できるだけごまかさないで考えてみる-try to think as accurately as possible

さまざまなことを「流さずに」考えてみよう。"slow-thinking"から"steady-thinking"へ

久米宏の救いようのない底の浅さ

2014-01-05 20:58:47 | 白河アーカイブス

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げる。

 

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昨年(2013年)10月26日(土曜)のTBSラジオ『久米宏 ラジオなんですけど』でのゲストは小説家の池澤夏樹だった。

そのときの、久米宏とのトークを先日、1月4日(土曜)に再放送していた。

10月26日は朝から働いていたので本放送を聞き逃したが、改めて再放送で聞いてみると、こんな発言があった。

 

久米宏:「こういうことを池澤さんも本でお書きになっていたんですが、

私にとっては、『福島原発は under control な状態にある』という安倍首相の発言は、本当のことを言うと、許せない範疇の発言なんですね。

なぜなら、今でも汚染水漏れが問題になっていて、これって何十年と問題になり続けるじゃないですか。半減期までという時期も含めて。これは、いわば国土を失っているという状態ですよ。」

池澤夏樹:「福島では今でも血が出血し続けているんですね。汚染水問題が続くということは、人の体で言えば出血が止まらないということだと思います。」

久米宏:「そういう、出血が止まらない状況で、尖閣や竹島問題で騒いでいる連中がいますけれど、

福島でこれから何十年と人が住めなくなるっていうのは、国土を失ったわけじゃないですか。その国土の広さは、竹島に比べると、竹島はあんなにちっちゃいですし(笑)、尖閣と比べても、尖閣なんかよりはるかに大きな国土を日本は失ったにもかかわらず、

『福島を失った責任者を出せ』とは言わずに、『尖閣は渡すな、あれは日本のものだ』と言い張る理屈がわからないという、僕はそれが本当に全然わからないんですよね。

 

※書き起こしはここまで。前半は要約しているので、細かい口調は違うところがあるが、「尖閣や竹島問題で騒いでいる連中」以下のところは、何度も聞き直して正確に書き起こした。

 

で、この放送が本放送だった頃はいざ知らず、少なくとも今は、汚染水がコントロールできないとか、汚染水が大量に漏れているなどの報道は、あの反原発が社是になっているレベルの機関誌差別(自称朝日新聞)やテレビ朝日を含めても、まったく耳にしない。

ということは、「出血が止まらない」という発想・表現自体が、つい先日(昨年10月)のマスゴミ・自称識者らによる「汚染水ガー」の大合唱に、知ってか知らずか普通に飲み込まれ、「これから何十年も汚染水漏れが止まらない」という発想に自ら染まっていることを、あえて年が明けた今の時期に、わざわざ認める放送を「再放送」として平気で垂れ流しているわけだ。

 

言い換えれば、自分たちが反原発マスゴミらの大合唱に飲み込まれている「衆愚」であることを、今になって「再放送」をすることにより改めてさらけ出す、何と言うか、頭がいいのか悪いのか(おそらく悪いのだろうが)、再放送の意図がどっち側なのかよくわからない「電波放送」を未だにやっているわけだ、TBS『ラジオなんですけど』という番組は。

しかもこの対談を再放送する前に、アナウンサーや久米が「インテリの立場から日本を語ってもらいました。池澤夏樹さんです。」などというintroductionを入れてから、再放送音声を流す念の入れよう。

 

ふむ。TBSという放送局は、テレビもラジオも、「汚染水トラブルは今後数十年止まらない」という「言いっ放しの発言」を、頭の悪い視聴者や聴取者のように「丸呑み」した上で偉そうに「出血が止まらない」という、人体に模した比喩で語ることができる人のことを「インテリ」と呼ぶのか。

私がディレクターなら、「インテリ」とは呼ばせず、「小説家」という呼び名で一貫させるけどね。それが、結果として池澤夏樹氏の「小説家」としての名誉を守ることになる。 

 

次のツッコミどころは、言うまでもない、「福島原発の問題」と「尖閣・竹島の問題」を、あたかも交換関係、あるいは比例関係であるかのように久米が考えており、その考え方があたかも日本の将来を憂う日本人全員の常識であるかのように語っている点である。

「交換関係」とは、福島原発の問題を重視するのなら、尖閣・竹島の問題は軽視する(すなわち、中韓に譲歩する)という関係であり、

「比例関係」とは、尖閣・竹島の問題を重視するのなら、福島原発の問題も重視するという関係である。

 

久米は巧みに、このどちらの関係でとらえても、尖閣や竹島問題で騒いでいる「連中」はおかしいだろ?という論法を取っているわけだ。

 

さて、ここからは小論文の問題として読者に考えてもらっても良いのだが、ここまで書いた以上、私の意見も書いておかねば読者は納得しないだろう(笑)。←こういうときに笑うんだがなあ、久米宏よ。 

 

福島原発と尖閣・竹島の問題は、交換関係でも比例関係でもない。数学・論理的には「独立している」関係である。勝手に福島と尖閣・竹島をリンケージ(懐かしいね)させるなよ久米宏。

あえてリンクさせるなら(←「リンケージ」より「リンク」だろうねえ、正しくは)、久米宏や池沢直樹が「反原発」なら、尖閣こそ死守しなければならない、ということになる。久米宏も池沢直樹も、日本が原油を輸入するルートを知らないと見える。

 

wikipediaより、尖閣諸島の位置を。 

 

 

当ブログ過去記事より。

沖縄問題について考えれば考えるほど(2012.05.16)

日本の海上交通路を。

 

 

この図で、青色線が日本の海上交通路(シーレーン)である。

 

この二つの図を見比べても、日本がいわゆる「脱原発」によって、原油への依存度を高めれば高めるほど、この青色のライン周辺を安全にしておく方策が「死活問題」となるわけで、その意味で尖閣問題は、反原発ムラの村人にとっては絶対に無視できない問題になるはずなのだが・・・少なくとも久米宏と池沢直樹にとっては違うらしい。

 

さらに、竹島問題は、島根県を中心とする日本漁民が、周辺海域で漁業ができるかどうか、という点できわめて重要である、ということすら久米宏は想像できないらしい。竹島が大きいかどうかは、日本海に水没しない程度に大きければ全く問題ないのだ。ましてや「国土」として「島の面積」しか想像できない久米の想像力の貧困さは、どれだけ頭が悪ければこれだけのモノに成長(退化)できるのか、私には全く想像できない。「領土」だけでなく「領海」「排他的経済水域」「領空」などの概念が久米と池澤には全く存在しないということか。

 

最後に、「尖閣や竹島問題で騒いでいる連中」というものの言い方だ。義務教育を終えた程度の日本語話者であれば、「連中」という言い方が侮蔑を含んだものなだけでなく、「連中」という言葉は「自分の仲間」という範疇の外側の人間を指すときに使う、ということは無意識に知り、使いこなしているだろう。

※「うちの連中」という言い方も、「うち」という、「連中」よりさらに強い言葉がついているがゆえに、「うち」の影響力の内側に存在する、という解釈が可能になるわけだ。しかも、この言い方でさえ、「連中」という言葉には「自分」は含まれていない点が興味深い。


とまあ、ここまで細かく分析しなくても、久米宏が「尖閣や竹島問題で『騒いでいる』」という言い方をしている点を合わせるだけで、尖閣や竹島の利益を主張することを、「騒ぐ」と表現できるレベルの「どうでもいいこと」としてとらえていることが痛いほどわかる。

 

池澤夏樹は知らないが、少なくとも久米宏は、福島をダシにして、尖閣や竹島問題が重要だと言っている連中をバカにしたかっただけなのだろう。

 

 

 

 



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