われらしんじんのこども

真人幼稚園の子どもたちの日々の様子や、
  楽しいエピソードなどをお伝えしています。

詩『あたらしいあさ』

2024-03-19 08:50:02 | Weblog

『あたらしいあさ』

      まえだ かん

あたらしいあさ

ふたたび春はめぐってきて

ひとつ大人になったきみに

こころをこめてつたえたい

きみに出会えてよかった、と。

どうしてこんなことを言うのかというと

たとえばきみとぼくが

いまここにいるということ

それはまさに奇蹟的なことだからだ。

きみがこの世に生まれてきたこと

ぼくがこの世に生まれてきたこと

あたりまえのようだけど

あたりまえじゃない。

ぼくらがきょう出会うためには

地球がなんかいも回り

たくさんの夜をこえ

あたらしい朝をむかえ

おとうさんやおかあさんや

おじいさんやおばあさんが

いくつものよろこびと

かなしみをくぐりぬけ

ようやくたどりついた場所で

ぼくらを産んでくれたからだ。

だからまずぼくらはそのことに

ありがとうを言わなければならない。

自分ひとりで生きていける人はいない。

人はみんなひとりひとりだけれど

けっしてひとりぼっちでは生きていけない。

きみがいないとぼくはさびしい。

きみが泣いているとぼくもかなしい。

きみが笑えばぼくもうれしい。

きみに出会えてよかった。

あたらしいあさ

 

あたらしいあさ

ふたたび春はめぐってきて

ここから旅立つきみに

祈りをこめてつたえたい

きみにさちあれ、と。

ゆるやかな川のせせらぎのように

きみの時間が流れていきますように。

たくさんの人との出会いが

きみの血となり肉となりますように。

どんなにつらい日があっても

自分の信じるものがあるならば

あきらめない勇気を持てますように。

自分より弱い人にはやさしく

自分より強い人にもやさしくあるように。

正しいことをするときには

だれかを傷つけてしまうこともあるのだと

いつもこころの片隅に思っているように。

耳の痛いことを言う人がいたら

言ったことばではなく

そのことばの奥にある思いに

耳をかたむけられますように。

そしていつまでもくよくよせず

明日はどんな一日にしようかと

わくわくしながら眠りにつけますように。

空の青さにあこがれたり

海の深さをおそれたり

ぎらぎらの太陽に目がくらんだり

遠い雷鳴に胸ふるわせたりしながら

時には風のように

時には炎のように

歩きつづけていけますように。

そしてもしもかなうならば

きみとぼくの歩くべつべつの道が

いつかどこかでつながっていたらうれしい。

旅立つきみにさちあれ。

あたらしいあさ

 

 

*この詩は2003年3月に卒園生に贈る詩として書いたものですが、

このたび一部手直しをして再掲することといたしました。

改めてすべてのしんじんの子どもたちにこの詩を捧げます。

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 卒園・進級おめでとうござい... | トップ | 新しい季節の始まりに(R6年... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事