米誌タイムやナショナル・ジオグラヒックなどで最近特集された、北米最初のイギリス植民地、バージニア州ジェームスタウン。ジェームスタウンという地名にぴんとこない方は、ジョン・スミスとポカホンタスの話の舞台になった場所、と言えば分かるでしょうか?「なぜ最近注目を集めるのだ、ジェームスタウン?」と思っていたら、今年はジェームスタウン植民開始400年だったんですね~。現地ではイギリスからエリザベス女王を招いて記念式典が行われるようです。
アメリカ大陸にやってきたイギリス人が出会ったのがアメリカ原住民だったけれど、日本が誇る原住民といえば、アイヌ。北海道がアイヌの伝統儀式、イヨマンテ禁止通達を52年ぶりに撤廃するというニュースが先日流れました。(上の画像はそのイヨマンテから。)イヨマンテとは?アイヌ博物館ホームページに以下のような記述があります。
イヨマンテ(熊の霊送り)とは、熊猟で成獣を仕留めた際に、残された仔熊を里へ連れ帰り、1~2年飼育した後、盛大な儀式を執り行って親元である神の国に「送る」儀式です。「送る」とは、実際には「殺す」という行為を伴いますが、アイヌ文化に馴染みが薄い人の目には、それが残虐な行為に映ることもあり得ます。また、いわゆる今日的な意味での「動物愛護」を唱える方々には、それが「動物虐待」と映るかもしれません。
しかし、狩猟を主な生業の一つとしていたアイヌにとって熊は最も位の高い神の一つであり、熊の霊送り=イヨマンテは、アイヌ民族の最大の儀式であると同時に、アイヌ文化の核心であるともいえます。{略} 熊の解体も儀礼の一部ですので、写真や図を用いて詳細に記述しています。
当館では、異民族の文化を認めることができない方からの批判には、お応えする用意がありません。その点をご了解のうえ、ご自分の判断と責任に基づいてご利用ください。
http://www.ainu-museum.or.jp/iyomante/index.htmlより
う~ん、アイヌのことはよく知らないけれど、アイヌ社会ではクマなどの動物は身近な存在だったのでしょう。そのような狩猟社会では、「わたしく、動物の死体なぞ食べたくございませんので、わたしには特別に遠隔地から米や野菜などを運んできてくださいませ、オホホ」な~んて言えない、というよりそのような考えなんて浮かびもしなかったでしょうね。「クマを殺すなんてかわいそうじゃない!」と2007年現在のわたしが言うのは簡単だけれど、エアコンが効いたコーヒーハウスでブログを更新する悠々自適の生活をしているヤツが、アイヌの伝統儀式を非難するのはお門違い。しかもわたしは、自分が消費する食糧の生産はほぼ100%他人に頼っているし、地元で生産されるオーガニックの肉よりは化石燃料を使用して遠隔地から運ばれてくる植物性食品に頼っている始末・・・。現在の先進国では肉を食べなくても生活可能だけれど、これを「進歩(progress)」と呼んでいいのでしょうか?。特に元々狩猟社会だった地域に住んでプランタン/ベジタリアンし、化石燃料を使って遠隔地から運ばれて来るプランタン食品に頼っていては自然の法則に背いているのでは?そして、自然の法則に背いている=地球に余計な負担をかけている、ということになるのではと感じます。地球環境の観点から見たら、プランタンであるわたしの食生活よりも動物を殺して食べるアイヌの食生活の方が理にかなっているようですね。
だからといってわたしは、肉食を提唱しているわけでも動物福祉運動を批判しているわけでもないので、念のため。工場制畜産を基盤とする現代の肉食と、アイヌなどの原住民の肉食は社会的&文化的状況が根本的に違いますからね。でも、もしかして以前わたしが『ベジタリアンへの質問』で提示したオーガニック・ポークと農薬使用のイチゴを選択する場合、オーガニック・ポークを選択する方が自然の原理に適っているのでは、と感じます。「動物の死体なぞ、気持ち悪いザマス!」と言ってられるのは、それこそMichael Pollan教授ではないけれど、自然から分離され、野生動物から襲われる心配がない現代先進国、特に都会生活者特有のある意味現代病なのかもしれません。
ちなみに、初期のジェームスタウンに入植したイギリス人は飢饉時、動物はもちろん死人を墓から掘り起こして食べたり、自分の妻を殺して食べたりして飢えを凌いだとか。近代社会の発展と共に「死」が遠くなった、と先日書いたけれど、「死」が遠いというか、プランタン/ベジタリアンのように「死」や「殺」自体を日常の食生活において否定できるようになった社会というのもある意味不自然?食糧生産に従事せず、植物性食品しか摂らないプランタンのわたしは、アイヌなどから見たら不自然極まりない"ヘンテコな"生活をしているのかも?それとも、動物を食べなくても生活できるようになったこんな社会を「進歩」と呼ぶのでしょうか?
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アメリカ大陸にやってきたイギリス人が出会ったのがアメリカ原住民だったけれど、日本が誇る原住民といえば、アイヌ。北海道がアイヌの伝統儀式、イヨマンテ禁止通達を52年ぶりに撤廃するというニュースが先日流れました。(上の画像はそのイヨマンテから。)イヨマンテとは?アイヌ博物館ホームページに以下のような記述があります。
イヨマンテ(熊の霊送り)とは、熊猟で成獣を仕留めた際に、残された仔熊を里へ連れ帰り、1~2年飼育した後、盛大な儀式を執り行って親元である神の国に「送る」儀式です。「送る」とは、実際には「殺す」という行為を伴いますが、アイヌ文化に馴染みが薄い人の目には、それが残虐な行為に映ることもあり得ます。また、いわゆる今日的な意味での「動物愛護」を唱える方々には、それが「動物虐待」と映るかもしれません。
しかし、狩猟を主な生業の一つとしていたアイヌにとって熊は最も位の高い神の一つであり、熊の霊送り=イヨマンテは、アイヌ民族の最大の儀式であると同時に、アイヌ文化の核心であるともいえます。{略} 熊の解体も儀礼の一部ですので、写真や図を用いて詳細に記述しています。
当館では、異民族の文化を認めることができない方からの批判には、お応えする用意がありません。その点をご了解のうえ、ご自分の判断と責任に基づいてご利用ください。
http://www.ainu-museum.or.jp/iyomante/index.htmlより
う~ん、アイヌのことはよく知らないけれど、アイヌ社会ではクマなどの動物は身近な存在だったのでしょう。そのような狩猟社会では、「わたしく、動物の死体なぞ食べたくございませんので、わたしには特別に遠隔地から米や野菜などを運んできてくださいませ、オホホ」な~んて言えない、というよりそのような考えなんて浮かびもしなかったでしょうね。「クマを殺すなんてかわいそうじゃない!」と2007年現在のわたしが言うのは簡単だけれど、エアコンが効いたコーヒーハウスでブログを更新する悠々自適の生活をしているヤツが、アイヌの伝統儀式を非難するのはお門違い。しかもわたしは、自分が消費する食糧の生産はほぼ100%他人に頼っているし、地元で生産されるオーガニックの肉よりは化石燃料を使用して遠隔地から運ばれてくる植物性食品に頼っている始末・・・。現在の先進国では肉を食べなくても生活可能だけれど、これを「進歩(progress)」と呼んでいいのでしょうか?。特に元々狩猟社会だった地域に住んでプランタン/ベジタリアンし、化石燃料を使って遠隔地から運ばれて来るプランタン食品に頼っていては自然の法則に背いているのでは?そして、自然の法則に背いている=地球に余計な負担をかけている、ということになるのではと感じます。地球環境の観点から見たら、プランタンであるわたしの食生活よりも動物を殺して食べるアイヌの食生活の方が理にかなっているようですね。
だからといってわたしは、肉食を提唱しているわけでも動物福祉運動を批判しているわけでもないので、念のため。工場制畜産を基盤とする現代の肉食と、アイヌなどの原住民の肉食は社会的&文化的状況が根本的に違いますからね。でも、もしかして以前わたしが『ベジタリアンへの質問』で提示したオーガニック・ポークと農薬使用のイチゴを選択する場合、オーガニック・ポークを選択する方が自然の原理に適っているのでは、と感じます。「動物の死体なぞ、気持ち悪いザマス!」と言ってられるのは、それこそMichael Pollan教授ではないけれど、自然から分離され、野生動物から襲われる心配がない現代先進国、特に都会生活者特有のある意味現代病なのかもしれません。
ちなみに、初期のジェームスタウンに入植したイギリス人は飢饉時、動物はもちろん死人を墓から掘り起こして食べたり、自分の妻を殺して食べたりして飢えを凌いだとか。近代社会の発展と共に「死」が遠くなった、と先日書いたけれど、「死」が遠いというか、プランタン/ベジタリアンのように「死」や「殺」自体を日常の食生活において否定できるようになった社会というのもある意味不自然?食糧生産に従事せず、植物性食品しか摂らないプランタンのわたしは、アイヌなどから見たら不自然極まりない"ヘンテコな"生活をしているのかも?それとも、動物を食べなくても生活できるようになったこんな社会を「進歩」と呼ぶのでしょうか?
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