尖閣諸島の漁船衝突、政府対応を検証 中国との「パイプ」不在
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/diplomacy/450477/
中国・石家荘市内で9月20日、不法に「軍事目標」を撮影したとして、中国当局に拘束され19日ぶりに釈放された建設会社フジタの中国法人副部長、高橋定さん(57)が10日、日本へ帰国した。しかし、9月7日に尖閣諸島(沖縄県)沖の漁船衝突事件で緊張した日中関係が改善に向かう見通しが立たない。この事件発生以降の日本政府の対応ぶりを検証した。
■首相報告時刻を「修正」
衝突事件をテーマにした衆院予算委員会の集中審議を翌日に控えた9月29日午後。政府関係者によると、首相の菅直人(64)は答弁準備で官邸執務室に秘書官らを招集した。
政府対応を時系列でまとめた答弁資料に目を通すや、菅はいきなり怒鳴り声を上げた。船長逮捕は9月8日午前2時3分。菅への報告は夜が明けた「午前8時」と明記されていた。
「何だ、これは。おれが逮捕後6時間も知らなかったということでは『総理は何をしていたのか』と言われるに決まっているだろっ」
野党の追及を懸念した菅は続けた。「いろいろな報告が来るから、誰が何を言ってきたかいちいち覚えていないが、おまえたちのうちの誰かが『そろそろ逮捕します』と言ってきたはずだ。なぁ、そうだろう?」
うつむき加減でひと言も発しない官邸スタッフの面々。答弁資料は結局「修正」され、誰が伝えたのか不明確なまま「8日午前0時ごろ、総理に逮捕方針を報告」との一文が付け加えられたという。
事件が起きた9月7日は民主党代表選の選挙戦真っただ中だった。官房長官の仙谷由人(64)が法務、外務両省幹部らと官邸で協議し、逮捕方針を了承した。一方、菅はこの日の夜、代表選候補として民放テレビ番組に出演。公邸には午後11時39分に戻り、眠りについた。
実際、9月30日の集中審議で菅への報告経緯に関するやりとりはなかった。仙谷は10月8日の参院本会議で「事件発生日の夜に、逮捕の予定だとの報告を受けた。その報告は、しかるべく総理にも私から報告した」と逮捕前に伝えたかのように語った。しかし、仙谷は具体的な報告時刻には言及しなかった。
■上空視察に「待った」
仙谷は9月7日夜の関係省庁幹部との協議の場で、衝突状況を撮影したビデオ映像を見て「操舵ミスとは考えられない。明らかに故意だ」と確認した。発生場所は日本固有の領土だが、中国が領有権を主張する尖閣諸島周辺。仙谷は「逮捕するのか。今後の日中関係に影響が出るなあ」と漏らした。中国側の反発は仙谷の予想を超えた。
逮捕直後、中国は水面下で副首相級の国務委員、戴秉国(たいへいこく)と外相(当時)の岡田克也(57)との電話会談を打診した。岡田はドイツ訪問中で、日本政府はまともに取り合おうとしなかった。これが胡錦濤(67)ら中国共産党政権の対日不信をかき立てた。
閣僚級以上の交流停止、邦人4人拘束、首相の温家宝(68)による衝突事件の「即時、無条件」の釈放要求…。中国側の矢継ぎ早の強行策に仙谷は慌てた。国土交通相の馬淵澄夫(50)が9月20日、官邸の了解を得ずに中国要人の表敬を辞退するや、仙谷は電話で何度も叱責。沖縄県知事の仲井真弘多(71)が尖閣諸島の上空視察を計画すると、仙谷がすぐに「待った」をかけた。
■菅政権の「不作為」
しかし、9月25日の船長釈放後も関係改善の糸口はつかめなかった。政府間チャンネルは途絶えたままだ。意を決した仙谷は携帯電話を握った。「中国行きは可能か」。電話先の相手は昨年12月に民主党元代表、小沢一郎68)が議員約140人を率いて訪中した際に事務総長を務めた党前幹事長代理、細野豪志(39)だった。
9月29日、北京空港で中国外務省が手配したベンツに乗り込んだ細野は午後3時ごろ、釣魚台(ちょうぎょだい)迎賓館に到着。「国賓並み待遇」の証しだった。部屋に姿を現したのは戴。会談は夜遅くまで続いた。
細野「事件で、日本国内の対中感情は厳しさを増している」
戴「こちらも国内的には簡単ではない。ハイレベルで意思疎通できるパイプ構築が必要だ」
両者は10月4日からベルギー・ブリュッセルでのアジア欧州会議(ASEM)首脳会議を機に、正式な日中首脳会談を設定するには至らなかった。
ただ、細野に同行した民主党職員が作成した極秘の報告書を目で追った仙谷は、中国側の関係改善への意思を読み取った。10月1日には仙谷自らが戴と電話で会談。菅が首脳会議スピーチで中国を直接批判しない方針が伝えられたとみられる。これが10月4日の菅と温の「あうんの呼吸」での会談、10月9日の拘束邦人釈放の伏線となった。
裏を返せば、隣国とのパイプづくりを怠ってきた現政権の「不作為」が事態の深刻化を招いた形だ。今後日中間で同様の問題が生じた場合、仙谷-戴ルートが機能するとは限らない。
「日本の雰囲気はどうだ」。5日に帰国した菅は、羽田空港から都心へ向かう車中で首相補佐官の寺田学(34)に電話をかけた。寺田が「温首相との会談に対しては、おおむね好意的ですよ」と答えると、菅は満足げに笑ったという。
■「360度からたたかれる」
だが、この1カ月間、事件対応は仙谷が取り仕切った。菅の口から出るのは、いら立ちの言葉ばかりだった。訪米直前の9月21日には中国人船長の扱いについて、周囲に「なぜ早く結論を出せないんだ」とぶちまけた。
菅というトップリーダーのこうした姿勢が、“異例”となった那覇地検の釈放判断に影響した可能性は否めない。
衆院予算委集中審議直前の9月30日朝。菅は公邸での答弁打ち合わせで、机を何度も平手でたたきながら、政治介入問題についてこう語った。
「おれは政治的関与があったのかは絶対に言わないぞ。この問題は政治的関与をしたと言ってもたたかれるし、しなかったと言っても『なんでしなかったのか』とたたかれる。360度からたたかれる話なんだ」(敬称略)
2010/10/12 20:09
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/diplomacy/450477/
中国・石家荘市内で9月20日、不法に「軍事目標」を撮影したとして、中国当局に拘束され19日ぶりに釈放された建設会社フジタの中国法人副部長、高橋定さん(57)が10日、日本へ帰国した。しかし、9月7日に尖閣諸島(沖縄県)沖の漁船衝突事件で緊張した日中関係が改善に向かう見通しが立たない。この事件発生以降の日本政府の対応ぶりを検証した。
■首相報告時刻を「修正」
衝突事件をテーマにした衆院予算委員会の集中審議を翌日に控えた9月29日午後。政府関係者によると、首相の菅直人(64)は答弁準備で官邸執務室に秘書官らを招集した。
政府対応を時系列でまとめた答弁資料に目を通すや、菅はいきなり怒鳴り声を上げた。船長逮捕は9月8日午前2時3分。菅への報告は夜が明けた「午前8時」と明記されていた。
「何だ、これは。おれが逮捕後6時間も知らなかったということでは『総理は何をしていたのか』と言われるに決まっているだろっ」
野党の追及を懸念した菅は続けた。「いろいろな報告が来るから、誰が何を言ってきたかいちいち覚えていないが、おまえたちのうちの誰かが『そろそろ逮捕します』と言ってきたはずだ。なぁ、そうだろう?」
うつむき加減でひと言も発しない官邸スタッフの面々。答弁資料は結局「修正」され、誰が伝えたのか不明確なまま「8日午前0時ごろ、総理に逮捕方針を報告」との一文が付け加えられたという。
事件が起きた9月7日は民主党代表選の選挙戦真っただ中だった。官房長官の仙谷由人(64)が法務、外務両省幹部らと官邸で協議し、逮捕方針を了承した。一方、菅はこの日の夜、代表選候補として民放テレビ番組に出演。公邸には午後11時39分に戻り、眠りについた。
実際、9月30日の集中審議で菅への報告経緯に関するやりとりはなかった。仙谷は10月8日の参院本会議で「事件発生日の夜に、逮捕の予定だとの報告を受けた。その報告は、しかるべく総理にも私から報告した」と逮捕前に伝えたかのように語った。しかし、仙谷は具体的な報告時刻には言及しなかった。
■上空視察に「待った」
仙谷は9月7日夜の関係省庁幹部との協議の場で、衝突状況を撮影したビデオ映像を見て「操舵ミスとは考えられない。明らかに故意だ」と確認した。発生場所は日本固有の領土だが、中国が領有権を主張する尖閣諸島周辺。仙谷は「逮捕するのか。今後の日中関係に影響が出るなあ」と漏らした。中国側の反発は仙谷の予想を超えた。
逮捕直後、中国は水面下で副首相級の国務委員、戴秉国(たいへいこく)と外相(当時)の岡田克也(57)との電話会談を打診した。岡田はドイツ訪問中で、日本政府はまともに取り合おうとしなかった。これが胡錦濤(67)ら中国共産党政権の対日不信をかき立てた。
閣僚級以上の交流停止、邦人4人拘束、首相の温家宝(68)による衝突事件の「即時、無条件」の釈放要求…。中国側の矢継ぎ早の強行策に仙谷は慌てた。国土交通相の馬淵澄夫(50)が9月20日、官邸の了解を得ずに中国要人の表敬を辞退するや、仙谷は電話で何度も叱責。沖縄県知事の仲井真弘多(71)が尖閣諸島の上空視察を計画すると、仙谷がすぐに「待った」をかけた。
■菅政権の「不作為」
しかし、9月25日の船長釈放後も関係改善の糸口はつかめなかった。政府間チャンネルは途絶えたままだ。意を決した仙谷は携帯電話を握った。「中国行きは可能か」。電話先の相手は昨年12月に民主党元代表、小沢一郎68)が議員約140人を率いて訪中した際に事務総長を務めた党前幹事長代理、細野豪志(39)だった。
9月29日、北京空港で中国外務省が手配したベンツに乗り込んだ細野は午後3時ごろ、釣魚台(ちょうぎょだい)迎賓館に到着。「国賓並み待遇」の証しだった。部屋に姿を現したのは戴。会談は夜遅くまで続いた。
細野「事件で、日本国内の対中感情は厳しさを増している」
戴「こちらも国内的には簡単ではない。ハイレベルで意思疎通できるパイプ構築が必要だ」
両者は10月4日からベルギー・ブリュッセルでのアジア欧州会議(ASEM)首脳会議を機に、正式な日中首脳会談を設定するには至らなかった。
ただ、細野に同行した民主党職員が作成した極秘の報告書を目で追った仙谷は、中国側の関係改善への意思を読み取った。10月1日には仙谷自らが戴と電話で会談。菅が首脳会議スピーチで中国を直接批判しない方針が伝えられたとみられる。これが10月4日の菅と温の「あうんの呼吸」での会談、10月9日の拘束邦人釈放の伏線となった。
裏を返せば、隣国とのパイプづくりを怠ってきた現政権の「不作為」が事態の深刻化を招いた形だ。今後日中間で同様の問題が生じた場合、仙谷-戴ルートが機能するとは限らない。
「日本の雰囲気はどうだ」。5日に帰国した菅は、羽田空港から都心へ向かう車中で首相補佐官の寺田学(34)に電話をかけた。寺田が「温首相との会談に対しては、おおむね好意的ですよ」と答えると、菅は満足げに笑ったという。
■「360度からたたかれる」
だが、この1カ月間、事件対応は仙谷が取り仕切った。菅の口から出るのは、いら立ちの言葉ばかりだった。訪米直前の9月21日には中国人船長の扱いについて、周囲に「なぜ早く結論を出せないんだ」とぶちまけた。
菅というトップリーダーのこうした姿勢が、“異例”となった那覇地検の釈放判断に影響した可能性は否めない。
衆院予算委集中審議直前の9月30日朝。菅は公邸での答弁打ち合わせで、机を何度も平手でたたきながら、政治介入問題についてこう語った。
「おれは政治的関与があったのかは絶対に言わないぞ。この問題は政治的関与をしたと言ってもたたかれるし、しなかったと言っても『なんでしなかったのか』とたたかれる。360度からたたかれる話なんだ」(敬称略)
2010/10/12 20:09