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ニッポンのゆる~い日常

切腹した大学生

2012-12-29 19:35:38 | 日本
切腹した大学生


http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121229/crm12122907340000-n1.htm


 昨年12月8日朝、石川県金沢市の石川護国神社で、22歳の金沢大生が切腹自決した。彼は北海道出身で金沢市に住む大学4年生、Sさんであった。警察が調べたところ、腹部と首に深い刺し傷があり、近くにはナイフと透明のビニールシートにくるまれた日章旗があった。


 Sさんはナイフで腹を十字に切った後、自ら頸(けい)動脈を切って自決したものと判明した。この日は小雨が降っており、国旗を濡らさないようにビニールに包んだものと思われた。彼は黒のスーツにワイシャツ姿で、靴は脱いでそろえておいてあり、同日未明に人知れず自決したものとみられた。


 彼が切腹した場所は、護国神社の境内でも奥まったところにある清水澄博士顕彰之碑の前であった。清水博士は慶応4年、金沢市の出身、東京帝大出身の憲法学者で、大正天皇、昭和天皇に憲法を講義したこともあった。その後、枢密顧問官などをへて、昭和21年から最後の枢密院議長を務めた。戦後の新憲法施行に反対し、施行の年の昭和22年9月25日、「幽界より国体護持と皇室安泰、今上陛下の御在位を祈願す」との自決の辞を残し、静岡県の熱海の海岸で投身自殺をした。その後、出身地の石川護国神社境内に顕彰之碑が建てられた。


 昨年の12月8日は、昭和16年12月8日の大東亜戦争(太平洋戦争)開戦から70年。Sさんは大学で安全保障問題ゼミに属し、日頃、ゼミ仲間らに、日本の安全保障の在り方について、熱っぽく語っており、自決のかなり前から、政府がきちんとした安全保障政策をとらないことに絶望する発言をしていたという。

 彼が自決した前年には、中国の漁船が尖閣諸島の領海で海保の巡視船に衝突、民主党政権が船長を釈放してしまうという失態を演じており、領土問題があらためてクローズアップされていた。


 この事件は大学生の単なる自殺事件として処理され、地元メディア以外はほとんど報道されなかった。だが、平成生まれの青年が、日本の安全保障政策に絶望して、切腹という手段で死を選んだ意味は決して小さくない。

 小雨降る中、暗い神社の境内で、靴を脱いで正座し、人知れず十字に切腹して頸動脈を切るというのは、なまなかな覚悟ではできない。これは国家、政府、国民に対する諫死(かんし)であり、憤死でもあろう。一周忌に当たり、あえて記した。

2012.12.29 07:33









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「安全運転」だけの内閣でいいか

2012-12-27 09:24:46 | 正論より
12月27日付     産経新聞【正論】より



「安全運転」だけの内閣でいいか    評論家、拓殖大学大学院教授・遠藤浩一氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121227/plc12122703080003-n1.htm


 第2次安倍晋三内閣が発足した。熟慮を重ねた人事の狙いは、来夏の参議院選挙までは外交・安全保障などでは「安全運転」を心がける一方で、経済再建に全力を傾注し、実績を上げて選挙に臨み、“ねじれ”を解消しよう、ということのようである。



 ≪政権維持が自己目的化しては≫


 政権が1年や2年で頻繁に交代する事態は好ましくないと、誰もが言う。だったら、ここは安倍氏に長期政権を託せばよさそうなものだが、国民はそこまで腹をくくっていないし、なにせ同氏への一方的な批判を社是とする新聞社もあるのだから、いつ足を引っ張られるか知れたものではない。ここは「安全運転」にしくはなし-。

 まあ、この程度のことは、誰もが考える。筆者も、当面の方針として、これもやむなしと思う。


 しかし、「安全運転」とか「まずは経済」といったスローガン自体に罠(わな)がひそんでいることも、承知しておいたほうがいい。

 言うまでもなく、第二次安倍内閣の使命は経済再建にとどまるものではない。外交・安全保障、教育など、戦後の長きにわたって歪(ゆが)みを増幅させてきた諸分野の是正-安倍氏の表現を借りるならば「戦後レジームからの脱却」、あるいはその象徴的事案としての憲法改正こそが、本質的課題だろう。慎重な政局運営も、安定的な政治基盤の確立も、課題解決のための手段でしかない。


 ところが政治の現場では、目的が手段に呑(の)み込まれてしまうということが往々にして起こる。かつての自民党は、政権の維持という手段がいつしか目的と化し堕落していった。それは安倍氏自身、折節に指摘してきたところである。

 昭和30年に結党した自由民主党の党是は、経済成長・社会保障から国防・安全保障にいたる総合的な国家再建であり、自主憲法制定が中心課題だった。安倍氏の祖父・岸信介首相はその主導者だったが、安保改定で精力の大半を使い果たし、昭和35年、志半ばにして退陣する。





 ≪「古い自民」の轍踏んだ民主≫


 後継した池田勇人首相は「経済政策しかないじゃないか、所得倍増でいくんだ」(伊藤昌哉『池田勇人』)と、経済成長にナショナル・インタレストを特化させる路線を歩み、その後の自民党は政権維持のために分配を駆使する政党と化す。その遺伝子は自民党を経て民主党に継承された。3年3カ月にわたる民主党政権の惨めな失敗は、畢竟「古い自民党」の失敗にほかならなかったといえる。

 池田氏は、「自分の内閣では憲法改正を議論しない」と明言した最初の自民党総裁だが、政治指導者がそんなことを口走れば、豊かさを手にしつつあった国民が憲法改正に対して投げやりになるのも当然である。政治家の発言は良くも悪くも国民を動かす。そして、豊かさの獲得には、国家的課題への切迫感を麻痺(まひ)させるという副作用があった。「古い自民党」の最大の罪はこうした副作用を等閑に付し、しかも党是たる自主憲法制定から逃げてきたところにある。


 安倍氏がいま採用しようとしているのは一見、池田氏のやりかたのようにも見える。もちろんそれは、「古い自民党」から脱皮して日本を再建するという、真の「目的」を達成するための「手段」に違いないと信じる。しかし、政治家の便宜主義が憲法改正への切実感を麻痺させたという教訓を忘れてはならない。




 ≪安倍氏は所信を訴え続けよ≫


 その意味でも、「安全運転」とか「まずは経済」といった安易な便宜主義は曲者(くせもの)だ。国民に対して、勇気をもって自らの所信を、不断に、愚直に訴え続けることこそ肝要ではないか。


 さて、戦後一度首相を退いて再びその座に返り咲いたのは、昭和23年秋の第2次吉田茂内閣以来である。吉田氏は翌24年1月の総選挙で民主自由党を圧勝させ第3次内閣を発足して以降、復興と主権回復という難事業と、本格的に取り組むこととなるわけだが、このとき彼は、選挙での勝利に満足せず、民主党を分断して犬養健氏らの政権への取り込みをはかっている。保守合同によって「政局の長期安定を確保し、国家再建をなしとげたい」(『回想十年』)と考えたのである。

 安倍氏にとっても国家再建が究極の政治課題である筈(はず)だ。その前提として「政局の長期安定」が必要なのであり、そのためにいまのところ「安全運転」に徹するということだろう。しかし、自民党と公明党という枠組みの復活が、果たして「政局の長期安定」を保証するだろうか。安倍氏の構想する「国家再建」を実現することになるだろうか。


 自公政権の復活は、言ってみれば3年4カ月前の「古い政権」の再現でしかない。むしろ「維新の会」などを巻き込むかたちで保守政党の合同を実現することによって、はじめて国家再建への展望が拓(ひら)けるのではないかと思われるのだが、「安全運転」の自己目的化はその芽を摘むことになりはしないか? そんなこと、新首相は、百も承知だとは思うが。(えんどう こういち)














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「安倍日本」どこが右傾化なのか

2012-12-27 09:20:49 | 正論より
12月26日付     産経新聞【正論】より


「安倍日本」どこが右傾化なのか   元駐タイ大使・岡崎久彦氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121226/plc12122603160002-n1.htm



 安倍晋三内閣の成立を迎えて、内外に、日本の右傾化を懸念する声があるという。



 ≪まだまだ平和ボケを脱せず≫


 私にはどうもそれが理解できない。客観的に見て、日本は右傾化どころか、まだまだ、世界の常識からはずれたパシフィスト(日本語の平和主義者より、やや悪い意味がある)国家だと思っている。

 それは国際的に比較してみればすぐわかる話だと思う。冷戦期、ソ連の脅威が厳しかったころ、「あなたは日本を守るために戦いますか」という世論調査とその国際比較があったように記憶する。

 記憶に頼る古い話なので不正確かもしれないが、世界の平均が80%ほどだったとすれば、日本の場合は50%をはるかに下回っていた記憶がある。

 現在もう一度世論調査をすれば、おそらくは50%を超えているかもしれない。それでも、国際水準より遥(はる)かに低く、右傾化というよりも、正常化、あるいはまだパシフィストから抜けきっていないという結果が出るであろう。

 同時に、私が年来日本の政治学者に解明してほしいと思っているのは、右傾化ではなく、日本における右翼運動の凋落(ちょうらく)現象である。


 日本における右翼運動の歴史は長い。明治の頭山満、昭和初期の大川周明、北一輝からの伝統があり、戦後も、本命右翼といわれた大東塾、赤尾敏の大日本愛国党などは六〇年安保、七〇年安保の頃に活躍していた記憶がある。


 私は情報関係事務に関与してきたこともあり、ある時期まではその種の情報にも絶えず接してきた。それが途切れて既に久しい。もう今は、注視を怠れない、ある程度の社会的影響力のある右翼団体は存在しないらしい。




 ≪右翼思想とはもう無縁の社会≫


 2006年の加藤紘一邸放火事件後、「今や30年代の右翼テロ時代の再来」という警鐘を鳴らそうとしたテレビ番組で、私は、「挫折した老右翼の単独犯」とコメントして、参加者たちを鼻白ませたことがあった。それも右翼凋落情報を知っていたからである。

 ヨーロッパでは、外国移民排斥などの右翼思想を掲げる政党が、今でもかなりの影響力を持っているが、自民党周辺、安倍内閣周辺には、そんな匂いもしない。今回の総選挙では、小政党が乱立したが、ヨーロッパの右翼に相当するような党はなかった。一つぐらいあってもよさそうなものなのに皆無だったということは、日本が右翼思想から無縁の社会だということを示している。


 右傾化でないとすれば、正常化への過程であろうが、国際政治の現実においては、日本はまだとても正常といえない状態である、バランス・オブ・パワーのパートナーとして必要とされる場合その期待を満たしてきていない。

 1978年の日中平和友好条約の際の中国側の関心は対ソ包囲網の形成であり、当時中国側は日本に対して国内総生産(GDP)3%の防衛費を期待していた。日本にその気があれば、尖閣問題などはとうに解決していただろう。台湾問題も、当時はまだワシントンに五星紅旗と青天白日満地紅旗の両方が立っていた時代でもあり、対ソ防衛協力を梃子(てこ)に台湾関係の改善もあり得た時機であった。

 79年のソ連のアフガニスタン侵攻後、アメリカが同盟国に軍備増強を呼び掛けたときは、日本はよくそれに応えて中曽根-レーガン時代を築いたが、高度成長期でありそれでもGDP1%程度にとどまった。それが冷戦後、GDPの4%を使った米国に比べられて、「冷戦は終わったが、儲(もう)けたのは日本だ」と、「勝利にタダ乗りをした」日本たたきが行われた。

 当時の日本バッシングの激しさは、あの頃日本経済をになった世代の忘れ得ない経験である。





 ≪米国には日本の協力が不可欠≫


 時は移って、今は、米国は対中戦略に軸足を移す「アジア・ピヴォット」を呼号しながら、財政の赤字に悩み、同盟国、友好国の協力を強く望んでいる状況である。


 安倍自民党圧勝直後の米国の論調を見ると、マイケル・オースリン氏は米紙ウォールストリート・ジャーナルで日本は少しも右傾化などはしていないと論じ、ジョン・リー氏はニューヨーク・タイムズで右傾化などは一言も論じず、安倍内閣が中国に対して毅然(きぜん)として立ち向かう姿勢を歓迎すると述べている。日本の右傾化については、ジャーナリスティックな報道や解説記事の中では、1、2パラグラフ触れているものもあるが、社説の類いで正面からこの問題を論じたものはあまりない。


 中曽根康弘政権、小泉純一郎政権のような長期政権は、強固な日米信頼関係の上に立っていた。佐藤栄作長期政権は米国の信を失って、ニクソン・ショックを受けて転落した。

 アメリカは、今やその国策であるアジア・ピヴォットのために日本の協力が不可避となっている。

 日本としては、防衛態勢を強化し、集団的自衛権の行使を認めて日米協力関係を強化することによって、日米関係を強固なものとするチャンスである。(おかざき ひさひこ)














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安倍政権は「尖閣決戦」に備えよ

2012-12-20 11:42:40 | 支那(中国)
【石平のChina Watch】

 安倍政権は「尖閣決戦」に備えよ


http://sankei.jp.msn.com/world/news/121220/chn12122011140003-n1.htm



 今月13日、尖閣諸島の魚釣島付近で中国国家海洋局所属のプロペラ機1機が領空侵犯した。中国機による日本の領空侵犯は自衛隊が統計を取り始めた1958年以来初めてである。


 今年9月に日本政府による尖閣諸島国有化の後、中国の公船が周辺海域に出没する事態が続いている。領空侵犯が行われた13日にも海洋局の海洋監視船4隻が領海に侵入した。習近平政権が誕生してから1カ月あまり、尖閣諸島やその付近の海域で日本側はいかなる単独行動も取っていない。それなのに中国側は一方的な挑発行為を執拗(しつよう)に繰り返してきた。そして13日、習政権はとうとう、日本領空への侵犯に踏み切った。


 翌14日、中国の楊潔●外相は人民日報に寄稿して習政権の対外政策を語った中で、日本側の尖閣国有化に関して、「断固として日本との闘争を行う」と明言した。日中国交回復40年、中国の外交責任者の口から「日本と闘争する」という激しい言葉が吐かれるのは初めてであろう。



 一国の外相が外交上最低限の礼儀や配慮も顧みず、「闘争する」という赤裸々な“対敵国用語”を使い始めたことは、習政権が実質上の「対日敵視政策」にかじを切ったことの証拠であろう。同じ日に、人民日報系の環球時報は社説を掲載し、尖閣へ向かって中国軍機を派遣するなど「あらゆる行動をとる権利を保留する」と言って露骨な軍事恫喝(どうかつ)を行った。


 このような好戦的な対日敵視政策の出現は、最近になって露呈した習政権の軍国主義化傾向とは無関係ではない。今月12日、新華通信社が伝えたところによると、習氏は8日と10日の2日にわたり、中央軍事委員会主席の肩書で広東省にある「広州戦区」所属の陸軍部隊と海軍艦隊を視察した。

 その中で習氏は陸軍と海軍の両方に対して「軍事闘争の準備を進めよう」と指示したのと同時に、「中華民族復興の夢はすなわち強国の夢であり、すなわち強軍の夢である」と熱っぽく語り、彼自身が旗印にしている「民族復興」というスローガンの真意はすなわち「強国強兵」であることを宣した。

 さらに注目すべきことに、新華通信社が上述の軍視察を伝えたとき、中国人にも耳新しい「広州戦区」という言葉を使った。今までの軍制では全国をいくつかの「軍区」に分けて軍を配備しているから、普段は「軍区」という言葉が使われているが、「戦区」という表現が出たのは今回が初めてだ。表現の変化の一つでも、今の習近平体制下の中国がすでに「戦時体制」への移行を始めたことを意味しているのであろう。


 そして習氏による「戦区視察」の直後に、中国が直ちに軍事的リスクの高い対日領空侵犯を断行したことからすれば、彼らの戦時体制作りは一体何のためのものなのかがよく分かってくるのではないか。

 おそらく今後、軍事的恫喝をバックにして尖閣付近の日本の領海と領空への侵犯を徹底的に行うことによって、尖閣に対する日本側の実効支配を切り崩し、それを打ち破っていくというのが習政権の常套(じょうとう)手段となっていくだろう。日本にとってそれは領土と主権の喪失を意味する正真正銘の安全保障の危機なのである。


 今やもはや、「日中関係の改善」云々(うんぬん)というときではない。領海と領空が恣意(しい)に侵犯されている中で、「関係改善」の余地は一体どこにあるのか。まもなく誕生する安倍政権が直面する大問題はむしろ、中国の「新軍国主義」に挑まれてきた「尖閣決戦」にいかに備えて日本の領土と主権を守り抜くのかである。

2012.12.20 11:11



                            ◇




【プロフィル】石平

 せき・へい 1962年、中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。

●=簾の广を厂に、兼を虎に







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「日本健全化」の第一歩が始まる 

2012-12-18 09:07:25 | 正論より
12月18日付     産経新聞【正論】より


「日本健全化」の第一歩が始まる    杏林大学名誉教授・田久保忠衛氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121218/elc12121803110076-n1.htm


 少なくとも自民党幹部は勝って奢(おご)らず、敗者の民主党に対しても部分的政策協議に応じたい、と相手を尊重する武士道的態度は示していた。安倍晋三総裁は首相就任後に訪米すると明言した。戦後最大の困難と称していい国際情勢の中で打つべき手の優先順位を知っているからだろう。総選挙は手段であって、結果を利用して国家の再建をするのだと石破茂幹事長は淡々と述べていた。自民党当選者多数の抱負なるものを聞いてきたが、ひたすら投票者に媚(こ)び、選挙区のために全力を尽くすなどと涙を流している手合いが少なくない中だったので、2人の深沈たる態度が目立ったのかもしれない。




 ≪脱原発、卒原発…は敗退した≫


 とにかく、「戦後」を清算しなければならないという一大宿題を抱えている日本にとって絶望的なのは、選挙民の前で繰り広げられる大衆迎合的な政治家の振る舞いが年々、大袈裟(おおげさ)になってきていることである。ポピュリズムは民主主義には付き物だから、ある程度は仕方がないにしても、自分こそは世界一誠実で被害者の心の痛みが分かる、と自称する候補者が偽善者ぶりの競争を始めたら、どのような結果になるのだろうか。「反原発」「卒原発」「原発即時ゼロ」…。最後には「元祖・反原発」の虚言が飛び交った。これを煽(あお)り立てた報道機関はどことどこであったか。罪は深い。

 40に近い原発立地選挙区で当選したのは、条件付きながら原発を容認する自民党候補者だった。当選者の中に民主党幹部数人が含まれているが、知名度の高い人々であるから、原発立地選挙区であるなしにかかわらず、もともと当選するとみられていた。これは何を意味するのだろうか。何の責任も持たずに平和と叫ぶ偽者と同様、反原発を売り物にする政治家には、いかがわしい者が混じっているということを物語ってはいないか。被災地、被災者への対応は別の問題である。選挙民はこれを峻別(しゅんべつ)したと考えれば、救われる。





 ≪芦田と石橋も説いた憲法改正≫


 自民党の大勝は目立つが、日本維新の会とみんなの党の躍進も世間の耳目を集めている。民主党への反感によって揺り戻しが起きたとの解釈もできるが、内外の情勢激変に何とか対応しようという国民の気持ちが底流にあったことと、無関係ではないと思う。

 日本がサンフランシスコ講和条約に調印した直後の昭和27年1月1日付の毎日新聞朝刊紙上で、安倍能成・学習院院長、芦田均元首相、石橋湛山元蔵相、中山伊知郎・一橋大学学長の4人が独立と防衛について座談会を行っている。人から教えられて改めて読んでみたが、一驚した。4人とも戦後の進歩的文化人ではなく、戦前に軍部に抵抗した経験を持つ自由主義者だ。この中で、芦田と石橋は、国際情勢の現状から再軍備と憲法改正の必要性を説いている。芦田は、「日本民族は不幸にして常に世界の大勢を見ることを怠り、独断に流れる」と警告し、石橋は、「(再軍備について)将来日本に力が出来れば自分でやるべき義務がある」と明言し、改憲を2度にわたって口にしている。


 何も自民党結党の精神に戻れ、などと説教じみたことは言わないが、当時の政治家には俗説に阿(おもね)らない稜々(りょうりょう)たる気骨があった。政治家として波瀾万丈(はらんばんじょう)の経験をした後で名著『指導者とは』を書いたニクソン元米大統領は、「はっきり書いておきたいことがある。偉大な指導者は必ずしも善良な人ではないことである」と述べた。政治家には含意を汲(く)み取ってほしい。





 ≪気になる米リベラル派の誤解≫


 今回の選挙結果を新生日本の第一歩とする場合、前記の3党には通底するところがあるが、最大の障害は公明党だろう。山口那津男同党代表は、集団的自衛権を行使できるよう、憲法解釈を変更したり第9条の改正に動いたりした場合の、連立離脱を示唆している。時代の大きな流れの中で、公明党は民主、社民、共産党並みの野党になってしまうのであろうか。


 日本の新しい動向に対する、米民主党リベラル派と称される人々による見解は少々、気になる。

 ジョセフ・S・ナイ・ハーバード大学教授は11月27日付英紙フィナンシャル・タイムズに、「日本のナショナリズムは弱さの表れ」と題する一文を書き、中国と日本にあたかも危険なナショナリズムが生まれているかのように述べている。独裁国家が国策として育成したナショナリズムと、健全なナショナリズムに欠けている日本の現状を等しく扱う誤りを犯している。氏は最新の「アーミテージ・ナイ報告」で、日本がこのままでは二流国家になる、と心配してくれたはずではなかったか。


 旧知のジェラルド・カーティス・コロンビア大学教授は、12月3日付日本経済新聞で、尖閣諸島をめぐる日中の争いの原因は石原慎太郎発言だと断じているが、因果関係をもう少し考えてほしい。

 日本の健全化への第一歩を、米国にはむしろ祝福してもらいたい。強い日本と強い日米同盟の絆こそが、アジアと世界の安定になる、と私は確信している。(たくぼ ただえ)












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「右傾化」批判の誤り

2012-12-18 09:02:15 | 米州
「右傾化」批判の誤り


http://sankei.jp.msn.com/world/news/121218/amr12121803080002-n1.htm



「安倍政権誕生となると、北京の論客たちはあらゆる機会をとらえて『日本はいまや右傾化する危険な国家だ』と非難し続けるでしょう。しかし『右傾化』というのが防衛費を増し、米国とのより有効な防衛協力の障害となる集団的自衛権禁止のような旧態の規制を排することを意味するのなら、私たちは大賛成です」


 ブッシュ前政権の国家安全保障会議でアジア上級部長を務めたマイケル・グリーン氏が淡々と語った。日本の衆院選の5日ほど前、ワシントンの大手研究機関、ヘリテージ財団が開いた日韓両国の選挙を評価する討論会だった。日本については自民党の勝利が確実ということで安倍政権の再登場が前提となっていた。

 CIAでの長年の朝鮮半島アナリストを経て、現在は同財団の北東アジア専門の上級研究員であるブルース・クリングナー氏も、「右傾」の虚構を指摘するのだった。


 「日本が右に動くとすれば、長年の徹底した消極平和主義、安全保障への無関心や不関与という極端な左の立場を離れ、真ん中へ向かおうとしているだけです。中国の攻撃的な行動への日本の毅然(きぜん)とした対応は米側としてなんの心配もありません」

 確かに「右傾」というのはいかがわしい用語である。正確な定義は不明なまま、軍国主義や民族主義、独裁志向をにじませる情緒的なレッテル言葉だともいえよう。そもそも右とか左とは政治イデオロギーでの右翼や左翼を指し、共産主義や社会主義が左の、反共や保守独裁が右の極とされてきた。


 日本や米国の一部、そして中国からいま自民党の安倍晋三総裁にぶつけられる「右傾」という言葉は、まず国の防衛の強化や軍事力の効用の認知に対してだといえよう。だがちょっと待て、である。現在の世界で軍事力増強に持てる資源の最大限を注ぐ国は中国、そして北朝鮮だからだ。この両国とも共産主義を掲げる最左翼の独裁国家である。だから軍事増強は実は「左傾化」だろう。

 まして日本がいかに防衛努力を強めても核兵器や長距離ミサイルを多数、配備する中国とは次元が異なる。この点、グリーン氏はフィリピン外相が最近、中国の軍拡への抑止として日本が消極平和主義憲法を捨てて、「再軍備」を進めてほしいと言明したことを指摘して語った。


 「日本がアジア全体への軍事的脅威になるという中国の主張は他のアジア諸国では誰も信じないでしょう。東南アジア諸国はむしろ日本の軍事力増強を望んでいます」

 同氏は米国側にも言葉を向ける。

 「私はオバマ政権2期目の対日政策担当者が新しくなり、韓国の一部の声などに影響され、安倍政権に対し『右傾』への警告などを送ることを恐れています。それは大きなミスとなります。まず日本の対米信頼を崩します」

 グリーン氏は前の安倍政権時代の米側の動きをも論評した。


 「米側ではいわゆる慰安婦問題を機に左派のエリートやニューヨーク・タイムズ、ロサンゼルス・タイムズが安倍氏を『危険な右翼』としてたたきました。安倍氏の政府間レベルでの戦略的な貢献を認識せずに、でした。その『安倍たたき』は日本側で同氏をとにかく憎む朝日新聞の手法を一部、輸入した形でした。今後はその繰り返しは避けたいです」

 不当なレッテルに惑わされず、安倍政権の真価を日米同盟強化に資するべきだという主張だろう。(ワシントン駐在編集特別委員)














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国防軍で戦前回帰?「冗談だろ」

2012-12-13 09:10:46 | 正論より
12月13日付     産経新聞【正論】より



「国防軍」で北への備えも強まる   防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121213/plc12121303200005-n1.htm



 北朝鮮はやはり撃った。実質は軍事用の長距離ミサイルを「人工衛星」と美化して、しかも、お得意の、隣人たちすべての裏をかくやり方で。遺憾だが、これが国際政治の現実だ。時あたかも終盤戦にあるわが国の衆院選では、それに見合うリアリズムで国防・安保の問題が論じられているか。

 衆院選での獲得議席につき報道界の調査による予想が民主党激減という線で一致すると、野田佳彦首相が案の定、焦りから安保論戦に出た。攻撃目標は自民党が掲げる「改憲で自衛隊を国防軍として位置づける」。改憲では言葉を濁し、国防軍案には反対、「ICBM(大陸間弾道ミサイル)でも撃つ組織にするつもりか」と罵倒。




 ≪野田首相の“変節”惜しむ≫


 3年半前、民主党は上昇気流の中にいた。有望株の一人だった野田氏の処女著作『民主の敵』はそのころ出版され、憲法と防衛に関しては今日の自民党とも十分折り合える考えが読めた。今日、自党が下降気流に揉まれる中、当時の主張を苦しみから放棄したのなら、好漢・野田氏のため惜しむ。

 私自身は自民党の憲法草案発表以前から、「改憲して国防軍を」と主張していた。だから、首相就任後ほどなく野田氏が、自民党の石破茂氏による「国防の基本方針」関連国会質問に答えて、一発回答でその見直し議論を避けない旨を述べたとき、それを評価した。議論は当然、憲法、国防に及ぶはずだった。が、今は空しい。


 岸内閣の閣議決定になる「国防の基本方針」と野田氏は昭和32年5月20日生まれの55歳。岸氏が締結した現行の日米安保条約の3年前だ。それは、わが国の防衛政策に関して格式上は最重要文書である。今日まで一字一句の変更もない。日米旧安保条約下の文書なのに、野田内閣も含め、よくも呑気(のんき)に改訂をサボってきたものだ。





 ≪自衛隊を軍とせぬ矛盾随所に≫


 わが国の防衛・安全保障の議論では、本質の直視が乏しい半面、用語への情緒的反応が大き過ぎる。「自衛隊」ならOK、「国防軍」ではイヤ、がその好例だ。

 無論、用語は精選を要する。ただ、国内で偏愛される用語への固執は国際舞台で不可解行動を生みやすい。国連PKO(平和維持活動)で他国軍と肩を並べる「自衛隊」が、僚軍による警護は受けるが、僚軍への「駆けつけ警護はしない」のがその一例。「自衛」だから日本領土、領海を飛び越すミサイルは撃破しないのも同類だ。

 国内法で自衛隊を軍隊と位置づけないので、自衛官は内外で不本意な使い分けに追われる。国内では軍人を名乗れず、海外では軍人を名乗らなければ理解されない。好例は日本だけの「防衛駐在官(ディフェンスアタッシェ)」。相手側が首を傾げると、つまりは国際基準の「駐在武官(ミリタリーアタッシェ)」のことですと言い訳する。

 ことを本質に沿って呼ばないため、国内でも妙な事例が目立つ。自衛隊なる呼称も変だ。実体的にそれは紛れもなく国家防衛(ナショナルディフェンス)のための武力組織である。が、自衛とは必ずしも武力的概念ではない。厳冬に備えての自衛は非武力的行為だ。また、「隊」なる用語が本来的に「武」と結びつく概念ではないのも、漢和辞典に明瞭である。楽隊、キャラバン隊を見よ。

 だから自衛隊を英語でSelf Defense Forceと説明するのは変だ。Forceとは力、武力のことなのだから。ただし、この場合、おかしいのは英語ではなく、日本語の方だ。もとが自衛軍ならまだ救われただろうに。とにかく、国家の武力集団を作ろうというのに、過去には本質隠しがかくも過ぎていた。





 ≪言い訳不要の世界標準組織に≫


 世界諸国の軍隊は、歴史的背景や国家形態のゆえに必ずしも国防軍と名(ナショナル・ディフェンス・フォース)乗っているわけではない。が、国防任務を免れている軍はない。国際環境の好転で相対的にその比重が減った場合でも、国防は一丁目一番地なのだ。国際社会が依然として分権的システムである以上、それは国家の武力装置の定めである。わが国もまたそのことを承服して、自国の軍事組織を国際社会で最も理解されやすい国防軍と改称すべきである。


 改憲のうえで自衛隊を国防軍と改称することを復古だとか、戦前の軍国主義復活の序曲だと呼ぶ声が内外にある。冗談だろう。歴史上、日本の軍隊が国防軍を名乗ったことはない。戦前の軍は「大日本帝国陸海軍」であり、新聞、ラジオはそれを「皇軍」と呼んだ。つまり、「天皇の軍隊」だった。


 誕生すべき国防軍は復古物ではない。また内でも外でも言い訳、つまりは政府の晦渋(かいじゅう)な憲法解釈なしでは理解困難だった自衛隊でもないだろう。私は生涯の26年間を自衛隊の一隅で過ごした人間として、自衛隊自体が風雪に耐え、国民に愛される存在となったことを心底から喜ぶ。だが--。

 戦後やがて70年。わが国は軍制上の特殊国家をやめ、北朝鮮のような不埒(ふらち)者国家の脅威にも適切に対処可能な「普通の国」になるべきだ。それにはわが国の軍事組織を、言い訳を必要とした自衛隊から、国際的標準である国防軍へと脱皮させることが必要である。(させ まさもり)














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日米安保は無効? 国連の「敵国条項」かざす中国の危険

2012-12-12 18:14:51 | 支那(中国)
日米安保は無効? 国連の「敵国条項」かざす中国の危険


http://sankei.jp.msn.com/world/news/121212/chn12121207530002-n1.htm


 何げなく聞き流した中国の習近平総書記が発したスローガンと、その後の行動がどうも気にかかる。


 習氏は総書記就任時の11月15日、復古調の「中華民族の復興」を掲げた。かの中華帝国の伝統理念は「華夷秩序」であり、帝国は外縁に向かって序列の低くなる異民族を統治していく。さらに先月29日、政治局常務委員を引き連れ、北京の国家博物館で列強帝国主義の展示を視察した。この時に習氏は「中華民族復興の目標に近づいている」と巻き返しを宣言した。


 その威勢をかって、軍上層部の発言が強硬になってきた。尖閣諸島も日本の総選挙後に危険度が増してこよう。選挙中は自重して、日本の反中勢力を有利にさせないためだ。


 習氏の「中華民族の復興」発言は、楊潔●外相が9月の国連総会で述べた異様な罵(ののし)りの演説に通じる。外相は日本による尖閣国有化に関連し、日清戦争末期に「日本が中国から盗んだ歴史的事実は変えられない」と述べた。しかし、日本が無主の尖閣諸島を領有したのは1895年4月の下関条約より前のことで、清国が日本に割譲した「台湾および澎湖列島」にも尖閣は含まれない。


 この時、中国側が歴史カードを使ったのは、国連そのものが日独を封じる戦勝国クラブとして発足したことに関係する。国連憲章には日本を敵国と見なす「敵国条項」が残されたままである。この時の楊外相発言は、主要国に日本が「戦犯国家」だったことを思い出させ、日本たたきの舞台とみていたのではないか。


 ところが、京都大学名誉教授の中西輝政氏はさらに踏み込んで、中国がこの敵国条項を「日米安保を無効化する“必殺兵器”と考えている可能性が高い」と見る。国連憲章の53条と107条は、日独など旧敵国が侵略行動や国際秩序の現状を破壊する行動に出たとき、加盟国は安保理の許可なく独自の軍事行動ができることを容認している。


 日本の尖閣国有化を憲章の「旧敵国による侵略政策の再現」と見なされるなら、中国の対日武力行使が正当化されてしまう。中国はこの敵国条項を援用して、日米安保条約を発動しようとする米国を上位の法的権威で封じ込めようとする策謀だ。


 この敵国条項については1995年12月の国連総会決議で、日独が提出して憲章から削除を求める決議が採択されている。憲章の改定には3分の2以上の賛成が必要なために、決議によって条項を死文化することにした。確かに、この決議はいつの日か憲章を改定するときがあれば「敵国条項を削除すべきだと決意された」のであって、厳密にはいまも残っている。



 問題は中国が同床異夢のまま国際法や国連憲章を勝手に解釈していることである。楊外相は9月の国連総会に続く11月6日のアジア欧州会議(ASEM)首脳会議でも「反ファシズム戦争の成果を日本が否定することは許されず、日本は戦後の国際秩序を否定してはならない」と布石を打つ。


 中国は国際法上、尖閣が日本の領土であることを覆すことが困難とみたか、国連憲章の盲点を突いて武力行使を正当化しようとする。恐ろしいほど冷徹な権謀術数ではないか。習新体制が日本に「華夷秩序」を強要しようとするなら、日本は同盟国と結束して中国を断固抑止する決意を固めたい。(東京特派員)

●=簾の广を厂に、兼を虎に

2012.12.12 07:53














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なぜ「国防軍」が必要?

2012-12-09 09:24:43 | 日本
なぜ「国防軍」が必要?  自衛官に正当な位置づけ、平和と主権・領土守る


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121209/plc12120900030000-n1.htm



 衆院選では自民党が政権公約に盛り込んだ「国防軍」をめぐる議論が改憲論とも絡んで浮上している。「国防軍」の必要性とは。自衛隊とは何が違うのか。あらためて考察した。




 Q なぜ国防軍にする必要性があると主張されるのか



 A 日本を取り巻く東アジア地域の情勢が不穏さを増しているのに、国家として真っ当な対応ができていないことへの危機感が背景にある。

 中国は軍拡で覇権国家への道を邁(まい)進(しん)している。北朝鮮はミサイル発射を強行しようとし、尖閣、竹島、北方領土とわが国の主権や領土が脅かされる状況が次々と起こっているのに、有効な手が打てずにいる。

 失態続きの民主党政権も見逃せないが、それ以前から、周辺国の公正と信義に信頼して日本の安全を守る、そのために軍隊を放棄していると定めた現行憲法に端を発していることが根本にある。

 日本の平和を守るためにしかるべき備えは絶対必要で、国際基準に合致した「軍隊」を平和と主権・領土をしっかりと守るために有する、それが国防軍の考え方だ。





Q 自衛隊ではダメなのか



 A 今の憲法では自衛隊は存在にまで疑義をもたれがちだ。自衛隊員はこれまで不当な処遇を受け続けてきたが本来、国防とは国家が国家である限り、なくてはならない大切な営み。自衛隊を国防軍にするのは、自衛官に正当な位置づけを与え、処遇するという意味でも不可欠だ。

 自衛隊の前身は昭和25年に設けられた警察予備隊で、自衛隊は警察の延長線の組織。軍隊でも「戦力」でもなく、政府見解は「自衛のための必要最小限度の実力である自衛力」というものだ。

 例えば尖閣諸島に漁民を装った武装民兵が上陸し自衛隊が出動しても、ただちに相手を撃つことは許されない。まず逮捕すべく努力する必要がある。警察の原則が適用されてしまうからだ。

 国防軍としてきちんと位置づければ、そういうことはないが、自衛隊は法律で手足をしばられ、十分に対処できない。これが現実だ。





Q 野田佳彦首相は「中身が変わるのか」「ICBM(大陸間弾道弾)でも撃つ組織にするつもりか」などと批判し、改憲にも冷ややかだ



 A 自民党が自衛隊を国防軍にする憲法改正草案を発表したのは今年4月で、この時は全く問題にならなかった。

 野田首相の言動は多分に自民党が「危険な動き」を強めていると有権者に印象づける選挙戦術として持ち出された側面が強い。


 だが、これまでにさまざまな改憲案が公党やシンクタンクなどから提案されており、その多くの案が「軍」「軍隊」「自衛軍」などと言葉の違いはあっても自衛隊を軍隊として位置づけている。


 野田首相本人も著書『民主の敵』で「私は新憲法制定論者です。20世紀末頃には憲法論議がいろいろなところで出てきていたと思いますし、そういう機運は高まっていました。ようやく国民投票法まではいきました。戦前の大日本帝国憲法に対して、戦後の日本国憲法のことを、よく『新憲法』といいます。しかし、世界の憲法の中で、すでに15番目くらいに古い憲法になっているそうです。とても新憲法といえる代物ではありません。9条はもちろんですが…修正することをタブー視してはいけない」などと述べている。

 自衛隊も「実行部隊としての自衛隊をきっちりと憲法の中で位置づけなければいけません」「自衛隊などといっているのは国内だけで、外国から見たら、日本軍です」とも記している。

 国防軍を保有することは国際的にも“普通の国”の常識で、私たちの平和な暮らしを維持するうえでも不可欠なことだ。





Q 外国から見て「自衛隊は日本軍」というのはどういうことか



 A 政府は、自衛隊は戦時国際法として捕虜の待遇改善などを定めたジュネーブ条約でいう「軍隊」にあたるという立場だ。ところがこれも国内的には憲法上の制約から軍隊ではないとしてきた。これは野田政権も同じ立場だ。


 そうしなければ、戦争が起きた場合の殺傷行為は殺人として処罰される、といった支障が出るからだが、こういう“二枚舌”を、私たちは正面から正さず放置してきた。本来おかしいのは現行憲法の無理な拡大解釈を続けていることだ。





 Q 一部の政党、メディアは改憲の動きを「平和憲法を葬る危険な動き」「平和憲法を守るべきだ」などと批判し、「右傾化」などという指摘すらしている


 A そういう紋切り型の主張が戦後を支配してきたため、まともな議論にならないことが多い。「平和、平和」と念じているだけで平和な暮らしは得られない。

 知日家である米ヴァンダービルト大のジェームス・アワー教授は「右傾化」との指摘を批判して、「日本は(国際基準では)センター(真ん中)にようやく来たということだ。危険視するのはおかしな議論だ」と述べている。










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「航行の自由」中国の手から守れ

2012-12-06 09:16:13 | 正論より
12月6日付      産経新聞【正論】より


「航行の自由」中国の手から守れ     ヴァンダービルト大学 日米研究協力センター所長 
                               ジェームス・E・アワー氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121206/plc12120603220003-n1.htm



 中国の温家宝首相や東南アジア諸国連合(ASEAN)10カ国と日米韓など計18カ国の首脳が集った先月のASEAN関連サミットで、開催国であるカンボジアの指導者、フン・セン首相は露骨な中国の代弁者として、南シナ海問題は「国際化」されるべきではないというのがASEANの総意であると誤った声明を出した。



 ≪東シナ海でも支配を狙う≫


 ASEAN数カ国の国家元首が直ちに異議申し立てをしたこの声明の意味合いは、極めて明確に理解されるべきだ。中国は、南シナ海の使用を思い通りに支配したいのであり、その支配に異を唱えるいかなる国も中国政府によって個別に処罰されるのである。

 同じように、東シナ海の場合でも、中国の意図は、尖閣諸島に対する日本の主権を否定し、1971年の自らの領有権主張をあたかも古代の中国法で位置づけられているかのごとく提示し、米国が中日「二国間」の問題に「干渉」する筋合いではないと言い、そのうえで、南西諸島地域でほとんど防衛能力のない日本に対し、必要とあらば軍事的にも領有権主張を押し通すことではないのか。


 尖閣で日本の主権的地位の信頼性を高めようという石原慎太郎前東京都知事の計画を批判する多くの人々は日本に国の領土を守る意思があるのか、あるなら、そのための確かな措置を講じる意思があるのかを考える必要がある。


 尖閣諸島の所有者が代わりに中国側に尖閣を売却し、そして、中国がそれらを封鎖していたら、日本政府はどうしていただろう。フィリピンに近接し統治されているのに、中国が領有権を主張しているスカボロー礁への進入を、同国が最近、閉ざしたように。





 ≪日米はASEANと連携を≫


 11月のカンボジア指導者の声明は、2年前のASEAN地域フォーラム(ARF)で、米国は「南シナ海における平和と安定の維持、国際法の尊重、航行の自由、妨害なき正当な通商に国益を」有しているとした、ヒラリー・クリントン米国務長官の声明とは明らかに矛盾する。平和的で合意ずく(中国政府の指図抜き)の南シナ海の利用権を妨げてはならないと主張することは、米日両国とASEAN諸国の責務である。

 どうすることが必要か?

 何はさておいても、日米両国は世界の二大民主主義・経済国として、西太平洋最大かつ最強の海軍国として、南シナ海の共有海面における航行の自由の不可侵性を確保するのに必要ないかなる手段をも取らなければならない。

 日本の海上自衛隊と米海軍は、国連海洋法条約を完全順守した通航の自由を日米が強く求めない場合に中国がやりかねないような、他国の支配や排除をするのではなく、いかなる国も締め出さない。ASEAN加盟のどの国でもしかり、周辺や地域の航行の自由を保証する手伝いをしてくれることはありがたい。中国といえども、アフリカ沿岸沖で海賊防止に協力しているように、南シナ海を世界の通商に開かれたものにしておくことに参加するなら歓迎だ。


 次に、日本は、南西諸島地域に陸海空の自衛隊部隊を配備することで、信頼し得る抑止力を構築しなければならない。これらの部隊は、原子力空母、攻撃型潜水艦と岩国、沖縄、グアムを拠点とする海兵隊の空陸部隊から成る米第7艦隊兵力の支援が可能だ。

 日本の自衛隊は冷戦期には、日本本土や沖縄に効果的に展開されて米国ともうまく連携し合った、かなりの抑止能力を達成した。しかし、今や、日本の北方と西方に対する旧ソ連時代の脅威は薄れ、一方で、尖閣諸島が無防備で攻撃を受けやすい状況にある。





 ≪力なき外交は機能しない≫


 朝鮮半島、台湾、そして、今や尖閣諸島と、危険な発火点が身近に存在し続けているにもかかわらず、日本の防衛費は1990年代以来、横ばい状態、あるいは下降状態をたどるに任されている。防衛費の増大は賢明だと思える。もっとも、幸運なことに、南西諸島の防衛力を強化して、尖閣諸島に防衛の傘を差し伸べることは、日本の現有戦力の再配置によって、おおむね達成可能である。

 第三に、日米両政府は、海上境界、漁場、海底資源をめぐる紛争を平和的に、合意によって解決しようとするASEANの要求については、全加盟国(たぶん信念というよりもむしろ恐怖から行動しているカンボジアを有り得る例外として)を支持すべきだ。

 外交第一主義はどうか? 日本は、中国を挑発しないように気をつけ、尖閣問題を国際司法裁判所に持ち込むと申し出るべきではないか、といった立場だ。だが、平和的で成功した1996年の台湾総統選などに例証されるように、外交は、法の支配とは無関係に結果を押し付けてきたがる者を、抑止できる信頼に足る防衛力が存在するときにのみ機能する。

 仮に米国が(日本から)撤退して、中国が東シナ海と南シナ海を国有化したとすれば、自由な海洋国家としての日本の地位は、深刻な試練に直面するだろう。

    








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