星を数えながら

日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など
小さくても星のようにキラリ☆光ることを
分かち合えればいいなぁ。

生誕何百年

2009年03月12日 10時15分20秒 | 友だち・人物のこと
先日本屋を訪れた時、正面の一角の目立つところに
「ダーウィン」コーナーがあった。
「どうしてダーウィン?」と思っていると、
「ダーウィン生誕200年」と記されていた。
「なるほど~」と思い、今年の生誕何百年の方々を調べてみた。


ジャン・カルヴァン(1509-1564)
 生誕500年!神学者、宗教改革者。
 昨年からだろうか「キリスト教綱要」が改訳され、
 相次いで出版されている。

 また私も古本でカルヴァンに関する本を読んだ。
 今までちょっと誤解していたなぁと感じた。
 今年は積読になっている「綱要」を、
 少しずつでも読めたらなぁと思っている。
 読めるかなぁ???



チャールズ・ダーウィン(1809-1882)
 言わずと知れた生物進化論者。生誕200年。
 ダーウィンの「種の起源」などを読んでみようとは思わない。
 ただ進化論に関係して、
 『ゲノムと聖書:科学者、〈神〉について考える』を
 読んでみようとは思っている。
 恐らく、進化論に関して私のイメージが大きく変わるだろうと思う。



エイブラハム・リンカーン(1809-1865)
 生誕200年。第16代米国大統領。
 オバマさんがリンカーンが使用した聖書で、
 大統領の宣誓をしたことは有名。
 オバマさんの演説CD、実は買ってたりして(笑)
 まだ聞いてないんだけど。



フェリックス・メンデルスゾーン(1809-1847)
 生誕200年。作曲家、指揮者。
 名前を聞いたことはあるけれど、
 どんな曲を作曲したのかは知らない(笑)
 どなたか推薦される曲があったら教えて下さい!

 ただ、私の好きな聖歌100番「しずかに神と」は、
 メンデルスゾーンの作曲。
 とっても美しいメロディで気に入っている。

 38年の生涯だったとは!
 私もあと2年で・・・。



言葉遊び

2009年03月11日 08時47分56秒 | 考えたこと
私は駄洒落をほとんど言わない。皆無に等しい。
駄洒落を話す人を見ると、「頭の回転が早いなぁ」と思う。
少々感心するが、少々戸惑うこともある(笑)

駄洒落は言わないけれど、自分で考えた語呂合わせがある。
まぁ私ごときが思い浮かぶ語呂合わせだから、
もっと前に誰かが言っているのだろうと思うが。



①「心棒があれば、辛抱できる」

心棒があると(人生の基軸、中心、土台がしっかりする)、
辛抱できる(忍耐、心の大きさ、ふらふらしない、倒れない)。

最初は、辛抱すれば(忍耐すれば)、心棒が生まれると思っていた。
しかし心棒がなければ、辛抱できないことが分かってきた。


②「競争心ではなく、向上心」

受験勉強の最中、ただ競争するために学んでいるのではない、
そういうことを自分に言い聞かせていた。
生きることも、誰かと比較することではないだろう。
昨日よりも今日、よりよく生きて生きていく、
競争ではなく向上だろうと思っている。


③「肝要なことは、寛容でおれる」

これは、最近つくづく感じていること。
本当に大切なこと(肝要)であれば、
慌てたり、苛立ったりする必要はない。
肝要なことほど、寛容な思いでおれるはずだ。


電動アシスト自転車

2009年03月10日 12時14分03秒 | 考えたこと
昨年道路交通法の改正があったようで、
人の力と動力補助の比率が、最大1:2になったそうだ。
(今までは1:1だったようだ)

もちろんスピードが出るとこの比率は下がり、
時速24キロ以上になると補助力はなくなるので、
スピードが出過ぎることはなくなるという安心設計だそうだ。



イエス・キリストを信じて信仰をもったからと言って、
人生の坂道がなくなるわけではない。
でこぼこ道もあれば、砂利道も水たまりも、
心臓破りの坂道も依然としてある。

でもキリストを信じる者は、坂道を自分の力で、
立ちこぎをしながら歯を喰いしばって登って行く必要はない。
だからと言って、何もしないで自動的に登れるわけでもない。

適度な汗をかきながら、しかし聖霊の力に支えながら、
頂上にある風景を望みつつ、坂道を登りきることができるのだろう。

毎朝、教会員の婦人の方が祈りに来られた後、
電動アシスト自転車で、少しなだらかな坂を軽やかに登っていく、
そんな後姿を見ながら、電動アシスト自転車と信仰生活は、
どこか似ているなぁと感じていた。


マイケル・J・フォックス③

2009年03月07日 08時56分38秒 | 友だち・人物のこと
「この病気のおかげで、
  ぼくはいまのような自分になれたのだ。
 だから自分のことを
  幸運な男(ラッキーマン)だと思うのだ」

著書「ラッキーマン」の由来はそこからだろう。
30歳で若年性パーキンソン病と診断されたマイケル。



You tubeにBSで放送されたであろう彼の様子が
あったので見ることができた。
奥さんやお子さんも登場していた。良い番組だ。

「本当に大切なものを
  ぼくは病気で手に入れた」と言うマイケル。


河野進牧師の「病まなければ」という詩を思い出した。
 

 「病まなければ 捧げ得ない祈りがある
  
  病まなければ 信じ得ない奇跡がある
  
  病まなければ 聴き得ない御言がある
  
  病まなければ 近づき得ない聖所がある
  
  病まなければ 仰ぎ得ない聖顔がある
  
  おお病まなければ私は 人間でさえもあり得なかった」

マイケル・J・フォックス②

2009年03月06日 08時35分33秒 | 友だち・人物のこと
マイケルは、若年性パーキンソン病と診断された。
その時、医師は医師なりの明るい見通しとして、
「適切な治療をすれば、
 まだたっぷり10年は仕事ができますよ」
と言われたそうだ。
まだ30歳のマイケルに、「あと10年」という宣告。

病気を「同意する」のと「受容する」との間に、
遠くて長い道のりがあることをマイケルは記している。

病気を隠すために、仕事場で孤独な格闘をしたり、
家族と一緒に食事をすることより、浴室にこもっていたり、
アルコールでストレスを紛らわせたり・・・。

ある時、やっとカウンセラーのもとに訪れることになる。
そのカウンセラーは、マイケルを判断したり、
批判したり、教義を押しつけたりはしなかった。

そして以下のように告白するに至っている。
「ぼくにとっての第一歩は、ようやく、
 パーキンソン病だという診断を認め、
 病気に乗っ取られるのではなく、
 自分が病気を所有することだった」

そして彼はお酒を飲むことをやめた。
パーキンソン病のことはどうすることも出来ないけれど、
アルコールをやめるという選択はすることが出来るのだからと。



出来ることと出来ないこと、
受容していくことと積極的に選択していくこと、
そういうことをマイケルは考え始めていたのだろう。
不自由な体になったことによって、
本当に大切なことを選びとる自由を発見したのだろう。

彼が自分も周りの人をも苦しめるお酒をやめてから、
ほとんど毎日のように、あのニーバーの祈りを神に捧げてきたようだ。
そして今まで過小評価していた祈りの力を知ったそうだ。
この祈りは、私にとっても大切な祈りだ。

 「神様、変えることのできるものについて、
  それを変えるだけの勇気を 与えて下さい。

  変えることのできないものについては、
  それを受けいれるだけの心の静けさを与えて下さい。

  そして、変えることのできるものと、
  変えることのできないものとを、
  識別する知恵を与えて下さい」
             ラインホールド・ニーバー

マイケル・J・フォックス①

2009年03月05日 08時13分06秒 | 友だち・人物のこと
中学生ぐらいの夏休みだったと思う。
お昼のテレビ番組で、私は「笑っていいとも」を見たかったのだが、
弟たちは「奥様は魔女」のような「笑い声」のある
アメリカのコメディドラマにチャンネルを合わせた。
ケラケラ笑う弟たちだったが、私は「いいとも」の方が面白いと思った。

高校生の時、「バック・トゥ・ザ・フューチャーⅡ」を見に行った。
その時、主役のマイケル・J・フォックスこそが、
あのお昼のコメディドラマに出ていた人だと分かった。
「ファミリー・タイズ」という名前のコメディだそうだ。

マイケル・J・フォックスのファンというわけでもなかったが、
背が低いという共通点を見出し、どこか親近感を持っていた。
欧米社会の中で、私とほぼ同じ身長なので、体感はさらに上だろう。

彼は少年時代を振り返ってこう言っている。
「へんなこととかおもしろいことならなんでもきたが、
 もっと大きくなることはできなかった」
よ~く分かる(笑)

彼が若年性パーキンソン病という難病を患っていることを、
ニュースで知った時、少々驚いたのを覚えている。
パーキンソン病という名前を初めて聞いた時だったのだろう。

その後、彼がどのような人生を歩んでいるのか知らなかった。
ただ尊敬する三浦綾子さんも晩年にパーキンソン病を患われていたので、
パーキンソン病の名前が出るたびに、2人のことを思い出していた。



そしてつい前日、ブックオフで彼の自叙伝を見つけたのだ。
105円という価格だからこそ、購入をした。
私の敬愛する身近な方もパーキンソン病を患われているということもあり、
この本を読みながら、床に就いていた。

この本の初め、8ページにこんなふうなことが載っていた。
もし誰かがやってきて、病気になった10年間を帳消しにし、
病気にならなかった10年間と取り替えてあげようと言ったなら、
 「僕は一瞬の躊躇もなくこう言うだろう、
  『出ていってくれ』と」
と記されていた。

30歳で若年性パーキンソン病を患ったマイケル。
私はその夜、寝不足を覚悟で
かなりのページを読み進めたのだった。

忘れてた!

2009年03月04日 08時50分39秒 | 驚いたこと
私は出来るだけ、日曜日と月曜日の週に2日、
自分のパソコンの電源を入れないようしている。
パソコンに向かって何かをしている時間があまりにも多く、
(もちろんパソコンでないと出来ない用事がほとんどなので)
どこかで自覚的に、パソコンoffの日を設けないと
何かが鈍感になっていくような気がしている。

しかし日曜日の朝、その日印刷する資料をプリントアウトするため、
自分のパソコンの電源を入れ、用事を済ませた。
その日は時間に余裕があったので、
自分のblogを開いてみると、以下のようなコメントがった。

 「なると先生・・・ぷぷぷ。
  なんとも微笑ましいですわ。^^
  明日は御影でお会い出来ますかね??」

その瞬間、思いだしたのだった。
その日(日曜)の夜、スプリングキャンプの決起祈祷会があることを。
すっかり忘れてた・・・。

我ながらびっくりするほどの忘れようだった。
頭の片隅にはあったはずなのだが・・・。
その日の予定をその日になるまで忘れていたなんて。
そんな自分に自分自身がとっても驚いたのだった。



次のキャンプは、私は関東に行くので参加することが出来ず、
私の担当奉仕は、広報のパンフレット作成なのでもう終わっている。
決起祈祷会での奉仕も何もなかった。
きっとそういうことで抜けてしまっていたのだろう。

MIYUKIさん、っということで、コメントをありがとうございました!
とっても、とっても助かりました。助けられました。
「青少年委員の教職なのに、青少年の行事を忘れるなんて」
と失望をさせたかもしれません(笑)

ながさわ先生の「土の器を選ばれた」というメッセージに、
大いに励まされ、慰められ、当日の祈祷会でしっかり悔い改め、
キャンプの祝福を祈りました。

そろそろ脳の硬化現象が始まっている???

初・徳島

2009年03月03日 10時00分41秒 | 妻とのこと
先週、出かけてきた淡路島-徳島への小旅行。
blogで何回にも分けて連載しているが、
日曜日の夜から月曜日にかけてのまさに小旅行。
今回の旅の目的でもある徳島に初めて訪れた。

私は気づかなかったのだが、
今まで四国に行ったことがなかったのだった。
厳密に言うと、小6の頃、淡路島でキャンプをした帰りに、
開通したばかりの大鳴門橋を渡って徳島へ行き、
すぐに淡路島へ引き返したことがある。2分もいなかっただろう。
っということで、今回が初・四国、初・徳島だ!

神学校の先輩でもあり(あまり先輩扱いをしていないが・笑)、
夫婦共に仲良くしてもらっているI師夫妻に会ってきた。
近いようで遠いような大阪-徳島間。
会えそうでなかなか会えなかったのだが、
今回は思いきって訪れることができた。

I師夫妻の車に先導されながら着いたのは、
「びんび家」という大きな看板のあるお店。
ここでちょっと遅い昼御飯を御馳走になった!



瀬戸内海で獲れる新鮮な魚介類を豪快に料理してくれるお店で、
大阪ではちょっと食べられない(高くて?)御馳走を、
たくさんたくさん頂いた!

2時ぐらいの遅い昼御飯になると予想していたので、
ホテルの朝食バイキングを「これでもか」というぐらい食べていた(笑)
小腹がすいたかなぁという程度の空腹感だったのだが、
あまりの美味しさに、たくさんの量だったが全部たいらげた。

私は、あまり「美味しい、美味しい」と言わない方なので、
御馳走しがいのない者でI師夫妻には申し訳なかったけれど、
まさにお腹の中は、大満足だった。

「びんび屋」の「びんび」って何だろうと調べてみると、
徳島の田舎の方言で「魚」のことをさすそうだ。

その後、蓮根畑の真ん中を通る徳島の田舎道を通って、
I師夫妻の仕えておられる教会に到着した。
大きくなったお子さんとも会話を交わし、
お互いのために祈り合うことができて、
とっても良いひと時だった。
良き友がいるって、感謝なことだなぁとつくづく思う。

私にとっての初・徳島。
強く残った印象は、「びんび家」と蓮根畑だった!

なると

2009年02月28日 10時35分54秒 | 妻とのこと
一泊二日の小旅行。
黒岩水仙郷は閉園だったが、
道路際に咲いている水仙を楽しみつつ、
一路鳴門へ向かった。

11時50分が満潮ということで、
前後2時間ぐらいの間に大きな渦が見られるとのこと。
少々冷たい風に吹かれながら、大鳴門橋の下へ。



時間と余裕があれば遊覧船にでも乗ればいいのだが、
何と言っても我が妻は「電車にも酔う人」なので無理。
道の駅から、渦になるかならないか、
それらしきものを眺めていた。

お約束の記念写真を撮ったが、妻の指が・・・。


ラーメンによく入っているかまぼこの「なると」は、
どうやらこの鳴門の渦潮が由来らしい。
さぞかし「なると」生産工場がたくさんあるのかと思いきや、
静岡県焼津で消費量の9割を生産しているとのこと。



私の名前「成人」は読みにくいようで、
初対面の先生に「なるひと」「なると」と呼ばれたことも(笑)
あまり目立たないが、おでこのすぐ上に、
「なると」のようなツムジもあるのが坊主頭にすると分かる。
ちょっぴり親しみを感じる「なると」の旅だった。

水仙

2009年02月27日 09時03分26秒 | 妻とのこと
洲本城を散策している時、ジョギングをしているおじさんが
「どちらから来られましたか?」
と声をかけてこられた。
「大阪です」と答えると、
「では、黒岩水仙郷に行くといいですよ~」
と教えてくれた。気さくなおじさんだ。

実は水仙郷に行くのを楽しみにしていたのだ。
「ホテルの方が、もう見頃は終わったと
 言ってましたが・・・」と会話を続けると、
「最盛期は過ぎたけど、まだまだ見れるよ~」
と教えてくれた!

途中モンキーセンターなるものを越え、
桂小枝が紹介しそうな「パラダイス」なるものの前で、
お姉さんが手招きしているのを振り切った。
後ろからくるエスティマとの車間距離を気にしつつ、
黒岩水仙郷に到着した。

水仙郷の前には数台の車が停まっていた。
「月曜日やのに込んでいるのかなぁ」と思っていると、
目の前に看板が立っていた。
そこには、「わざわざお越し下さったのですが、
2月22日までの開園となりました」といような文言が・・・。
「昨日が最終やったんや・・・」

まぁそれでも淡路島の道路際には、
たくさんの水仙が植えられており、
ドライブがてらにそれなりに楽しむことができた。



私は苦手なのだが、旅の醍醐味の1つに
「全く知らない方との出会いや会話」があるだろう。
一期一会というものだろう。

前日の温泉では、湯船につかる人と
話しをすることが出来なかった。
しかし、水仙情報はちょっと違っていたけれど、
洲本城にて地元の方とちょっとだけ話せたことは良かった!