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日々一歩ずつ前に進むために書き綴ろう…。自分の中のちょっとした変化を大切に…。

遠くを見る:装丁家鈴木成一から学ぶ

2007-05-24 00:49:38 | プロフェッショナル
鈴木成一さんは、「ブレーブ・ストーリー」「鉄道員」「金持ち父さん貧乏父さ
ん」などを手がけた装丁デザインの第一人者です。

月に60件もの装丁デザインを抱える鈴木さんは、対象となる本をしっかりと読
みこなし、その内容の本質を装丁のデザインにすることにこだわります。

そこには自分の中の解答を追い求めるという信念があるのですが、その信念を貫
く上で、一つの作品に労力と時間を費やすも納得のいくものが見つからないとき
があります。

鈴木さんはそうした迷いに陥ったときにとる1つの仕事の流儀があります。

それは仕事に行き詰ったとき、わざとその仕事から離れ、無意識に見るということ…。

対象から離れ、ふと見たときに思わぬ観点が見えてくると鈴木さんは言います…。


ところで、人間の眼は確かに常に本を読む距離感とピントがあうようにつくられ
ているわけではありません。

例えば、夜空に輝く星々や萌える木々を眺めることで、眼は安らぎます。

目が安らいでくれば、頭は自由になりますし、体全体がリラックスしてくるでしょう。

けれど自分の意思の力で無理に近くを見ようと眼を細めると疲れますし、頭が痛
くなることもあります。

自分の近くのことばかりにとらわれず遠くを見る…人間はそのようにできている
んですね。


それは知識においても同じことがいえるでしょう。

その点については、福田恒存は「私の幸福論」の中で次に述べているとおりです。

 「私が学校教育や読書から得られる知識に重きをおかないのは、やはり同じ理
 由からです。
 
 人々は知識を得るということに、根本的な錯覚をいだいている。人々はなにか
 を知るということによって、より高く飛べるようになると思っているようです。

 いままで知なかった世界が開けてくると思うのでしょう。が、それは反面の真
 理に過ぎない。

 なるほど、峠の上に立った人は、谷間にうごいている人より、周囲をよく見わ
 たせるかもしれません。が、こういうことも考えてみなければならない。

 一つの峠に立ったということは、それまで視界をさえぎっていたその峠を除去
 したことであると同時に、また別のいくつかの峠を自分の眼の前に発見すると
 いうことであります。

 あることを知ったということは、それを知るまえに感じていた未知の世界より、
 もっと大きな未知の世界を、眼前にひきすえたということであります。」


近視的に物事を思考するのでは、上記のような知識を獲得することが求められます。

そのために常に自分のいる位置を確認しつつも、眼前にあるもの及び先にあるも
のを両方見据えなければならない…ということでしょう。


ですから鈴木さんの自分を対象から遠くに置くという仕事のスタンスは理にかなっ
ているのだと思います。

実際、物を見るという知覚運動も、思考、知識の獲得ももとは無限の意識をもっ
た脳で行われるものですし、それがニューロンの発火パターンという同一の働き
のもとで行われるのであれば、やはり同じこと…常に自分の周辺だけでなく、遠
くを見ながらも自分の位置を確認していく、そんなことが必要なのかもしれませ
んね。