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社会を改良するのは女性?―追悼Betty Friedanさん(1921-2006)

2006-02-08 | ジェンダー
日本社会における女性の地位についてのコメントを、数名の方から頂きました。どのコメントも、ご自分の経験を元に鋭い洞察力が感じられ、多くの女性にとってジェンダーは大きな関心事なんだ、と確信しました。このブログだけではなく、ジェンダーについて考える機会が多い今日この頃。そんなタイミングを見計らったかのように、大きなニュースが飛び込んできました。

日本でどの程度報道されたか知りませんが、Betty Friedanさんが亡くなりました。享年85才。1963年に出版された『The Feminine Mystique』の著者として、アメリカにおける現代女性運動を語るときには必ず出てくる著名人(big name)です。米東部の名門女子大・スミス・カレッジ(Smith College)を優等で卒業し、雑誌のレポーターをしていたFriedanさん。記事のリサーチの一環として、卒業15周年の同窓会に、(多くの?数人の?)同級生にインタビューし、それを基に書いたのが『The Feminine Mystique』。戦後の「古き良き時代」に、郊外にある家で主婦をしていた多くのスミス卒業生。「旦那が金を稼いで、自分は主婦。郊外の家でそれなりに裕福な暮らしして、一体どこが不満だっていうの!?」と、傍から見ると言いたくなるような暮らしをしていたわけです。しかし実際は、外で働きたくとも、社会のジェンダー観に合わせるべく主婦をしていた多くの女性。そんな主婦の表現しようのない不満をFriedanさんは、「the problem that has no name(名前がない問題)」と名づけました。この文句、嫌というほどあちこちで引用されていて有名です。

地元の新聞が言うように、この『The Feminine Mystique』が現代女性運動を引き起こした、と言ってしまうのは大げさだと思います。19世紀の女性運動が奴隷解放運動から発生したように、現代女性運動も、1960年代前半に盛り上がった市民権運動の影響が強いようです。多くの女性が市民権運動に関わり、その運動における男女の待遇の差が、女性の中に男女同権意識を芽生えさせ、60年代後半から70年代にかけて、女性運動に発展していったようです。(「男女の待遇の差」というのは例えば、男性は「現場」に出るのに女性は「裏方」というか、料理を含めた男性の世話係をさせられた、など。)市民権運動から発生した女性運動―。しかし新聞によると、『The Feminine Mystique』は、多くの(白人中流家庭以上の)女性が抱えていた不満や希望をはっきりと文章で表現し、そのような「不満や希望」を、「女性の権利拡大の要求」へと実際に移行させた、大きな原動力となったそうです。

ちなみに、『The Feminine Mystique』が出版された前年の1962年、Rachel Carson(レイチェル・カーソン)が『Silent Spring(沈黙の春)』を出版しています。1962~3年といえば、全盛期だった市民権運動にケネディ暗殺など、「古き良きアメリカ」の化けの皮がどんどん剥がれていた時期。そんな時期に、環境と男女同権の分野で、2人の女性がアメリカ社会に多大な影響を与えた本を書いた・・・。加えて、昨年亡くなった「市民権運動の母」Rosa Parksさんも女性。これまでのアメリカ社会が、男性が中心となって築かれてきたとするならば、そんな社会を改良していく原動力になるのは、女性なのかもしれません。

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