桃おやじの歴史散歩

我が町は 記紀に記載の七代孝霊天皇黒田廬戸宮の比定地。
古代史を中心に、奈良の観光や地域情報を気ままに書いています。

「法貴寺(ほうけいじ)、千万院」 奈良県田原本町法貴寺

2017-02-06 12:56:03 | 地域

 「法貴寺(ほうけいじ)、千万院」

法貴寺(ほうけいじ)は、古代の室原郷の下流に遭った集落に、聖徳太子が推古天皇より賜った仏像を安置する為にこの地に法貴寺(法起寺)を建立、秦河勝に賜った事に始まります。


現存する千万院は、法起寺の塔頭の子院の薬師堂で、あと山門と鐘楼だけが、池神社に隣接して残ります。
法貴寺は、七堂伽藍、実相院、千万院他、一八坊が確認されて居ますので、少なくても二十坊以上であったと考えられます。

創建以来長い年代の変遷を経て、江戸時代末期には実相院と千万院だけに成り、明治の神仏分離でほぼ壊滅してしまいました。

現存する千万院(薬師堂)には、国重文の不動明王像(平安時代)をはじめ、薬師如来座像(鎌倉時代)、聖徳太子像(南北朝時代)、薬師如来座像(室町時代)、十一面観音立像(室町時代)、鬢頭婁尊者座像(室町時代)と、平安~室町に至る多数の仏像が祭られて居ます。


千万院とは少し離れますが、集落の南の外れに今にも崩れ落ちそうな、まさに朽ち果てたと言った感じの斎宮神社が雑木の中に埋もれています。

在原業平が斎宮女王を連れ出し、当時の豪族長谷川党に匿われた地に建つとの事。
同じ言い伝えが、同、田原本町の八田に有る伊勢降神社にも残って居て、神護寺の同じ唐招提寺の神護寺が有った事等からも 深い関係が有るものと思われます。



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