青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

迷妄論

2009年03月26日 | 短歌に政治や社会
小沢氏続投「攻撃材料手に入れた」 与党歓迎、反攻へ(産経新聞) - goo ニュース

どうも言う事、なす事むちゃくちゃだ。
「迷妄論」がまかり通っている。
民主党の代表(党首)が、続投を表明したときの言い分、

     「私自身が収賄罪など犯罪に手を染めたという事実はない
                 と申し上げてきた。私が主張してきたことが事実であること
                 が明らかになった」

こう釈明している。
とは言っても、例えば、高校球児が不祥事を起こしたりすると、その高校は甲子園出場を辞退する事になる。全体として、責任を取るものなのだ。
ところが民主党党首は、そうではない。
いわんや自民党なども、国民として恥じるべきなのに、敵失を喜んでいる。

こんな様を、国外から見ると、どんなにか迷妄論に満ちた愚かなものに見えることだろうに。

一、二週間前に、NHK総合テレビで「日本のこれから」という番組があって、「テレビのこれから」というのが放送された。
今思うのだが、「母国語のこれから」は、どうなっていくのだろう ?。
今日、母国語は、肩身の狭い思いをさせられている。いや肩身の狭い思いどころか、いらないものにされ、追いやられて、外来語のカタカナ語に取って代わられている。
そうして母国語がいらないものにされ、追いやられ、外来語のカタカナ語に取って代わらされる事が、「教養がある」という事らしい。
そして外来語の、侵略を許す、という事らしい。
北朝鮮のミサイル発射で、ケンケンガクガクしていながら、言語の侵略は許すという、「迷妄論」はおかしくなる。
何故、母国語をこのようにいらないものにする。

それらは、我々の真の中身を、見直さないからだろう。
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短所という長所

2009年03月24日 | 人生設計

私達は、ともすれば「欠点、短所、弱点」を補うために、涙ぐましい努力をする。しかしそうは言っても、人間である以上、限界がある。

だがこの「欠点、短所、弱点」は、何かと比べたものであり、比べるものが無い時には、私達は「欠点、短所、弱点」と感じない。

それはそうと、この「欠点、短所、弱点」は、他の何かと比べると感じるものなのだが、それは「目線」を上にしたから感ずるものなのであって、もし「目線」を下にして感じたならば、この「欠点、短所、弱点」は「長所」として感じてしまう事になる。
それは何故かと言うと、他のものにはこの「欠点、短所、弱点」の状態が判らないからである。判るのは、「欠点、短所、弱点」を感じているものだけだから、それが「長所」になる。

こうした事は、「ある」とか「持っている」という事が「有意義」な事で、「無い」とか「持っていない」事が「無意義」な事として扱われているが、これも間違っている。
「ある、持っている」という事のほうが「無意義」で、「ない、持っていない」という事のほうが「有意義」な事でもある。

この事は人生観にも当てはまり、ネットで巡って見ると、体に欠陥を持っていられる障害者の方々が、「障害を持つ」という「短所」を、その「短所」を「長所」に持ち替えて生きていられる様が伺われる。

「欠点、短所、弱点」を持っているからといって、嘆く事はない。かと言って「おごる」のも間違っているが、「誇り」として持っても良い事でもある。
それは、そのままが「長所」なのだからである。

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「孫子の兵法」

2009年03月23日 | 短歌に政治や社会
首相、日本の防衛努力重要と訓示 防大卒業式で訓示(共同通信) - goo ニュース

物事には、「要」というものがある。それは、行いにも、政にもある。
この「要」というものは、相対性に対して、通用するものでなければならない。

「孫子の兵法」をご存知と思う。この「孫子の兵法」の中に、

    「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず。」

という一言が記されている。
我々が自国の防衛という事を鑑みているが、この「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず。」という一言をみる時、相対する相手は、外部のものと見なしてはならない事を戒めている。
即ち、「己」という「内面」のものも、すこぶるテワゴイ相手であるものなのである。
ところが現在の国内内部は、国政からしてぼろ糞なほど混乱していて至難滅裂になっている。ことに政に関わる官僚や閣僚、議員からして、国民の利益そっちのけに既得権益に走っている。首相も迷走を繰り返し、朝令暮改は四六時中の状態。

「孫子の兵法」の「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず。」と、「己を知る」という、反省などができないのは、どうも現今の議会制民主主義に原因があるようだ。
「議会制民主主義」では、政局が混乱しても、議員の任期満了までは、政権党が首相の首を挿げ替えて政権運営できるようになっている。首相に「解散権」が与えられているから。

これでは、
「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず。」
とはいかず、議員の任期満了までは、国民も身動きできない。
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この人への配備を

2009年03月22日 | 短歌に政治や社会
「弾道ミサイル配備すべき」田母神元空幕長、著書で主張(朝日新聞) - goo ニュース

こう言う持論を展開している、そういうことに対する「弾道ミサイル配備」をする必要を、認識すべきなのだ。
第一「自主防衛」も、「専守防衛」というものも、他からの攻撃を受けるという自損的行為であって、何等の自衛的行為にはならない。
早い話が、この人「田母神元空幕長」自らが、「自主防衛」も「専守防衛」もできないでいる。
即ち、自分の心を支えるという「支え」無しには、何も無い。
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どうする  ?

2009年03月22日 | 短歌に政治や社会

一昨日などは、列島は、

   3月20日 WBC第2ラウンド 韓国-日本

試合で勝利し、沸きかえっていた。
だがその日の朝のニュースには、

   老人ホーム全焼、5人死亡2人不明=4人が負傷-群馬

という記事も載っている。

一体「どうするのだろう  ?」

火災や事故、救急医療や子育て教育などはお構い無しに、スポーツや芸能ごと、それに金儲けに沸きかえっていて、どうして今後を支えていかれるのだろう。
スポーツ選手や芸能界、タレントに憧れる人は多くても、消防士や救急士、地域の医師になろうとする人は少ない。スポーツ選手や芸能人が増えたところで、火災や災害、救急医療には何の役にも立たないのに、こういうことに、マスコミメディアまでもがのめり込み、いざ事故や災難が起きると人の責任を追及する。
いや、責任を追及するばかりではなく、人事のようになる。責任を擦り合う。お互いが、言い逃れをする。
それらは皆、事後の事ばかりで、事前の対応となると、物惜しみをしている。
ここには、「経済観念」というものが、働いている。「損得勘定」である。
こんなニュースも、飛び込んできた。

● ”和製”核兵器 忍び寄る脅威 企業の甘い認識/相次ぐ不正輸                     


● 北ミサイルで「冷静対応を」=中国国防相、日本にも懸念


自分だけが「楽しむ」とか「楽をする」とか「豊かになる」ということなどが、かえって我が身のためにならない事になりはしないか。

こう言うことは、私自身も言い出しっぺではなく、私自身がしていかなければならない事だが、その私は、もう車椅子生活者で、言う事だけの人間でしかない。情けないものだ。
そんな中で、「どうする ?」と、問いかけずにはいられない。
誰が「救い、守り、支え」ていくのだろう。
一人一人が、「救い、守り、支える」という気でいないことには、「救い、守り、支え」ていく事はできないだろうに・・・・

さて、「どうする  ?」・・・・・・・・。

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人間性の分散孤立化

2009年03月21日 | 短歌に政治や社会
三月二十一日夜の、NHK総合番組「日本のこれから」の、「テレビのこれから」を、ちょっと見ていた。
ここで最初に出された設問、「テレビは茶の間の主役でいられるか」という事に、これは「難しい」と思う。

その理由は、多チャンネル化にある。
この多チャンネル化によって、家庭内は分散し、それぞれが個別になり孤立化して、孤独化し引きこもっていくからだ。
経済拡大発展といって、情報化社会化していくことは、営利主義的企業論理によるこうした多チャンネル化は、家庭崩壊を促進していく。

もっともこれは、何もテレビだけの問題ではない。
営利的、企業論理的、経済主義のマスコミメディアや、文庫本の発行も、こうしたことに拍車をかけている。

人間性の分散孤立化を断ち切り、家庭環境が結集し、統合し、集合していくためには、せめてテレビのチャンネルを制限統合するなどしていく必要がある。
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青い鳥の短歌 十二、

2009年03月21日 | 短歌に政治や社会

        節分に 豆まき撒いて 厄払い
    恵方を向いて 恵方巻きかじる      2009/2/3



       山々の もやにも煙る 如月は
    小春日の中 まぶし穏やか        2009/2/5



       長寿園の 昼食食べる 母と子は
    花咲かじじの 張り絵背にして      2009/3/13



       何をかと 送って上げたい ホワイトデー
    いつも介護を 受けているから       2009/3/13

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おバカさん天国 (終)

2009年03月20日 | 人生設計

「発達障害」という、精神障害がある。精神の発達が正常に発達しない病気で、主な症状に「自閉症」がある。
「発達障害や自閉症」は、ともすると人間関係が滑らかに、スムーズに進まず、それで社会生活に支障をきたす事か懸念されている。

私が今回何故このように「発達障害や自閉症」のことを持ち出したかと言うと、私にも少々この症状みたいなものが見られるからだ。かといって、医師に診断してもらって訳でもなく、自分自身をよく見詰めてみると、一風変わった性格がある事に気が付く。その「変わった性格」が、「発達障害や自閉症」者らが特有に持つ特質に似通っているようなのだ。

これまでの「おバカさん天国」連載でも見られるように、こうした「思いや気持ち」は、一般世間の「思いや気持ち」とは、立場というか次元を異にするだろう。言い換えてみると、私の「思いや気持ち」は、世間の「思いや気持ち」に逆らっているという事ができる。
私にとって「何故」そのように世間の「思いと気持ち」に逆らった「思いと気持ち」になるのかと言うと、一般世間の「思いや気持ち」は、「人工物」に傾倒している事にあるからだ。
「人工物」に傾倒していて、この「人工物」が「自然」に支えられているという事を忘れている。忘れてしまっていて、見捨てている。

私には、こうした「人工物」には馴染む事ができない。自然から離れて「浮つい」てしまっているような、そういう「人工物」に、生きるところを見つけられない。ちょっと「発達障害的、自閉症的性格」の私には、「自然」の方にのみ馴染める。「自然に馴染め」れば、「人工物に馴染む」一般世界は、「おバカさん天国」と感じてしまう。
 

「発達障害的、自閉的性格」な、こう言う立場から世間を見てみると、一般世間は「超発達障害」症状が蔓延しているように感じてしまう。即ち、普通一般に言われている「発達障害」とは逆の症状が、現れているといっていい。殊にそれは、簡単に職場から解雇されたり、社会格差が拡大し、不平等になり、そうした事による精神状態の不安は、飲酒、いじめ、中傷、誹謗、暴力沙汰へと拡大していく。
それは、「人工物」を崇拝している事からの、反動でもある。

こうした中で私は、自然世界に馴染もうとする事によって宗教観に目覚めめ、「このまま」において、「このまま」素直に現実を受け入れ、人生のあるべき道を見出した。そして「絶対自由と、絶対平等」になった。
その点、私は幸せである。
今は、「このまま」に、「おバカさん天国」の世の中を、それぞれの人々が、それぞれの人々なりにどのように結末付けていくかを、それぞれの人々に託していく。

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青い鳥の歌詞 三十四、

2009年03月19日 | 作詞

歌ってみようか 口笛吹こうか    2009/3/16

連なる 山並みの 遠くの頂は
雪も 融け始めて まばらになり
ふもとは 霞に 包まれてた
吹く風 強く 冷たくても
日差しは 明るく 暖かいから
歌ってみようか 口笛吹こうか
青いお空の 白い雲

雪に 降られた ひな祭り
啓蟄( けいちつ)の 日は 暖かくなり
便りは 告げた 桜の便り
まだ冬の ままの 木立にも
今に 芽吹くのを 待っているから
歌ってみようか 口笛吹こうか
木々のこずえの 小鳥たち

彼岸の 入りに 合わせたような
さすがの 寒さも ぬくもりの中に
衣を 脱いで 飛びだした
公園に 集まり ブランコや
楽しく すべり台 滑ったら
歌ってみようか 口笛吹こうか
かわいい笑顔の 子供たち

入試の 後に 桜咲かせ
卒業式に なみだ 散らして
今が 一度の 青春の時
夢にも いっぱい 花が咲き
緑が 萌える 春を待つから
歌ってみようか 口笛吹こうか
ペンチで語り合う 恋人たち

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おバカさん天国 (六)

2009年03月18日 | 人生設計

野焼きで男女4人死亡 大分県由布市の原野(共同通信) - goo ニュース

私達は、「相関性」という世界にあることを、忘れてはならない。
この「相関性」とは、たとえば「受益」を甘受する事だけが全てではない。
「授与」すると言う事との関連性に立たなければ、「受益」は意味を持たなくなる。
今日世間は、WBCなんかに関心が移っている。あるいはゴルフコーナメントとかコンサートとか、グルメとかに関心を持っていて、その大元の「授与」する立場には関心を払わないという「おバカさん天国」になっている。
いや「払わない」どころか、年寄りの人任せにしている。
そのために、今回のような素人のお年寄り達が野焼きして、死亡するという事故が起きている。
可愛そうに、お年寄り達は、「おバカさん天国」を支えるために野焼きに出かけ、「おバカさん天国」のためにと野焼きして事故にあい、犠牲になられてしまった。

しかし世間は、気にもかけない。
「打ったー、ストライクだー」と騒いでいる「おバカさん天国」の世界は、誰によって支えられているのか。
今に、そのツッカエ棒が外される時が来て、「おバカさん天国」はひっくり返るる。

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