青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

続:知識と教養の在り方

2008年03月03日 | 人生設計
知識と教養の行き着く先には、限界がない。限りないといって、よいほどである。
それ故に前変でも述べたように、私たちにとって好ましいものばかりに終わらない。むしろ、この知識や教養の為に泣かなければならず、悲しまなければならず、苦しまなければならず、他の人と争うことともなる。それは私達が、知識や教養として受容すべき範囲を超えた知識や教養を持とうとすることから生じている。
このために私達は、受容すべき知識と教養の範囲を限定しなければならないし、せざるを得ない。
何によって、限定するか。
それは理性と知性と感性を超えたもので、全てのものに対する「愛」である。または「慈しみの心」である。
即ちそれは信仰であり、宗教であり、信心ということになる。
この信仰や宗教や信心は、単に偏ったものであっては意味を成さない。自分にも良く、人にも良く、全てのものにも良きものでなければならない。
知識と教養は、この自分にも良く、人にも良く、全てのものにも良きものという範囲に収まった知識と教養である時、知識と教養としての意味を持ってくる。

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