忘己利他

書道をやっています。大切な仲間に恵まれ、ふれあい、共に楽しむために・・・

夕焼けを見ると

2015-06-27 22:57:47 | 日記

「愚」

夏のグループ展の下書き
3×6尺の紙に一文字のつもりが、余白がもたない。
だんだん紙が小さくなっていく。




今日の夕焼けも茜色。

港南台のスーパーの駐車場から撮影。
早く夕食にしなければと、帰宅を急ぐところ、
しばらく眺めていた。

夕焼けを見ると、
明日も今日と変わらず、
幸せな日が来ますように
と、願います。

このところ、物忘れが激しい私。

鍵を閉めたかしら?
鍋の火は消したかしら?
墨磨り機のスイッチは切ったかしら?

確認するのを忘れて出かけてしまったり、


確認したのを忘れて、
二度三度確認行動をしたり・・・

頭の中どうなっちゃっているのだろう。

自分のドジが、
笑い事じゃなくなってきた



第39回藍雲会書展

2015-06-26 23:02:51 | 言葉
6月があと数日で終わってしまいます。

今年も半分が過ぎ去り、
この半期を振り返ると、
何をやっていたのだろう

毎日一生懸命やっていたような、
ダラダラ言い訳しながら、なまけていたような、

今年の後半は、胸を張って、
「頑張った」と言えるようにしたいものです。

本日は、雨模様の中、
銀座鳩居堂で開催されている
「第39回 藍雲会書展」にお邪魔してきました。

富岳凌雲先生のご社中の書展。
昨年は秋の開催でした。

先生は、病気療養中で御不在ですが、
先生の力強い作品にお目にかかることができました。


「壽」


>「山路来て なにやらゆかし すみれ草」


ご門下の高橋さん
最近、非常に熱心に書いておられ、拝見するたびに作品への熱意が激しくなっているように感じます。


「松かげのいはまをくぐる水の音 涼しくかよふひぐらしの聲」

同じく吉成さん
男性ですが、どうしてこんなに色っぽい線が書けるのだろうと憧れをもって拝見しています。




やはり、鳩居堂画廊は落ち着いて拝見でき、作品が映えて見えます





銀座へ向かう途中、立ち寄った上大岡のお菓子屋さん。
お客様が七夕の願い事を書けるように、
店先にカラフルな短冊が置いてある。



ちょうど小さなお嬢さんが、
お母さんに字を教わりながら短冊を書いていた。
「あら、上手に書けたわね」と
声をかけると、

隣にいた店員さんが、
「お客様もいかがですか?」と。

「いえいえ」とお断りして立ち去ったが、

欲深い私のお願いごとは、たくさんありすぎて、
短冊のような小さな紙には書ききれないのです










ああ・・・落款印

2015-06-24 17:56:20 | 書道
落款印とは落成款識印(らくせいかんしいん)の略で
「できあがったしるしをいれる」という意味だそうです。

自分の雅号が彫られた印を押す事によって、
自分の作品である事を示します。

また、印を押すことで、黒と白の端に朱が入り、
作品を格段に引き立たせる効果があります。

私は篆刻が得意ではなく、
いつも根付師を本職とする友人に印を彫ってもらっています。

かな作品は、主に彼女が製作した変形印を押すのですが、
その変形印が
うまく押せないのです。

勿論印が悪いわけではありません。
私の集中力の無さというか、ドジだからです。
それも度々です。



今回も夏の書展の作品を珍しく早く書き上げ、
作品に変形印を押したところ、



あちゃ~

また、へんな方向をむいている。

ショックです

祈りのかたち

2015-06-21 14:09:31 | 書展
本日4時をもって、坂本沙於里さんの個展が終了します。



初日に伺ったものの、会期中もう一度お邪魔したいと思っていたのですが、
とうとう伺えず、残念です

写真は今度来た時に・・・と思っていたので、
あまり撮影していなくって・・・





ご本人のブログにも、解説付きで紹介されていますので、
是非是非ご覧ください。

今回のこの個展のテーマは「祈りのかたち」

ご本人は次のように思いを語られています。


        祈りのかたち

   生きていると、いろんな出来事が行ったり来たり。

  今までは祈りというと、誰かや何かにお願いをする受け身のイメージがありました。
  
  ある日、祈りは、日々泣いたり笑ったり、時にどうにもならない現実に
  出くわしたりする中で、自分自身への問いかけだったり、励ましだったり
  するのかもしれないと思うようになりました。

  祈りは、受動ではなく能動なのだと。

  そう思ったら、起きる全てが新しいチャレンジへのきっかけなのかも、と。(後略)


沙於里さんは、とても前向きです。

最近、私は彼女に元気をもらっています。

自分を変えようとする勇気、
素晴らしいことです。

「祈り」というのは、私たちは人間を超えた神仏などに祈ることを言いますが、
彼女は、それを自分自身への問いかけ、励ましだと・・・
それは、決して自己中心ではなく、周りの家族や友人や同居の猫のことを考えながら、
自分の人生を切り開いているのです。






今ある現実を見つめ、ご自分の力信じ、
これからの人生、書の道を邁進してもらいたいと思います




木に登る

2015-06-18 23:53:40 | 書道
先日、私の作品を欲しいとおっしゃってくださる方があり、
掛け軸ならば、すぐに出せますと、
手持ちの「日月」の掛け軸をお送りしました。



小学生の娘さんがいらっしゃるので、
娘さんにも読んでいただけると、
これをチョイスしたのです。

彼は若い方ながら、
書を熱心に学び、かなりの腕前。
とても謙虚で、真摯に芸術を追求され、
意識の高い方です。

その彼が、私なんぞの作品を欲しいとおっしゃってくださり、
私も図に乗ってしまって・・・


すると昨日、彼からメールをいただき、

(前略)
「・・・先ほど、御軸を拡げさせていただきましたところ、
家内と娘も、感嘆の声をあげました。
私の作品はもちろんのこと、●●の作品を見ても、
家内はほとんど褒めることがありませんが、
今夜は何かが違っておりました。
はっきりと「何かが違うんだよ」と申しておりました。
私にとりましては、最も身近な、最も手ごわい評論家であります。
娘の方が、まだ少し気を使ってくれるようです。

油煙の光沢が印象的な日の字から、
月へと展開する空間のエネルギー、
立ち上る気、などと
私がコメント申し上げるのは失礼の限りですが、
今 目前に置かせていただいていることが、
信じられないような思いがいたします。・・・」
(後略)


すてきなコメントが、嬉しく
こんなに褒めていただいて感謝です。

これまで、作品を欲しいとのお申し出をいただくと、
半信半疑で、本当に私の作品なぞで良いの?
と、先方に申し訳ない思いでしたが、

今回ますます高い木に登ってしまったので、
これからは、みなさんに喜んでいただける作品が書けるような
気がしています。