カンヌ映画祭やベネチア映画祭を席巻した“世界のキタノ”こと北野武監督の最
新作、『監督、ばんざい!!』がとうとう公開されましたね。
“映画を愛する全人類に捧ぐ、ウルトラ・バラエティ・ムービー”という触れ込
みで作られたこの作品は、『CINEMA BLOG』
http://www.cs-tv.net/blog/001822.html
によると、
『ギャング映画がお得のキタノ・タケシ監督が自ら暴力映画封印宣言をし、あら
ゆるジャンルの作品を手掛ける。
しかし、そのどれもが突き抜け過ぎていて完成に至らない。追い詰められたキ
タノ監督はとある1本の映画に着手するが。。。
北野武監督自身が置かれている現状をセリフ・パロディにしつつ、現在の日本
映画界をチクリと刺す。北野武監督らしいシニカルに満ちた新作』
ということのようです。
また、同ブログのインタビューの中で、「今回は監督のキャリアを壊すことにし
た。」と語っているように、これまでの“バイオレンス(暴力)”という一貫して
きたテーマを打ち壊して、新たな北野武を作り出すことを目指しています。
実際、予告編を観ていると、小津安二郎風の作品や恋愛、ホラー、忍者映画など、
これまでの北野作品にはないジャンルをオムニバス形式で盛り込んでいるようで
すし、また本格的なVFXにも初挑戦しているとのこと…。
それだけこれからの北野映画の可能性を追求しようとする意欲作…ともいえるの
でしょう。
ただまだ映画を観ていないのでなんとも言えないのですが、私自身は、今回の作
品が以前からのテーマである“暴力”というものを哲学的に捉えなおしたもので
はないか、つまり根底にある彼の思想性を深めたのではないかと思っています。
実際、“暴力”というと狭義的には「肉体的に乱暴な力を加える」ことを思い浮
かべますが、広義的には「正当性と合法性を欠いて用いられる物理的強制力」
(はてなダイアリーから引用)という意味です。
今回のさまざまなタイプの映画を盛り込むという無秩序から地球破滅という正当
性を欠いた結論を導き出すという手法はまさに画像の“暴力”なのではないでしょ
うか。
イントロダクションや予告編しか観ていないので、そう結論付けるのは早計だと
は思いますが、やはり表現技法の幅の広がりの中でも、これまで培ってきた映画
創作の根底にある思想性は、脈々と流れるものなのだと思っています。
新作、『監督、ばんざい!!』がとうとう公開されましたね。
“映画を愛する全人類に捧ぐ、ウルトラ・バラエティ・ムービー”という触れ込
みで作られたこの作品は、『CINEMA BLOG』
http://www.cs-tv.net/blog/001822.html
によると、
『ギャング映画がお得のキタノ・タケシ監督が自ら暴力映画封印宣言をし、あら
ゆるジャンルの作品を手掛ける。
しかし、そのどれもが突き抜け過ぎていて完成に至らない。追い詰められたキ
タノ監督はとある1本の映画に着手するが。。。
北野武監督自身が置かれている現状をセリフ・パロディにしつつ、現在の日本
映画界をチクリと刺す。北野武監督らしいシニカルに満ちた新作』
ということのようです。
また、同ブログのインタビューの中で、「今回は監督のキャリアを壊すことにし
た。」と語っているように、これまでの“バイオレンス(暴力)”という一貫して
きたテーマを打ち壊して、新たな北野武を作り出すことを目指しています。
実際、予告編を観ていると、小津安二郎風の作品や恋愛、ホラー、忍者映画など、
これまでの北野作品にはないジャンルをオムニバス形式で盛り込んでいるようで
すし、また本格的なVFXにも初挑戦しているとのこと…。
それだけこれからの北野映画の可能性を追求しようとする意欲作…ともいえるの
でしょう。
ただまだ映画を観ていないのでなんとも言えないのですが、私自身は、今回の作
品が以前からのテーマである“暴力”というものを哲学的に捉えなおしたもので
はないか、つまり根底にある彼の思想性を深めたのではないかと思っています。
実際、“暴力”というと狭義的には「肉体的に乱暴な力を加える」ことを思い浮
かべますが、広義的には「正当性と合法性を欠いて用いられる物理的強制力」
(はてなダイアリーから引用)という意味です。
今回のさまざまなタイプの映画を盛り込むという無秩序から地球破滅という正当
性を欠いた結論を導き出すという手法はまさに画像の“暴力”なのではないでしょ
うか。
イントロダクションや予告編しか観ていないので、そう結論付けるのは早計だと
は思いますが、やはり表現技法の幅の広がりの中でも、これまで培ってきた映画
創作の根底にある思想性は、脈々と流れるものなのだと思っています。