青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

不思議な言い分

2008年03月30日 | 人生設計

何かと、不思議な言い分が多い。
言っている事は判るのだが、全体的な本質はどういうことになるかということになると、うやむやになっている。それが元で、話がややこしくなっている。
例えば国会。一々の議論は、モットもらしく聞こえる。しかしその一々な事が国民全体のためになるかというと、片寄ったものであるものだから煙にまかれたような胡散臭いものになっている。第一、利得権益に引きずられているからだ。
裁判でも、犯罪を犯した被告たちは無罪を主張して、重箱の隅を突くようなものを持ち出して無罪の正当性を主張する。それは、犯罪を犯したという事実を無視しての主張とも言うべきもので、そこから正当的な無罪を立証しようというのだから、まったく不思議な言い分がまかり通るものである。
教育についてもおかしい。教育というのは、成績を上げることだけなのか、あるいは子供が人間として生きていくために必要な知識を蓄えさせるためのものなのか、だがどうも成績だけが教育としか見られていないらしい。
こうしたことは国際関係ともなると、すぐにいざこざになり、争いになり、ドンパチになる。
余りにも多い不思議な言い分のために、その報復とも復讐とも言える猛威が襲っている。いい加減私達は、その猛威の正体に気付かなければならない時なのに、まだ不思議な言い分に明け暮れている。


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