということか。

 

 

まだ、福島の学校の校庭に、ある程度高めの放射線量を持つ土は、山として積まれたままだ。その土は東京湾に流してほしい。福島原発の受益者は東京電力管内の人間である。関東人は、放射線の危険性の一部を引き受ける義務があると私は考えている。

 



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