
いよいよ最後のヤマ、14番山、江川町の「七宝丸」です。
明治九(1876)年に製作されています。
江川町が「七宝丸」を選んだ理由としては、曳山製作関係者が大石町在住であったので、大石町の対の船として、竜頭の七宝丸をつくったと伝えられています。
七宝丸は総高6.3メートル、幅2.2メートル、奥行3.2メートル、重さ3.0トンの、宝珠、軍配、打出の小槌、隠れ蓑、隠れ笠、宝鍵、宝袋、丁子、一対の巻物などなど、多くの宝をもった、龍頭と火炎が特徴の船曳山です。

(唐津市刀町)
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13番山、水主町の「鯱しゃち)」です。
このヤマは、明治九(1876)年の製作になります。
水主(かこ)町は、唐津初代藩主寺沢志摩守広高が、築城時に水軍の基地として船宮を設け、その周辺に水主たちを住ませたのが町の始まりです。
後に、城下17カ町と同格扱いとなり、寺沢氏改易後、一般町民も移住するようになりました。
水主町が「鯱」を選んだ理由としては、鯱は海と水に関わっていますし、火災よけの魔力があり、町名の水と関係があるので決まったとも言われています。

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曳き山のオンパレードも、残り少なくなりました。
これは12番山、京町の「珠取獅子」です。
明治八(1875)年の製作です。
第1回目の塗り替えが大正10年に行われていますが、この時は、それまでの青獅子から朱獅子に塗り替えられています。
その理由としては、青色の漆が入手できなかったからとも伝えられていますが、昭和37年に元の青色に復元されたそうです。

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11番山、米屋町の「酒呑童子と源頼光の兜」です。
明治二(1869)年の製作になります。
血走った眼球と兜をかんだ白い歯が特徴的で、子ども達には一番怖がられている兜曳山です。
頼光の兜の頭髪には現在ヒマラヤ原産の白いヤクの毛が、眉には黒馬毛と幕には大麻が用いられているそうです。

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10番山、平野町の「上杉謙信の兜」です。
このヤマ以降は、明治時代に入ってからの製作になり、これは明治二(1869)年に造られています。
製作後、計四回の塗り替えがなされ、一番新しい作業が昭和57年に行われているそうです。

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