青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

火もまた涼し

2013年02月24日 | 宗教観

今の世の中、何かと物事が絡まり、ぶつかり、その果てに争いやいじめや虐待、体罰といったものが増加している。
それに加えて国家間では領土争いやその緊張感から、人々の精神状態は平静さを失いかねなくなてっいている。
こうしたことに対して、政治家は保身を念頭に置いて対処しようとし、またマスコミもメディアも政府の発表ばかりに流されて、冷静な対処を抱かせニュースを発信しないでいる。
だから政府の発表に振り回されて、マスコミメディアからしてうろちょろするものだから、国民市民までもうろちょろしてしまうことになる。

このようにうろちょろするのは、怖れから、怖いからであろうが、だからと言ってこのように恐れ、怖がっていて何になる。
自分たちに怖れや怖がりを感じさせないようにしてくれと言っても、こちらの対処が相手に怖れや怖がりを与えるものであるならば、いつまだ立っても不毛の時を過ぎさせることになる。

恐れや怖さは、精神が統一し整っていないことにある。
精神が整い統一しているならば、「安禅必ずはも山水を求めず、心頭を滅却すれば、火もまた涼し」き状態になり得る。
「景気拡大、経済成長、物価目標」などということよりも、国民が一丸になって精神修行をしていくことにこそ、国の安全と安心がある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする