青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

愚かさの美学 (番外編 9)

2008年10月12日 | 人生設計

前述した「愚かさの美学 (番外編 8)」において、ノーベル賞受賞者たちをコケおろす様な事を述べていたが、それは「嫉みやねたみ」からではない。
「人として生まれ、人として生き、その人として生きること」を見詰めるからである。

ここでノーベル賞受賞の対象となった「自発的対称性の破れ」とはどういうものかについて、説明や解説がなされているので、それを見ながら、私の意見を述べさせてもらう事にする。

「自発的対称性の破れ」の概念



例えば、鏡に映したように右と左を反転させると、物理法則が同じにならず、ずれが生じ、宇宙誕生した直後には質量がなかった素粒子が、質量をもつようになったという基本メカニズム。



この解説論。



牧場に牛が一頭いたとする。そこから同じ距離のところに、同じ量の干し草の山が二つあるとする。牛は同じ距離、同じ量なので迷うが、最終的には空腹から、どちらかの干し草を選び、食べる。すると、対称だった干し草の構図が崩れる。つまり自発的に非対称となる。物質を作る最小単位である素粒子の世界でも、この「自発的対称性の破れ」が発生する。



以上の説明と解説を受けて、それで納得できるかとなると、一般人には難しいと思う。
それで私は、一般の人にも判るように、次のように考えてみた。
まず「鏡に映したように・・・・」ということだが、これは「男性に対する女性」と見なせば良い。「女性に対する男性」としても、「ブラスに対するマイナス」でも良い事になる。だから「鏡に映したように・・・・」という説明は、最初は同一性があったものが破れて、異質性が現れたという説明になっているといえるだろう。

次の「牧場に牛が・・・・」という解説文に対しては、ちょっとひねった考え方になるが、こういう事と言える。
「男女」という二つの干草が、「好意と愛情」を持って結婚したとする。そして家庭生活を営む。この「家庭生活」が「牛」に当たる。
家庭生活という牛は、時間経過と共に、男女の生活態度や感情、情操に揺れやゆがみを生じさせる。
「牧場に牛が・・・・」という解説文は、そういうことを述べていると言っていいだろう。

至難滅裂なようなややこしく難解な物理学の説明や解説文も、このように精神性や社会性を、ない交ぜにして考えてみると、こういうことになる。
そしてそれを、ただ単に発明として位置づけるのではなく、今の例えで言えば「男女の関係悪化の原因を解き明かす」といえる発明を、関係修復のために応用してゆく事が重要であるように、いかなる大発明も、応用次第では毒にも薬にもなる。
それは「自発的対称性の破れ」の説明文にもあるように、「自発的対称性の破れ」という発明自体には何の自性を持っていないが、それが社会性とか応用性を持つ時という対称を持つ時、ゆがみや破れが発生する、ということを表している。

故に問題は、発明自体が栄誉なのではなく、応用次第で栄誉にも、悪魔の産物にもなるという、「愚かさの美学」になるかもしれないという事を、言いたい訳である。
もっとも、私の言う事が妥当と認められた場合に、限る事なのかもしれない。

コメント
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