初め一より
この「慈しみの心」に述べられているように、「一」からこの世は始まっている。正確に言えば「ゼロから」である。
「ゼロ」から始まり「一」となり、それが万倍に増えていく。
しかしこれは上辺のもので、我々にとっては負の面も持っている。
今日我々の社会や生活を脅かしている「新型コロナウイルス」とて、最初は「ゼロ(無)」であったものが、全世界に広がった。それは突然変異の繰り返しの連続によるといえるだろう。
このことを仏教では「因果律」という。「因果律」は一時的なものではなく、無限大的に行われていく。
また並行して、今のコロナウイルスを例にとれば、そこには我々の生活態度が関連している。
我々は豊かで便利な生活を追い求めている。この豊かさと便利さをあくなきままに求めて、そのために必要な資源を採集するが、この時地中に埋もれていた病原菌も、同時に採集されることになる。
初期の頃は人力での作業だから多くはなく、ために外界の環境に馴染めずすぐに死滅して行ったのではないか。しかし産業革命によって大量生産が行われるようになると、生き残ったものが増殖を重ね繰り返していく。
その上に絶えること無い戦争。砲弾や爆弾で地中深くで眠る、微生物や病原菌の眠り、冬眠を目覚まししていった。あまつさえ原水爆弾まで駆使して。宇宙空間まで脅かしている。
これらは人類の飽くなき豊かさと便利さを追い求めるという欲望が故である。
これは経済指向、資本主義指向が故と言わなければならない。
今日、豊かさと便利さを謳歌する一方、その敗残は山となってチリ積もっている。
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