「信仰」、即ち「宗教」は、難しいものである。
「聖書」には「新訳と旧訳」とがあり、仏教においても釈尊は8万4千の法門を解かれているが、それらを全部読破し説教で聞いても、それで信仰や宗教に入れるかというと、そうはいかない。
むしろ迷いが深くなるばかりが、落ちである。
しかしこういう難しいものだけれども、信仰や宗教ほど至って簡単なものはない。
信仰や宗教を難しくしているのは、差別している所からおきる。
自分と宗教や信仰を別物としているからに他ならない。
別な言い方をすると、信仰や宗教は、「いつでも受け取りなさい」としらしめしている。
ところがそれに対して、我々はそれを受け取るための心の門を閉ざしてしまっている。鎖してしまっていて、受け取るのを拒否した状態になっている。
だからいくら聖書や説教を聞いても、胸の中にも心の中にも入ってこなくなる。
人生の全てが説教であると受け止める時、信仰や宗教は身近なものとなる。