忘己利他

書道をやっています。大切な仲間に恵まれ、ふれあい、共に楽しむために・・・

TOKYO 書 2013 公募団体の今 好評

2013-01-06 23:49:37 | 書展
今年もあっと言う間に6日、今日は稽古はじめでJR新杉田駅前の杉田劇場での教室でした。
皆さんと新年の挨拶を交わし、お稽古を開始。

年頭早々、寒い日のお稽古ということで、7名の出席で、
それぞれの方が書かれる筆の遅速・筆圧をチェックしながら、アドバイス。

 「書を楽しむ麗川会」の皆様 今年も健康で、お稽古に励まれますようお祈りいたします。
  
 (私の書道教室の名称)

さて、年頭より皆様にお知らせしている「TOKYO書2013 公募団体の今」ですが、
皆様より、お問い合わせをいただいたり、「見てきました」とのご連絡を多くいただいています。

寒い日が続く中、本当に有り難く厚く御礼を申し上げます

麗川会の会員で、国語の教員をしていらっしゃるY氏がご自分のHPに「TOKYO書2013 公募団体の今」をご覧になった感想を載せてくださいました。
お母様をご指導させていただいているご縁で、私の教室に来てくださっています。
私の作品については、褒めすぎで、身体のどこかが痒くなるほど、身びいき甚だしいと思うのですが、一部ご紹介します。



以下 Yoz Home Page より一部抜粋


ぼくがまだ書道にまったく関心がなかったころは、母の作品が賞をとったりすると、それこそ「お義理で嫌々」出かけはしても、何が面白いのか全然わからず、ざっと見て、そうそうに会場を後にして、母にただ「見てきたよ」という報告するだけだった。それが、自分で書道を始めてしばらくすると、書展は「見れども飽かぬ」ものとなった。人間、ほんとうにどう変わっていくかしれたものではない。

 今回も、会場に1時間ほどいて、それぞれの作品に見ほれ、感嘆し、刺激を受けという、幸福な時間を過ごした。

 麗川先生は、「燃」の1字書の大作と、「いろは歌」の2作品。ここに勝手に紹介するわけにはいかないが、どちらも感動的な作品だった。「いろは歌」を見ながら、先生が「仮名を漢字風に書くということに挑戦しているんですけどねえ。」とつぶやいていたのを思い出し、そういう目で見れば、困難な課題に立ち向かう気迫と、苦労の跡がしのばれ、心が引き締まる思いだった。「燃」はもう、渾身の力をもって紙の奥の奥の深みへと精神を届かせようとでもいうような鬼気迫る迫力で目を奪い魂をふるわせる。大きな筆を、力まかせに勢いよく振り回して書く書はよくあるが、勢いが紙の表面を滑るだけという作品も多い中、先生の仕事は果てしない深みをいつも追いかけている。

 現日会のK先生は、ぼくは面識がないが、いつも宮澤賢治の言葉を書かれるので、親しみを覚える。今回は、杉(たぶん)の板6枚に直に「雨ニモ負ケズ」を書いた作品が意表を突かれて面白かった。そうか、こういうのもアリだなあと嬉しくなった。「修羅のなみだ」と題した大作の前では、若い男女が、「これ何だろう。」「絵かしらねえ。う~ん。」「あれ、ひょっとして『修羅のなみだ』って書いてあるんじゃないの?」「あ、ほんとだ。あそこが修羅だわ。」「な・み・だ、って、もろ平仮名のまんまで書いてあるじゃん。」なんてしゃべっていた。

 書は読めなきゃダメなのか、読めなくてもいいのか、という問題は、古くからあるらしいが、「読める」と「読めない」の境目あたりで成立している書は、こうした絵解きのような面白さもあるわけだ。
以下略


現日会の代表 新潟の木原光威氏の作品「修羅のなみだ」