手作りの趣味を持つ「お絵描きやさん」

北海道産のパートナーNと暮らすワーキングババ
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品川生まれの品川育ちです

長崎は雨だった~♪ 24 軍艦島内部へ

2015年08月10日 | 旅行

軍艦島の第2の集合地点へ向かいます 

(今回は写真が多いので一枚づつの文章は省いてあります)

長崎港に近い方が掘削したりする工業地区になっています 

逆に外海に向かっている側が住居地区になっていたそうです

つまり、石炭を掘る事業を守るために防波堤代わりに鉄筋の集合住宅が建てられたという

住民よりも事業が優先だったのですね

一番高い住宅が9階建てですが、それを超えるほどの高波が端島を襲ったそうです

私には想像出来ません

 

 

段階をおって高く成長させた防波堤 

  

  

  

 

鉄骨や木材など、これだけの物資をあの海を越えてこの小さな島に搬入しなければならなかったのか

産業という人間の生み出した社会の一端が見えるようです

 綜合事務所(共同浴場もあった)

この「赤いレンガは普段白く見えるのです」と説明されました

波が当たって海水が染み込み、晴れている日には塩が噴出すためだそうです

この日は前日の夜から雨が降っていたために塩の結晶が流され

元の煉瓦色が見えた珍しい日だったそうです 

ココは立坑に降りるエレベータがあった場所

そのため炭鉱から鉱員さんたちが足の裏に石炭の粉を付けて戻ってくるので

コンクリートの階段が黒く染まっているとガイドさんがお話ししてくれました 

高速のエレベータで降りた鉱員さんたちが最初にすることは

エレベータで気絶したりした仲間の介抱だったそうです

 

ツアー客との対比で大体の大きさのイメージは掴めますでしょうか?

  

  

ここでは色々な問題があったと言われています

ただその頃の状況や常識が、現在の私たちの考える常識が当てはまらなかったと言って

今の人間が当時の人達を非難して、何かメリットはあるのかしら?と考えていました

 

日本で初めての鉄筋コンクリート集合住宅を持つ軍艦島

この外周1.2kmほどの外海にある小さい島は、長崎で映画のロードショーが最初に封切りになるなど

市内よりもお金が廻っている土地だったと言われています

「ないものは焼き場とお墓だけ」 

火葬場は隣の中之島にあり

各人の生まれ育った場所にある実家のお墓に眠るためにわざわざ墓地を作ることはなかったそうです


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