資格マニアの品格

取得資格107個のスイスポ乗り      by Y.M

黄金期から現在へ

2022年10月20日 | 資格

ここ1年間はYouTubeネタばかりに意気込み、
ブログらしさが闕如していることを了知している次第であるが、
最近、非常に喜ばしい出来事があったゆえ、昔話も含めて書かせていただこう。

もう30年以上も昔の話になる。
私が名古屋の専門学生だった頃、
学校の近くにはシグマレジャック熱田店というゲーセンがあり、
よく昼休みや
放課後に入店してアーケードゲームをやり、卒業した後もそこに通っていた。

1989年の秋ごろ(だったと思う)ダライアスⅡというシューティングゲームが入荷。
お店のハイスコアボードに名前を載せるのを目標とし、私はプレイに励むことに。
常連客のK氏、店員のS氏も同ゲームをプレイしており、良きライバル関係となる。
そのK氏がゲームサークル(H)を作ることになり、私も誘われて入会。
これをきっかけに、多くの仲間に恵まれた。

一方、名古屋駅太閤通口から徒歩10分ほどのところには、イエローハットというゲーセンがあり、
そこには全国トップ水準のマニアが集結していた。
私はM県出身だが、主観のまま語るなら、名古屋のゲーマーレベルは全体的に
M県とは比べものにならないほどに高い。

無謀にも『打倒イエローハット』を謳い文句に、私はダライアスⅡで全国トップを目指すことに。
数カ月後、やり込みが功を成したのか、幸運にも全国トップを取るこができ、
月刊ゲーメストという書籍に私のスコアネーム『闘龍-MATSU』が掲載された。


(1990年10月号掲載)

ダライアスⅡに続き、幸運にも雷牙、サンダークロスⅡ、アクロバット
ミッションでも
全国トップを取ることができた。


(1991年8月号掲載)


(1992年2月号掲載)

闘龍-MATSUの後ろに付いている正方形内に龍の文字(カクリュウ)は
私が発足したゲームサークル(のようなもの)で、
T氏、G氏、N氏、E.T!、A氏、J氏、それに私の7人体制だった(と思う)。

断っておくが、全国トップを取ったとはいえ、私の実力がマニア集団に及んでるわけではない。
実力がマニア集団レベル(あるいはそれ以上)に達していたのは、
カクリュウにも入会してくれたE.T!である。
(本人に了承を得ているので、スコアネームで書かせてもらっている。)

シューティングゲームをプレイするE.T!を、ひと言で表現するなら、まさに『超達人』である。
弾除けは人間離れしており、ポテンシャルはすこぶる高い。
当時は名古屋の精鋭ゲーマー10本の指に入るほどの実力者だったと言えよう。

当時の彼がその気になれば、どのようなシューティングゲームであろうが
素早く全国1~2位ほどのスコアをたたき出してしまったであろうし、
1942レベルのシューティングゲームなら、
初プレイでもあっさりと1コインクリアしてしまったであろう。
誰もがそのように確信しており、彼を評価していた。

E.T!は、東亜プランを愛好するゲームサークル(T)の会長でもある。
東亜プランとは、かつてのシューティングゲームブーム期に
高難易度の縦スクロールシューティングゲームを主軸に
開発していた
アーケードゲームメーカーである。

現在も現役のゲーマーでもあるE.T!は名古屋を離れており、私はM県在住だが、
電話やメールで交流は続いており、つい今年の4月にも顔を合わせている。


少し話は変わるが、当時私はシューティングゲームをやりながら、よく仲間と騒いでいた。
ゲームBGMに合わせ、ごく自然に意味のないことを口走り、叫び、歌いもする。
(これが、たまらなく楽しい。)
いわゆるバカ騒ぎである。
その最たるメンバーがK氏、YHさん、YA氏、そして私である。

私見では、K氏はゲームBGMに合わせたオチャラケ作詞に長け、
YHさんはゲームBGMをデフォルメ化するのに長けていた。
YHさん達とはダライアス2や鮫!鮫!鮫!、サンダークロス2などをプレイしながら
よく騒いだものだ。

当時は『騒ぐこと』と『純粋に楽しむこと』と『心から笑うこと』の間には
1ミクロンの隙間もなく、まるで、ひとつの鉱物のように一体化していた。
そして、みんなが良い目をしていた。

30年以上経った今、ひょんなことからYHさんに電話をすることになった。
古い手書きの電話帳にはYHさんの電話番号がある。
どのような経緯で手元にあるのかは忘れてしまったが。

幸運にも、電話番号は変わっていなかったようである。
本人が出た。
果たして、現在のYHさんは、昔のYHさんままでいるのだろうか。
社会の重圧や生活環境の変化などで、変わってしまってはいないだろうか。
という不安を抱えつつ。

『あの頃は…』から始まる合言葉(のようなもの)。
突如の電話に本人は動揺していたようだが、相も変わらず元気そうで何よりである。
合言葉も覚えていてくれたらしく、『雷…』から始まる6つの合言葉も全て覚えていてくれた。
当時と同様にノリが良く、リズミカルに。
電話とはいえ、30年ぶりの再会に、何とも嬉しい限りである。

話によれば、YHさんは30年前からその後も他の趣味と平行してゲーム活動を続け、
現役バリバリのゲーマーらしく、E.T!のゲームサークル(T)の会員でもある。
所有するアーケードゲーム基盤も、一時期は100枚を超えていたらしい。
(ちなみに私はたった3枚である。)
何たる熱意、何たる熱情、YHさんには脱帽である。

私はと言えば、アクロバットミッションのスコア掲載後、やむを得ない事情により
M県に帰ることとなったのだが、その後アーケードゲーム活動はパタリと止み、
方向性を失った熱意は筋トレやクルマetc、その後は資格マニアへと向かう。
そんな私は完全にゲーマー失格なのである。


(M県に帰省後、現在の家内と名古屋ツアーの際、イエローハット前にて)

今やシグマレジャック熱田店もイエローハットも消えてしまった。

振り返れば、名古屋ゲーセン時代が一番楽しかった。
そして名古屋弁が好きである。
ゆくゆくは同窓会のようなノリで、
再びゲーセン仲間と集まることを夢見ているこの頃である。


コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« LEGACY 峠アタック | トップ | SWIFT SPORTS »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ゲーセン黄金時代 (TOA愛好会Y.HARA©)
2022-11-04 00:05:15
遅くなりましたが、記事を読ませて頂きました。

あの僅かな時期ではありますが、特に自分がコスモスからシグマレジャック、そしてイエローハットと行くようになってからは、内容が濃すぎたというか、色々あって毎週本当に楽しかったですね。

あの時の思い出は、今でも人生の財産です。

今、自分は仕事において様々な事に取り組んだりしていますが、ハッキリ言って全く楽しくない。
ただミッションをミス無くこなしてるだけで、冒険心というか、胸の奥からワクワクするものが全く無いです。

たまにゲーム基板を引っ張り出して・・・というのも、現在コントロールボックスは故障中。
多くの基板は埃を被ったままです。

たまにはキレイにしてやらないと・・・

4月にE.T氏と会ってたんですね。
自分が最後に会ったのは1991~1992年に大府市内の某ショッピングセンターのゲームコーナーだと思いました。(確かDOH氏と一緒に移動してた時だったかな?・・・DOH氏覚えてますかね?)

E.T氏だけでなく、本当に当時の方々と久しぶりに会ってみたいですね。

おまけ
全一を取られたアクロバットミッション、そして全一まであと僅かだったEDFですが、その後自分も基板を入手し、結構やり込んでみました。

一応どちらも1コインクリアまで出来たものの、アクロバットミッションはギリギリ60万超え、EDFは自分としては結構稼いだつもりが224万と、どちらも闘龍-MATSU様の出してたスコアの足元にも及ばないもので、いかに当時のスコアがものすごいモノであることを実感しました。
返信する
ありがとうございます (闘龍-MATSUことY.M)
2022-11-04 18:39:22
Y.HARAさんにコメントいただき、大変嬉しく思います。

私にとっても、今や名古屋ゲーセン時代はかけがえのないものとなってしまいました。
当時はゲーセンに通うことが、当たり前のことだったのですが、歳を重ねるごとに、それは非常に貴重な体験だったのだな、と思えるようになりました。

私のコンパネはKIC'Sですが、画像調整のツマミがイッてしまってるので、画面の端が切れて表示されます。
致命的ですね。

今までY.HARAさんに仕事のことを聞いたことはなかったのですが、今はどのような仕事をされているのか知りたくなりました。
もしよかったら、今度メッセージで教えてくださいませ。

4月にはE.Tと会ってました。
熱田のブックオフから始まり、車で移動して大須のぶらり旅。
家庭用ゲームソフト、漫画本、模型などを観て回ってました。

DOH氏は、覚えてます。
AUP氏の同級生だったんですよね。
懐かしいです。

アクロバットミッションは、私のスコア掲載号を紛失してしまったので、何点出してたのかが分かりません。
クリア時のノーミスボーナスと2ボンバーボーナスが大きかったのですよね。
最終ボスの、回転6ウェイ弾の右回転と左回転の決定には、何か法則でもあったのでしょうか。
分からずじまいでした。

EDFは、敵を破壊した時に点数が加算されないバグをいかに無くすかだったのですが、これも分からずじまいでした。
装備、フォーメーションと、いろいろ試してみたけどダメでした。

こうして昔話をしていると、ますますTOA同窓会への意欲が強まりますね。
あスッピッピッポコスピッピピピポコ♪
返信する
Unknown (イエローハットの隣にいた一般人?)
2023-03-23 22:07:56
ネット徘徊中に懐かしい名前(スコアネーム)の方を
お見かけしたので...

アクロバットミッション?
ネット上に、ハイスコア履歴?が残ってました。
某メストの掲載号は、多分手元にありますが
探すのがちょっと厄介なので...

https://www.high-scorer.net/entry/2022/03/05/105805
返信する
なつかしい (闘龍-MATSUことY.M)
2023-03-24 15:13:20
ありがとうございます!
イエローハットの隣にいた一般人?さんは
トンガに通われていた方でしょうか。
それともT校の方?

スコアの方、拝見しました。
アクロバットミッションはノーミスボーナスとボンバーボーナスが大きく、当時は運良く2ボンバー残してノーミスクリアでした。
最終ボスも攻略らしきものも見つからず、右回転&左回転攻撃にはアドリブ+運のようなものでした。

私ごときのスコアネームを覚えていてくれる方がいて光栄に思います!
返信する
Unknown (イエローハットの隣にいた一般人?)
2023-03-25 14:46:41
返信ありがとうございます

goo blog 、投稿がすぐ反映されないので
危うく2重投稿する所でした

私は当時、専門学校生、予備校生ではありませんでしたが
あの近辺のゲーセンのほとんどに行ってました。覚えているイエローハットでの闘龍-MATSU さんの話を少し。

●ダライアスⅡ

コミュニケーションノートにびっしり書き込まれたヤズカ稼ぎパターン?は、ここまでするか?...と絶句。
知人と「コレ出来る?」「マジか」...凄い勢いで皆、
首を横に振ってました。


●サンダークロスⅡ

もし店に、発売ver.が入っていれば全国初カンスト(1000万+α)達成は間違いなかったのに...と悔しがってました(※店舗スタッフのNさん談)

...コレだけで充分凄さが分かります


●E.T!さんの話

ゲームが上手いのはもちろんですが、その場に居るだけで不思議と人が集まって来るんですよね
プレイ中のギャラリーではなく
絵やゲームの上手い方々の事です。...人徳とでも言えば良いのかな??

そのE.T!さんも、闘龍-MATSU さんのゲームの
やり込みと集中力に感心しており、
その能力が欲しいとも...
(※おぃおぃアンタどこまでゲーム上手くなる
つもりだよ...と1人ツッコミしてました)


...と言う訳で、闘龍-MATSUさん
E.T!さん、サークル(H)は●YKのトップの方
(※ナムコのデンジャラスシードがとても上手
だったと記憶してますが...合ってますかねぇ)

...私の事は顔見知り程度には知っているはず??
ただ、SNS ブログ等は話題を持ってない事と
誤爆が怖いので手を出してません。


●追記

当時のスコアネームのままTwitter等のSNSやブログ等をやっておられる方は少ないので
色々な方の話や消息が分かって良かったです。
ありがとうございました
返信する
ありがとうございます (闘龍-MATSUことY.M)
2023-03-25 15:54:10
E.T!や店員だった〇野君、それに教祖を知っていらっしゃるのなら、間違いなく貴方様のことは知っていると思います。

E.T!は人徳ですよね。
私の方こそE.T!のような弾除け才幹が欲しかったと思う次第です。

おっしゃる通り、教祖はデンジャラスシードがとても上手く、全一レベルでした。

30余年が過ぎた今、まさかこのようなコメントをいただけるとは思いませんでした。
ホントにありがとうございます。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

資格」カテゴリの最新記事