
現在読んでいる本が、『The Sexual Politics of Meat: A Feminist-Vegetarian Critical Theory』(Carol J. Adams著)。日本語版が出てるかなと思って検索してみましたが、わかりませんでした。
1990年に出版されたこの本は、女性差別/虐待と動物虐待(つまり肉食)の関連性を指摘しています。男性中心社会においては、女性と動物というのはどちらも、男性から「object」として扱われています。女性や動物を、自分(男性)たちの都合のいいように、生物というよりは「道具」に近い扱いをし、女性や動物の自由な行動や意志決定を尊重した扱い(つまり、「subject」として扱う)をしないのです。動物の意志とは関係なく人間がその肉を食することと、女性の意志とは関係なく女性の居場所や役割を決めることは、根が同じ。男性としての権力が、自分たちに都合のいいように、女性と動物を扱わせるわけです。19世紀のイギリスやアメリカの男女同権論者の多くは、「女性の扱い=動物の扱い」という考えに気付いており、アンチ肉食だったとか。そんな男女同権論者が肉食をするというのは、矛盾行為。男性の権力を非難しておきながら、そんな権力(動物の意志とは無関係に肉を食う)および、その権力を支える「男らしさ」の価値観(支配、攻撃など)を肯定することになるからです。
「女性差別/虐待=動物虐待(つまり肉食)」。男女同権の考えが、19世紀と比較すると格段に進んだ現在のアメリカ社会における、女性の肉食とは?わたし自身は、男女同権の立場から肉を食べない、というのは普段ほとんど聞きません。やはり「健康」、「工場制畜産業反対」、それに「動物の権利(animal rights)支持」が多いように感じます。むしろ、タバコと同じように、「レディが肉を食らう」というのも文化的に受容されています。男女同権とは、女性がある意味男性化することなんでしょうか?
著者のAdamsさん自身は非肉食者。この本に、そんなAdamsさんの肉食に対する偏見が含まれていることは、否定できないかもしれません。Adamsさんは、肉食という行為をしている限り、男らしさの価値観に支えられた男性中心社会が持続していくだろうと示唆しています。女性の地位向上を目指すなら、肉食はしないこと―。あなたはどう思いますか?
1990年に出版されたこの本は、女性差別/虐待と動物虐待(つまり肉食)の関連性を指摘しています。男性中心社会においては、女性と動物というのはどちらも、男性から「object」として扱われています。女性や動物を、自分(男性)たちの都合のいいように、生物というよりは「道具」に近い扱いをし、女性や動物の自由な行動や意志決定を尊重した扱い(つまり、「subject」として扱う)をしないのです。動物の意志とは関係なく人間がその肉を食することと、女性の意志とは関係なく女性の居場所や役割を決めることは、根が同じ。男性としての権力が、自分たちに都合のいいように、女性と動物を扱わせるわけです。19世紀のイギリスやアメリカの男女同権論者の多くは、「女性の扱い=動物の扱い」という考えに気付いており、アンチ肉食だったとか。そんな男女同権論者が肉食をするというのは、矛盾行為。男性の権力を非難しておきながら、そんな権力(動物の意志とは無関係に肉を食う)および、その権力を支える「男らしさ」の価値観(支配、攻撃など)を肯定することになるからです。
「女性差別/虐待=動物虐待(つまり肉食)」。男女同権の考えが、19世紀と比較すると格段に進んだ現在のアメリカ社会における、女性の肉食とは?わたし自身は、男女同権の立場から肉を食べない、というのは普段ほとんど聞きません。やはり「健康」、「工場制畜産業反対」、それに「動物の権利(animal rights)支持」が多いように感じます。むしろ、タバコと同じように、「レディが肉を食らう」というのも文化的に受容されています。男女同権とは、女性がある意味男性化することなんでしょうか?
著者のAdamsさん自身は非肉食者。この本に、そんなAdamsさんの肉食に対する偏見が含まれていることは、否定できないかもしれません。Adamsさんは、肉食という行為をしている限り、男らしさの価値観に支えられた男性中心社会が持続していくだろうと示唆しています。女性の地位向上を目指すなら、肉食はしないこと―。あなたはどう思いますか?