義母が亡くなってから96歳の義父を心配して
主人がしばらく京都暮らしをしていたのですが、
昨日、横浜へ帰ってきました。
主人のいない間は羽を伸ばし放題だった私ですが、
久しぶりの帰宅に安心したものの、
何となくぎこちなく、いそいそと身の回りの世話をしたり、
家事を頑張ってみたりしています。
多分一日経てば、また元のほったらかしの生活に戻るのでしょう。
夫婦がしばらく離れているのも、
再会した時に相手のことを気遣う新鮮な感覚があってよいものです。
會津八一の書「学規」です、
大正3年(1914年)、會津八一は当時教えていた私塾の学生たちが
心がけるべき規範として、「学規」を自筆で示したそうです。
一、 ふかくこの生を愛すべし
一、 かえりみて、己を知るべし
一、 学芸を以って性を養うべし
一、 日々新面目あるべし
秋草同人(会津八一の雅号)
特に四つ目の「日々新面目あるべし」がいいですね。
日々、新たな目標を掲げて、
成長し続けなさいということだろうと思います。
書道の世界において、「臨書」というものは、
自己の基盤を作る上で必須のものですが、
頭の固い方々は、臨書は古い時代の優れた作品を規範としなければ、
臨書とは言えないと言われます。
會津八一は、昭和31年まで生きた人で、
早稲田大学の仏教美術の教授であったり、
歌人であったり、書家であるという多才な方です。
書道の長い歴史の中で、そんな新しい人の作品を手本として書くのは、
「臨書」と言えるのか?
いろいろな見解があると思うのですが、
私にとっては、會津八一が学生を思い、
そして八一自身の戒めとして書いたとされるこの「学規」に共感し、
真似をして書いてみたいと思ったのです。
左右の上にシミがある紙に書いたので、
古めかしい感じになりましたが、
これを書くことによって、
「新面目」を得たように思います。