青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

生活原理主義へ

2009年03月29日 | 短歌に政治や社会
このところ「うつ病」という言葉や語句を、目耳にする。あるいは又、「適応障害」というのもある。
こういうものが、ネットでも身近に使われていて、それは今日の世相の一端を示しているともいえる。

「うつ病」や「適応障害」というものは、精神科医なんかに言わせると、「心の風邪」みたいなものらしい。人間の心の成長過程で、こういう「風邪」みたいな症状が出るのが、一般的なものだといえる。
とはいっても、この症状は個人個人によって異なるだけに、治癒に時間が掛かり、長引く事がある。
そもそもこの「うつ病」や「適応障害」は、医師でもカウンセラーでもない私が口出しするのもおかしいが、自分の心を「どこに据えるか」という据え所を見付けられないからだと思う。

今日のような「経済危機」とか「不況」とかで、それに政情混乱や格差社会などが拍車をかけて、人々の精神状態は不安定になっている。こうした不安定化させているのは、言ってみれば「何を頼りにすれば良いのか判らない」ことにあるといってよい。
こうした「何を頼りにすれば・・・」というような事は、我々の心が、心の据え所を見出していない事による。
これまで我々は、「経済至上主義」とか「政治主導」の下に、「生活」を営んできた。いわば「経済原理」とか「資本主義」一途な下に、我々の「生活」はもまれ続けてきた訳である。
我々の主たる生活現場は、こうした「経済」と「政治」に翻弄されてきたといえる。即ち、「生活主導」の下に、「経済と政治」があるのではなかったのである。

政治にしてからが、「人民の、人民による、人民のための政治」ではなく、「政党や官僚」などのための政治になり、「経済」のための政治になってしまっており、下々の庶民のための政治ではなくなっている。これらに吊られて、企業論理や商魂も乱れている。
「うつ病」や「適応障害」は、こうした状態から、多発している。

それ故に、今の我々は、我々の心の置き場所を、「生活重視」ともいうべき「生活原理主義」になり、しっかりとした据え所を見つけ出していかなければ、将来が危ぶまれる。
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