桃おやじの歴史散歩

我が町は 記紀に記載の七代孝霊天皇黒田廬戸宮の比定地。
古代史を中心に、奈良の観光や地域情報を気ままに書いています。

「為川」「金沢」 奈良県田原本町

2017-09-05 17:09:28 | 地域
田原本町の真東、大和川を越えたところ、天理市との境界に為川北、金沢、為川南の集落が有ります。

其の東、天理市の遠田、桧垣内、武蔵の集落は旧の川東村に属し、市町村合併の際に天理市に編入、為川や金沢など川東村のほとんどが田原本町と合併しました。

為川北と為川南は元々まったく別の集落、地形や地理的な位置から地域に由来した名前が付けられたと考えられています。


この辺りは、蔵堂に北接、法貴寺との間に位置し、天理市と接するする大和川の東側に広がる広大な田園地帯です。

室町時代、既に長谷川党の土豪として為川氏の名前が見える所から考えれば、可也古くから発達した環濠集落、其々に支配階級が出来、支配者が土豪として支配していたのでしょう。

また、 この辺り一帯も、大和川の氾濫、南北朝の戦乱や松永弾正、信長の進行による兵火でその都度 様相が一変したものと思われます。

金沢の中程に有る光源寺は、詳しい由緒は解りませんが、江戸中期の創建と伝えられ、重厚感を呈して居ます。

金沢には町立の「ふれあいセンター」がひときわ近代的な容姿を見せています。


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