われらしんじんのこども

真人幼稚園の子どもたちの日々の様子や、
  楽しいエピソードなどをお伝えしています。

世界でたったひとつの音楽

2007-11-22 12:01:25 | Weblog
 季節の移り変わりはいつも私たちの気づかないところで静かに静かに進行して、ふと気づいた時にはもう二度と戻ってこないところまで遠ざかっていたり、新しい季節の真新しい風に吹き上げられてハッとしてまわりを見渡してみると、自分だけが場違いな場所に取り残されてしまったような錯覚に陥ることがあります。半袖のTシャツで汗だくになって走ったマラソン大会を皮切りにスタートした二学期も、気がつくと本格的な冬が訪れていて、締めくくりの季節を迎えておりました。ひとつ年を取るごとに、時の流れは加速度的に速くなっていくようで、めまいすら感じるこのごろであります。
 
 さて、そんな二学期を、またこの一年を締めくくるにふさわしい、しんじんの子どもたちの音楽会が始まろうとしています。子どもたちはお聞きくださる皆様に少しでも良い音楽を聞かせようと、集中して練習してまいりました。ただ自分たちが楽しければそれでよい、というのは私たちしんじんの音楽会ではありません。子どもたちなりに、より良い演奏や歌をみんなで作り上げ、聞いてくださる人に届けたい、そう思って活動に取り組んでまいりました。それは、私たち教職員がこれまで出会った多くの子どもたちとの様々なかかわりの中で、彼らと共に考えながら営々として作り上げてきた良き伝統なのです。しかし、人を楽しませるためにはまず自分自身が楽しんでいなくてはなりません。そのためにはどうすればよいのか? 自分たちが心から楽しみながら、同時に人を楽しませるということとはどういうことなのか? それを子どもたちなりに考えてきました。かれらの音楽会はそこから始まっているのです。
 子どもは私たち大人が思っている以上に繊細で、複雑な感情を持っています。自分の気持ちを言葉や態度で上手く表現できないぶんだけ、その心の中には広大な、手つかずの領域を抱えているものなのです。そんな彼らにとってもっともシンプルでストレートに心情を表現できるもの、それが音楽であり、芸術表現全般であると私は考えています。とりわけ音楽というものは、表現する者と受け取る者とが一つの楽曲を同時体験することができ、それは他の芸術とは明らかに異なる点です。それは例えばこういうことです。子どもたちの心が「伝えたい」と思う気持ちによって震え、それは彼らひとりひとりの手の動きや声の振動となって歌や演奏に置き換えられる。それはまっすぐ空気をふるわせ、やがておおきな波動となって私たち聴衆の耳に届けられる。耳だけではなく、からだ全体で共鳴し合う。子どもたちの思いが強ければ強いほど、その心の振幅が大きければ大きいほど、私達の心もまた大きく揺さぶられることになるのです。そしてそれは言うなれば、後にも先にもただ一度きりの、世界でたったひとつの音楽なのです。

 どうぞこの子どもたちの素晴らしい音楽会を共に体験しながら、彼らの全力の表現をしっかりと受け止めようではありませんか。そして、この一年の子どもたちの成長を共に喜び合い、互いに讃えあえれば幸いに存じます。
 皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。


【きょうの一枚】
本日おこなわれた音楽会リハーサルでの様子。他の学年の子どもたちが全員集合して、年長児たちの素晴らしい音楽に聞き入っておりました。こんな風にして先輩から後輩へと大切なものが受け継がれていくのです。
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