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ニッポンのゆる~い日常

民進党の抗議に反論する-恫喝と圧力には屈しない

2017-03-31 11:50:27 | 民主党
【森友学園問題】


民進党の抗議に反論する-恫喝と圧力には屈しない 政治部長 石橋文登


http://www.sankei.com/premium/news/170331/prm1703310006-n1.html


民進党の皆さんは、なぜ政権を失い、なぜ今も国民に見放されたままなのか、まだお気づきになっていないようだ。


 学校法人「森友学園」(大阪市)問題で民進党の辻元清美衆院議員に関する本紙記事「辻元氏 3つの『疑惑』」(28日付)について、民進党は29日夕、柿沢未途役員室長名で抗議文を出した。30日付紙面に全文を掲載しているのでご参照願いたい。



 抗議文では、本紙記事を「ネット上に流布している流言飛語をあたかも根拠ある疑惑であるかのように報道した」と批判した。そもそも「根拠ある疑惑」というのは意味不明だが、続いて記事は「裏取り取材をすれば、容易に事実でない事が判明するものである」という表現は看過できない。


 言うまでもないが、担当記者は十分に取材した上で記事化している。辻元氏にも取材を申し込み、27日午後1時半すぎに質問書を事務所に送付、午後5時までの回答を求めた。ところが、事務所側は午後5時23分に「明日、確認が取れた段階で返答する」とFAXを送付してきたので、やむなくその経緯を入れて記事化した。翌28日午後5時23分、辻元氏側は回答書を出したので、その全文を29日付紙面に掲載した。



 回答書や抗議文の全文掲載は極めて異例な対応だといえる。にもかかわらず抗議文は、本紙記事を「流言飛語」「著しく公正を欠いた報道」「報道取材の基本を欠いた記事」などと罵倒しており、本紙は名誉を毀損された。撤回願いたい。


 一連の疑惑は十分に報道に値すると考えている。


まず「幼稚園侵入」疑惑に関し、辻元氏は「入ろうとした事実もございません」と回答したが、2月21日の大阪府庁の記者会見で「塚本幼稚園に行ってまいりました」と明言しているではないか。



 「作業員派遣」疑惑に関しても、学園の籠池諄子氏が安倍昭恵首相夫人とのメールで何度も指摘しているだけでなく、生コン業界から政治献金を受け取っている。いずれも辻元氏には説明責任がある。メール問題などをただすべく、昭恵氏の証人喚問を要求しながら、現職衆院議員が書面回答だけで済ましては筋が通らない。


 個々の案件でこれ以上反論しても仕方あるまい。もっとも問題なのは、民進党の隠蔽体質であり、恫喝体質である。


 自民党が昭恵、諄子両氏のメール内容を公開した際、民進党役員室は「メディア各位におかれては、このような誤った内容を拡散しないよう強く求めます」と文書で要請した。今回の抗議文も「他の新聞社は『疑惑』という書き方はせず、辻元議員側の否定コメントを淡々と報じているのみである」とわざわざ記した上で、本紙に対して「法的措置も含めた対応を検討する」と結んだ。


 蓮舫代表も30日の記者会見で「辻元さんに対する言動のファクトチェックは極めて容易にできる。にもかかわらず、疑惑と報道した新聞社に対しては抗議文と法的措置も含めて対応を考えている」と述べた。


 旧民主党政権時に恫喝ともとれる政治圧力を繰り返したあげく、人心が離れていったことをすっかりお忘れのようだ。自由で民主的な社会を守るためにも屈するわけにはいかない。蓮舫氏の「二重国籍」疑惑も含めて今後も政界の疑惑は徹底的に追及していきたい。


2017.3.31















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北の核ミサイルが使われるとき 核抑止態勢はもはや「最小限抑止」ではない

2017-03-17 12:16:35 | 正論より
3月17日付     産経新聞【正論】より



北の核ミサイルが使われるとき 核抑止態勢はもはや「最小限抑止」ではない 

防衛大学校教授・倉田秀也氏


http://www.sankei.com/column/news/170317/clm1703170005-n1.html



 本来、北朝鮮はその核戦力が米国には遥かに及ばず、通常兵力でも米韓連合軍に対して劣位に立つ条件のもとで、とるべき核態勢の選択肢は限られていた。それは「核先制不使用」を宣言して、核戦争を挑む意思がないことを明らかにしつつ、その核戦力を専ら米国の核による第1撃を抑止する第2撃として使用する核態勢であった。

 従ってその核戦力は、核戦争を戦い抜く能力ではなく、人口稠密(ちゅうみつ)な大都市に着弾できるなど、米国に第1撃を躊躇(ためら)わせる最小限でよかった。かかる核抑止態勢が一般に、「最小限抑止」と呼ばれる所以(ゆえん)である。

 だが近年-過去本欄でも幾度か指摘した通り-北朝鮮は「最小限抑止」の構築を目指す一方で、それとは相いれないレトリックが目に余る。「核先制不使用」とは逆行する「核先制打撃」はその最たる例だが、それは単なるレトリックだけではない。





≪「スカッドER」連射の意味≫


 3月6日、弾道ミサイルの連射は、北朝鮮が目指す抑止態勢がもはや「最小限抑止」だけでは説明できないことを装備の面から改めて示した。今回連射されたのは、既存の中距離弾道ミサイル「スカッドER」とされ、その射程は約1300キロ以上といわれる「ノドン」より短い約1000キロと推測される。


 今回「スカッドER」は、北朝鮮北西部の東倉里から発射されたが、東海岸を起点としても「ノドン」が射程内に収める東京には及ばない。だが、その短い射程にこそ、今回の連射の最大の意味があった。

 朝鮮中央通信は、今回の「スカッドER」連射が、朝鮮人民軍戦略軍火星砲兵部隊による「日本駐屯米帝侵略軍基地(複数)」への攻撃を念頭に置いたことを明らかにした。「スカッドER」が東海岸から発射された場合、佐世保、岩国など、朝鮮戦争で国連軍派兵の拠点となった基地を収める。

 人口稠密な都市よりも、あえて米軍基地を攻撃目標にする弾道ミサイルは「スカッドER」に限らない。昨年春から失敗を重ねた末に6月に成功させた「ムスダン」も同様と考えてよい。「ムスダン」の最大射程は約4000キロと推定され、その攻撃対象がアンダーセン米空軍基地を擁するグアム島であることは明らかであった。





≪「超精密化・知能化」が進展≫


 「スカッドER」「ムスダン」は、もはや米国に第1撃を躊躇わせる第2撃のための弾道ミサイルではない。朝鮮半島で戦端が開かれたとき、米軍による来援や、空爆のため在日米軍、アンダーセン米空軍基地の使用を阻止するための装備と考えなければならない。


 それにもかかわらず、米国がこれらの基地を使用し、北朝鮮に-非核手段であっても-空爆などの武力を行使した場合、危殆(きたい)に瀕(ひん)した北朝鮮が、これらの弾道ミサイルの使用を最後まで自制するか。第2撃の核戦力が核による第1撃を受けない限り使用されないのに対して、軍事作戦に組み込まれた核ミサイルは、第1撃を受ける以前に使用される可能性を孕(はら)む。


 しかも、第2撃能力の核戦力に求められるのは破壊力であって、高い命中精度は必ずしも必要ないのに対し、軍事作戦に組み込まれた装備には、破壊力もさることながら、何よりも命中精度が求められる。この文脈から、金正恩朝鮮労働党委員長が、同行した核兵器、ロケット研究部門科学者らに向けて行った発言-「超精密化・知能化されたロケットを絶えず開発し、質量的に強化する」-には応分の注意が払われてよい。

 これに似た文言は、2015年2月の朝鮮労働党政治局会議の決定書の「現代戦の要求に即した精密化、軽量化、無人化、知能化されたわれわれ式の威力ある先端武力装備をより多く開発する」との一文にある。そのときすでに北朝鮮は、核戦力を軍事作戦に組み込むことを想定していた。今回の「スカッドER」連射は、それがわずか2年の期間に一定の成果を収めたことになる。





≪「最小限抑止」では説明つかぬ≫


 今回の「スカッドER」連射を報じた朝鮮中央通信が、これを「実験」ではなく一貫して「訓練」と呼び、「核戦弾頭取扱い順序と迅速な作戦遂行能力を判定・検閲するために進行した」と報じたことも、この文脈から理解されるべきだろう。昨年9月の第5回核実験の際に「核兵器研究所」は核弾頭の「標準化・規格化」に触れ、核弾頭の量産化を示唆していた。今回の「訓練」は核弾頭が一定数に達するという前提で、それを既存の弾道ミサイルに装填(そうてん)することを目的としたということか。

 今日の北朝鮮は、無条件の「核先制不使用」を宣言したかつての北朝鮮ではなく、それが目指す核抑止態勢ももはや「最小限抑止」だけでは説明がつかない。しかし、それは単なるレトリックではなく、軍事技術の進展に裏づけられている。日本に配備されるミサイル防衛が、北朝鮮の核態勢の「進化」に後れをとるなどということはあってはならない。(防衛大学校教授・倉田秀也 くらたひでや)










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聖徳太子を「厩戸王」とし、「脱亜入欧」を貶める 「不都合」な史実の抹消狙う左翼に警戒を

2017-03-15 09:11:37 | 正論より
3月15日付    産経新聞【正論】より


聖徳太子を「厩戸王」とし、「脱亜入欧」を貶める 「不都合」な史実の抹消狙う左翼に警戒を 

東京大学名誉教授・平川祐弘氏



http://www.sankei.com/column/news/170315/clm1703150005-n1.html



 昭和の日本で最高額紙幣に選ばれた人は聖徳太子で、百円、千円、五千円、一万円札に登場した。品位ある太子の像と法隆寺の夢殿である。年配の日本人で知らぬ人はいない。それに代わり福沢諭吉が一万円札に登場したのは1984年だが、この二人に対する内外評価の推移の意味を考えてみたい。



 ≪平和共存を優先した聖徳太子≫


 聖徳太子は西暦の574年に「仏法を信じ神道を尊んだ」用明天皇の子として生まれ、622年に亡くなった。厩(うまや)生まれの伝説があり、厩戸皇子(うまやどのみこ)ともいう。推古天皇の摂政として憲法十七条を制定した。漢訳仏典を学び多くの寺院を建てた。今でいえば学校開設だろう。

 仏教を奨励したが、党派的抗争を戒め、憲法第一条に「和ヲ以テ貴シトナス」と諭した。太子は信仰や政治の原理を説くよりも、複数価値の容認と平和共存を優先した。大陸文化導入を機に力を伸ばそうとした蘇我氏と、それに敵対した物部氏の抗争を目撃したから、仏教を尊びつつも一党の専制支配の危険を懸念したのだろう。


 支配原理でなく「寛容」をまず説く、このような国家基本法の第一条は珍しい。今度、日本が自前の憲法を制定する際は、前文に「和ヲ以テ貴シトナス」と宣(の)べるが良くはないか。わが国最初の成文法の最初の言葉が「以和為貴」だが、和とは平和の和、格差の少ない和諧社会の和、諸国民の和合の和、英語のharmonyとも解釈し得る。日本発の世界に誇り得る憲法理念ではあるまいか。





 ≪独立自尊を主張した福沢諭吉≫


 ところで聖徳太子と福沢諭吉は、日本史上二つの大きなターニング・ポイントに関係する。第一回は日本が目を中国に向けたとき、聖徳太子がその主導者として朝鮮半島から大陸文化をとりいれ、古代日本の文化政策を推進した。第二回は Japan’s turn to the West 、日本が目を西洋に転じたときで、福沢はその主導者として西洋化路線を推進した。

 明治維新を境に日本は第一外国語を漢文から英語に切り替えた。19世紀の世界で影響力のある大国は英国で、文明社会に通用する言葉は英語と認識したからだが、日本の英学の父・福沢は漢籍に通じていたくせに、漢学者を「其功能は飯を喰ふ字引に異ならず。国のためには無用の長物、経済を妨る食客と云ふて可なり」(学問のすゝめ)と笑い物にした。


 このように大切な紙幣に日本文化史の二つの転換点を象徴する人物が選ばれた。二人は外国文化を学ぶ重要性を説きつつも日本人として自己本位の立場を貫いた。聖徳太子はチャイナ・スクールとはならず、福沢も独立自尊を主張した。太子の自主独立は大和朝廷が派遣した遣隋使が「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙(つつが)なきや」と述べたことからもわかる。日本人はこれを当然の主張と思うが、隋の煬帝(ようだい)は「之(これ)を覧(み)て悦(よろこ)ばず、〈蛮夷の書、無礼なるもの有り、復(ま)た以(もっ)て聞(ぶん)する勿(なか)れ〉と」いった(隋書倭国伝)。



 中華の人は華夷秩序(かいちつじょ)の上位に自分たちがおり、日本は下だと昔も今も思いたがる。だから対等な国際関係を結ぼうとする倭人(わじん)は無礼なのである。新井白石はそんな隣国の自己中心主義を退けようと、イタリア語のCina(チイナ)の使用を考えた。支那Zh●n★は侮蔑語でなくチイナの音訳だが中国人には気に食わない。

 東夷の日本が、かつては聖人の国として中国をあがめたくせに、脱亜入欧し、逆に強国となり侵略した。許せない。それだから戦後は日本人に支那とは呼ばせず中国と呼ばせた。




 ≪学習指導要領改訂案に潜む意図≫


 アヘン戦争以来、帝国主義列強によって半植民地化されたことが中華の人にとり国恥(こくち)なのはわかるが、華夷秩序の消滅をも屈辱と感じるのは問題だ。


 その中国はいまや経済的・軍事的に日本を抜き、米国に次ぐ覇権国家である。中華ナショナリズムは高揚し、得意げな華人も見かけるが、習近平氏の「中国の夢」とは何か。華夷秩序復興か。だが中国が超大国になろうと、日本の中国への回帰 Japan’s return to China はあり得ない。法治なき政治や貧富の格差、汚染した生活や道徳に魅力はない。そんな一党独裁の大国が日本の若者の尊敬や憧憬(しょうけい)の対象となるはずはないからだ。



 しかし相手は巧妙である。日本のプロ・チャイナの学者と手をつなぎ「脱亜」を唱えた福沢を貶(おとし)めようとした。だがいかに福沢を難じても、日本人が言語的に脱漢入英した現実を覆すことはできない。福沢は慶応義塾を開設し、英書を学ばせアジア的停滞から日本を抜け出させることに成功した。だがそんな福沢を悪者に仕立てるのが戦後日本左翼の流行だった。

 これから先、文科省に入りこんだその種の人たちは不都合な史実の何を消すつもりか。歴史は伝承の中に存するが、2月の学習指導要領改訂案では歴史教科書から聖徳太子の名前をやめ「厩戸王」とする方針を示した由である。(東京大学名誉教授・平川祐弘 ひらかわ・すけひろ)



●=マクロン付きi

★=グレーブアクセント付きa










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日本国憲法は安保の適切な条文を欠いている 「放置」は国の安全揺るがす

2017-03-03 10:41:16 | 正論より
3月3日付    産経新聞【正論】より



日本国憲法は安保の適切な条文を欠いている 「放置」は国の安全揺るがす


駒沢大学名誉教授・西修氏


http://www.sankei.com/column/news/170303/clm1703030004-n1.html



 南スーダンの国連平和維持活動(PKO)へ派遣された陸上自衛隊が、昨年7月に作成した『日々報告』(日報)に、「戦闘」という文言が記載されていたことをめぐり、民進党など野党が政府を追及した。

 「戦闘」が行われているのであれば、PKO派遣の前提となる「紛争当事者間の停戦合意」が崩れているのではないかというのが、その言い分である。

 稲田朋美防衛相は、「一般的な用語では戦闘であるが、法的な意味では戦闘ではなく、武力衝突である」と説明した。




≪民進党のブーメラン現象が再現≫


 政府は従来、「戦闘行為とは、国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し、又は物を破壊する行為をいい、国際的な武力紛争とは、国家又は国家に準ずる組織との間において生ずる武力を用いた争いをいう」と定義づけ、それ以外を「武力衝突」であるとの答弁を繰り返してきた。いったい「国家に準ずる組織」とは具体的にどのような組織をいうのかなど、分かりにくさは否めない。

 昨年7月には、南スーダンの首都ジュバで、政府派と反政府派との間で戦車も出動する大規模な武力衝突が起こり、数百人の死傷者が出るという事態にまで発展した。その様子を見た自衛隊員が、素直に「戦闘」と記述したのだろう。


 実は、民主党内閣時代の平成24年春、隣国のスーダン軍が南スーダンを空爆し、また一部地域で地上戦が起き、市民や他国の国連PKOにも被害が発生した。

 このときの『報告』にも、「戦闘」と記されていたという(平成29年2月20日付産経新聞)。


 これに関して、自民党の佐藤正久参議院議員が2度にわたり、質問主意書を提出。民主党政府は、野田佳彦内閣総理大臣名で「事案が国連南スーダン共和国ミッションの活動地域以外で発生しており、規模も限定されていること」などをあげ、「総合的に勘案すると、国連ミッションの活動地域において武力紛争が発生しているとは考えない」との答弁書を示した(平成24年5月29日)。『報告』とは逆の結論を下したのである。何のことはない。いまや国会名物となった民進党のブーメラン現象が再現したということだ。




≪繰り返される「言い換え」の歴史≫


 私がここでこの案件を取り上げたのは、民進党を揶揄(やゆ)するためだけではない。一般的には「戦闘」と映る現象を、「戦闘」と書けない不思議さを指摘したいのである。

 稲田防衛相は述べている。「戦闘行為と書けば、憲法第9条に抵触しかねないので、武力衝突と言い換えるのだ」と。まさしく、このような「言い換え」「読み替え」の繰り返しが、憲法第9条関連解釈の歴史だったといえる。


 その典型が「戦力」に関する政府解釈である。政府は、自衛隊の前身たる警察予備隊や保安隊時代、「戦力とは、有効適切に近代戦争を遂行し得る程度の装備編成を備えるもの」と読み、また自衛隊が発足すると、「自衛のため必要最小限度を超える実力」と読み替え、いずれも「憲法の禁止する戦力には当たらない」との解釈を示してきた。


 私自身は、自衛のためであれば「戦力」の保持は禁じられていないという立場をとるが、ここでは立ち入らない。けれども、いまや最新兵器を具備し、世界的にも有数な実力集団である自衛隊は、一般的に「戦力」に該当すると見るのが常識というものであろう。

 先日、米国の新聞記者から、「どうして自衛隊が戦力でないのか」と問われ、説明するのにたいそう時間を費やさなければならなかった。




≪9条政府解釈の点検が必要だ≫


 政府がなぜ、第9条関連で「言い換え」「読み替え」を続けてこなければならなかったのか。それは、畢竟(ひっきょう)するに、日本国憲法が安全保障に関する適切な条文を欠いているからにほかならない。そして、このような憲法体制を放置してきたことに本源的な問題がある。


 政府の最大の責務は、国の平和と国民の安全を確保することにある。憲法に明確な規定がなければ、たとえ「言い換え」にせよ、その責務に応えなければならない。そのためには一般用語と多少異なっても、意味を整えなければならない。

 政府解釈の問題点を指摘することは大切だが、そのような解釈を余儀なくさせてきたのは国民自身であることも、自覚しなければならないのではなかろうか。


 間もなく日本国憲法が施行されて70周年を迎える。昨年9月には内閣法制局からA4判549ページに及ぶ過去から先ごろの集団的自衛権の解釈変更にいたるまでの膨大な答弁例集が公開された。このたび情報公開請求により、そのすべてが刊行(『内閣法制局「憲法関係答弁例集」(第9条・憲法解釈関係)』内外出版)されたが、第9条に関連する政府解釈を広く検証し、その整合性を点検する必要があるのではないだろうか。(駒沢大学名誉教授・西修 にしおさむ)










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日本のEEZ内に数百隻の大船団…中国漁船の進出防ぐ海上警備の改革急務だ

2017-03-02 17:50:12 | 正論より
3月2日付    産経新聞【正論】より



日本のEEZ内に数百隻の大船団…中国漁船の進出防ぐ海上警備の改革急務だ

東海大学教授・山田吉彦氏


http://www.sankei.com/column/news/170302/clm1703020005-n1.html



≪北朝鮮が操業許可を付与か≫


 長崎県壱岐市の漁師から先頃、「日本海中央部の大和堆付近で中国らしい漁船が漁をしているのを目撃した」との情報を入手した。その海域は、日本の排他的経済水域(EEZ)内であり、外国漁船の操業は禁じられている。


 また2月18日にはNHKが石川県の漁民が撮影した大和堆付近で操業する中国の大型漁船と北朝鮮のイカ釣り漁船の映像を報道した。中国漁船には中国南部の海南島に拠点を置く船であることを示す船名が書かれ、北朝鮮漁船には「清津」と母港名が書かれていた。さらに、映像ではレーダーの画像の中に、日本のEEZ内に進入している数百隻に上る大船団が映っていた。


 韓国からの報道によると北朝鮮は、同国沖海域の漁業権を中国企業に売却しているという。1隻あたり、期間3カ月で200万円相当。既に300隻に操業許可を与えたとされる。

 これとは別に700隻ほどの中国漁船団の存在が報告され、北朝鮮沖から日本の海域に進出しているもようだ。

 北朝鮮は日本海に対する影響力の拡大をもくろみ、昨年9月には、わが国のEEZ内にミサイルを落下させるなど、日本海を狙った活動を活発化させている。同国にとって日本海は、経済的に結び付きが強いロシア極東地域や中国をつなぐ重要なシーレーンだ。


 また、中国にとっても北太平洋への最短航路であるほか、ロシアにとっては極東開発や、2018年に商業実用化が始まる北極海航路につながる重要な海域であり、戦略的価値が大きい。






≪漁場からの日本船締め出しを狙う≫


 北朝鮮の相次ぐ日本海へのミサイルの発射には、単に実験だけにとどまらず、日本海への影響力を誇示する狙いが込められているとみられる。そしてその後ろには、日本海にも触手を伸ばす中国の影が見え隠れする。

 北朝鮮では金正恩体制の下で強引な漁業振興を進めているが、漁船が貧弱で順調にいっているとは言い難い。

 昨年11月に、京都府舞鶴市の海岸に漂着した北朝鮮の木造漁船から9人の男性の遺体が発見されたが、昨年だけで日本の沿岸に漂着した北朝鮮船は66隻に上っており、航行能力の低さを物語っている。

 そこで、大規模な中国船団を引き入れ、入漁料として現金を得る一方、水揚げの一部を取得しているとされる。水産資源が欲しい北朝鮮と海洋進出を進めたい中国との利害が一致したといえる。

 中国漁船は、北朝鮮の清津港付近に拠点を置いて、期間内に可能な限り魚を取り続け、冷凍して運搬船や陸路で本国へと輸送している。遠く中国本土や海南島から漁船団を送った場合、燃料代がかかり、採算がとれないためだ。


 また、海南省の漁民の多くは軍事訓練を受けており、乗船しているのは海上民兵と呼ばれる漁民の可能性が高い。やがて「中国漁船の保護」を名目に、日本海にも中国海警局の船が姿を現すのは間違いないだろう。

 中国の大船団が姿を現すと、水産資源が一気に枯渇する一方、日本漁船が中国漁船団に囲まれて威嚇行為を受けるおそれが高い。五島沖や小笠原海域では、大量の中国漁船が入り込み、漁場から日本漁船が締め出されている。


 自らの影響下に置きたい海域に大規模な漁船団を送り込んで「支配」をもくろむのは、中国の常套(じょうとう)手段だといえる。今回も北朝鮮沖を足掛かりとして、日本海進出に布石を打ったのではないか。南シナ海や尖閣諸島のケースと同様に、いずれ「日本海は、歴史的に中国民族が漁業や交易の拠点としてきた中国の海である」と主張してくることも考えられる。





≪海上保安庁だけでカバー困難≫


 石川県の漁業団体から中国船、北朝鮮船による密漁の取り締まりを要請されている水産庁も、いまのところ実効性のある施策が打てていない。また海上保安庁の警備は、東シナ海に重点が置かれ、日本海警備に割く割合は限られる。

 現状では広大な日本海の警備を海上保安庁だけでカバーすることは困難である。まずは中国漁船の動向をいち早く把握するために、防衛省などと情報連携を強化する一方、ヘリコプターも含めた航空機を増やし、大型巡視船や高速巡視船との統合運用を進めるなど抑止力を高める必要がある。日本海の出入り口となる対馬、津軽、宗谷の各海峡の警戒も怠れない。

 日本は海洋立国であり、海運が経済を支えている。さらに、EEZ内の水産資源が人々の食生活に貢献し、メタンハイドレートや海底熱水鉱床などの海底資源は未来の日本を築く。


 海上保安庁の業務を警察の業務と整理統合し、機動力を持った本格的なコーストガード体制に移行するなど、広大な日本の海を守るための海上警備態勢の大規模な改革が急がれる。海を守ることは日本と国民生活を守ることである。強い危機意識をもって対処することが必要だ。(東海大学教授・山田吉彦 やまだよしひこ)







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