社会不適合者エスティのブログ

社会不適合者となり、
色んな生き方を模索中のブログ。
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僕が社会不適合者になるまでの自分史⑤小学4年生編

2017年07月30日 | 意見やその日の感想
主に音楽会への強制参加に抵抗して担任とぶつかり合った時期です。

【歌や楽器が下手でやる気なしで音楽会の練習が苦痛でしかなかった】
僕が小4の時には音楽会なるものがありその1日の為だけに練習させられ、
授業の時間が潰れるという悲惨なもので僕の場合は木琴担当にさせられた。
もちろん全くできないのですぐに飽きてしまい音楽会自体に興味がなく、
練習も嫌になったので音楽会に参加したくないと担任に言ったものの、
全く受け入れられず練習の時間になる度に担任と取っ組み合いの喧嘩に。

【僕の自由主義と担任の封建主義の戦いになり体育館まで引きずられる】
音楽会の練習はクラス全体で行い1日1回のペースで体育館で行われていた。
練習の時間になるとみんなは体育館に行くが僕は練習なのが分かっていたので、
教室に留まろうとするが担任がそれを許さず僕の体を引きずって教室の外に出し、
それから廊下から階段を引きずり体育館まで無理矢理運ぼうという魂胆です。
こんな辛い思いをさせてまで学校行事に参加させる価値がどこにあるのやら。

【学校行事の強制参加は結局のところ刑務所の強制労働と変わりない】
これほど非人道的な事が未だに日本の学校ではまかり通っており僕も被害者です。
結局いつも練習時間が終わる頃に体育館前まで体を引きずられ僕も抵抗して、
担任を殴ったり引っ掻いたりしており練習時間が終わってようやく担任も諦め、
僕から離れるというやりとりを毎回行っており別の意味で体力が消耗するし、
音楽会当日は一応参加させられたものの楽器を鳴らすふりをするだけで決着した。

【この担任が親に僕の話をした事がきっかけで発達障害が発覚した】
実のところこの担任に僕が他の子供と違う事を親に指摘した事で病院を紹介され、
発達障害が発覚したもののこの時の僕には何故か伝えられず僕が知ったのは、
ずっと後になるができればこの時点で伝えてほしかったし固定観念に縛られた、
教師たちこそ病院へ行くべきだと思うし発達障害を知った上で普通の子供として、
育てようとしていた学校がアホらしいと思うし子供に合った教育だったらと思う。

【みんなと同じだと健常者でみんなと違うと障害者と決めつける社会】
空気が読めなかったら発達障害で沸点が低かったら精神障害と決めつけ、
あくまでも個性ではなく枠からはみ出た障害とみなすというのはなんだか、
子供たちをふるいにかけて不良品を取り除いて良質品だけを取り出し、
企業に納めるための商品のような扱いを受けているみたいで嫌だと思うし、
やはり日本人は子供を都合の良い奴隷としか思っていないのだと思う。

【何かをやる時に何故を追究しなくなると手段が目的になってしまう】
小4最悪の思い出はこの音楽会の一言に尽きるが何故音楽会をやらないと、
いけないのかを聞いても理由を答えてくれずとにかくやらないといけないと、
言われたから元々楽器が下手だった事もあり反発したのだが納得がいく理由を、
言っていればやっていたかもしれないが本来音楽会は楽しむ手段のはずなのに、
何故やるかという視点がないために目的になってしまっていたのが残念だ。

この音楽会の強制参加のせいで僕は音楽に苦手意識を持つようになりました。

僕が社会不適合者になるまでの自分史④小学3年生編

2017年07月23日 | 意見やその日の感想
この頃社会性に乏しい生徒に対して理解のない担任がいたなー。

【給食の時間に起きた苺シャーベット事件で教師不信に】
小3になり僕は相変わらずだったがとんでもないクソじじいが、
担任になり息の詰まる思いをすることが度々あって給食の時間に、
僕がクソ不味い給食の中で数少ない好物だった苺シャーベットがあり、
それが余ったので他に手をあげたクラスメイトとジャンケンをした。
僕は全勝したが他の生徒が後出ししたとか言い出して疑いをかけられた。

【またも冤罪になった上に胸ぐらをつかまれ孤立した】
僕は抗議したが大多数が後出しをしたと言い担任も多数決の原理から、
みんなの方を信じて僕の全勝を取り消され失格になり僕以外の希望者で、
再度ジャンケンになったがそれでも抗議したら胸ぐらをつかまれ、
「お前しつこいぞ。まだそんな事言うとるんか?」と怒鳴られた。
どう考えてもおかしいのは相手なのに上下関係に逆らえず僕が悪者に。

【後出しがあったにしてもなかったにしても僕は無実だ】
後出しした根拠なんて何処にもないし3人以上の人数でやる時点で、
僕が後出しする意味どこにもないし全員が違う手を出せばそれこそ、
後出しの意味がなくなるし多少のズレがあったとしても0・1秒台だよ?
当時小3の僕がその一瞬で相手の手を見てそれに勝てる手を出せる事を、
証明しない限り僕は無実だしそんなの時間を止めない限りまず無理だから。

【反論できなくなると個人攻撃に走る日本人が嫌いだ】
このクソじじいも反論できなくなったら罵声や暴力に訴える日本人で、
僕はこの事件を親に伝え連絡帳に抗議文を書いてもらったが翌日に、
連絡帳を見せたらいきなり胸ぐらをつかまれ怒鳴られ揉み消された。
こういう上下関係による弊害があるから学校も会社もカースト下位の人が、
生き辛い思いをするんじゃないかなと思うし年功序列クソくらえだわ。

【今度は廊下を汚したという濡れ衣を着せられ強制掃除】
しかも他の人が廊下のバケツをひっくり返して床を汚した時には僕が、
近くにいたという理由で何故か僕が掃除を強制され床を汚した本人は逃亡。
他の人はティッシュを1枚づつ取って廊下を掃除していたが僕はそれでは、
効率が悪いと思いティッシュを1度に数枚取ったが何故かこれを咎められ、
またしても胸ぐらをつかまれ怒鳴られるという二重の理不尽を味わった。

【環境がクソだと生徒の能力は上がるどころか下がる】
こんな生産性の欠片もないクソじじいが担任になったもんだから、
当然僕以外の生徒も畏縮しちゃって誰も逆らえない悪徳独裁者状態。
さながら怒鳴る事が常習化したクソ上司と瓜二つで僕は小3以来ずっと、
大人の男性を恐れるようになりそれで男性社会に馴染みにくくなったので、
こいつが少なからず社会不適合者になる一因になっていると感じています。

どんな学校や会社に行くかよりもどんな人と過ごすかの方が百兆倍大事です。

僕が社会不適合者になるまでの自分史③小学2年生編

2017年07月16日 | 意見やその日の感想
学生時代で初めての転校を味わい友人をリセットされた時期。

【急に友人を奪われると人生に響くから止めてほしい】
僕が小2になってしばらくした後引っ越しする事になりようやく、
学校に慣れてきたのにまた環境をリセットされるという事態になった。
親が転勤を命じられたのか転職したのかは分からないが大人の都合で、
子供の環境を変える事がいかに子どもの人生に影響を与えるかを、
ちゃんと考えてほしかったし転校は子供に対する人権侵害と言える。

【転校した学校は割と寛容で趣味に熱中させてくれた】
転校先でも相変わらず社会不適合者っぷりを発揮していたが担任に、
趣味を聞かれポケモンと答えたらポケモンの攻略本を持ってきてと言われ、
休み時間なんかはずっとポケモンの攻略本を読みクラスメイトにも、
度々貸して共通の趣味を持った友人もできたが思えばこの時が学生時代に、
最も趣味に熱中できた時期かもしれないしこの部分は良かったと思う。

【家でゲームをする日が多く女子と遊ぶ事が多かった】
この頃にニンテンドー64を買ってもらい毎日のようにプレイし、
友人ともよく遊んだが男子にしては珍しく女子と遊ぶ事が多かった。
僕はカッコ良さより可愛さに惹かれる傾向が強く女の子向けアニメとかを、
よく見ていたが男は男らしくみたいなジェンダーの押し付けが強い環境で、
周りにはなかなか言えなかったがこの時期のアニメは凄く良かった。

【大人が何でも決めて子供を規定する封建社会に苦しむ】
これは小学校入学以来の事だが何でも大人が決めて従わせようとして、
子供が学校に向いているか向いていないかに関係なく子供の意思とか、
完全無視で本来であれば学校に行く行かないを話し合うべきなのに、
行く前提で全てを決められていたのが凄く不愉快だし引っ越しの度に、
慰謝料とか請求してたけど払ってもらえず子供は今も月なんだと思った。

【特定の人としか遊ばないので関係が限定的だった】
身近な人としか遊ばないので同じクラスかつ家が近い人としか遊ばず、
授業はつまらなかったので必然的に放課後の方が楽しいが正直遊ぶ時間が、
少なすぎると思うし3時半に終礼を迎えて4時に友人の家に遊びに行ったり、
友人の方から家に来たりして6時に家に帰るといった感じだったが遊び時間が、
僅か2時間というのは少なすぎるし終礼が遅れる事もあったから遊び足りねえ。

【給食が嫌いすぎて連絡帳に弁当と書いていた日々】
1年の時だが僕はどうやったら給食を食べなくて良いかをずっと考えていた。
ある日給食がない日があってその時は弁当を持ってくるように言われ、
連絡帳にも書いたがこれだと思い短い間だったが連絡帳に弁当と書き、
弁当を作ってもらっていた事があるがすぐに噓がバレて弁当が封じられた。
この手は2年からは使えなかったので我慢しながら給食を食べさせられた。

転校先に恵まれ比較的穏やかな時期だったが時間にルーズな学校でしたね。

僕が社会不適合者になるまでの自分史②小学1年生編

2017年07月09日 | 意見やその日の感想
思い返せばこの頃から人間不信が始まり人間関係が鬱陶しいと思っていたかも。

【最初から授業の時間なんて無駄だと思っていた】
入学当初から「一人称は僕にしろ。」と言われたり男は青で女は赤とか、
色んな固定観念を押し付けられてたし「何でこれは駄目なの?」と聞いても、
「何でも。」とか「駄目なものは駄目。」など理由なき規制を押し付けられてた。
写真に写るのも嫌で集合写真も無理矢理体を引きずられ嫌そうな顔だし、
クラスメイトとも上手くいかず相変わらず毎日のようにトラブルばかりだった。

【絵の具事件で僕はスケープゴートにされていた】
ある日空き家教室でクラスメイトの絵の具がぶちまけられる事態があった。
それで何故か何もしていない僕が犯人として吊し上げになってしまっていた。
みんな僕がやったと言い教師も多数決の原理からか完全にみんなを信じていた。
当時小1だった僕がこの緊張に耐えられるはずもなく嘘の自白をされられ、
絵の具を弁償させられる羽目になり親からも教師からもめっちゃ怒られた。

【どうしてこうなったとはまさにこの事である】
それからは元々集団行動ができない事もあり僕はクラスから孤立していた。
僕は生まれつき味覚が極端に強くそれで食べ物の好き嫌いがハッキリしていたが、
日本の学校は好き嫌いをなくす教育なので給食も好き嫌いするなと言われ、
大嫌いな野菜を無理矢理食べさせられしばらくは野菜を見るのも嫌な状態に、
なってしまっており今なら恐らく心的外傷後ストレス障害の診断を受けていたかも。

【落ち着きがなく授業に集中できず走り回っていた】
完全に学校への興味をなくしていた僕は授業中だろうが教室を走り回ったり、
廊下に出て色んな場所を回る子供だったし教師も問題視していたのだろう。
しかし興味のある授業の時はずっと集中していたし好きな事に没頭していれば、
何かしら才能に目覚めていたかもしれないから僕を学校に押し込んだ人たちは、
重罪に問われてしかるべきだと思うし学校に行った方が駄目になった典型例です。

【土曜授業は当たり前のようにサボっていた】
小学生の途中くらいまでは土曜授業というものを当たり前のようにサボり、
親も不規則な土曜授業に対応できなかったのかこの時は休みを容認してくれた。
ただでさえ自由時間が少ないのに土曜授業までされちゃたまったもんじゃない。
休日に行われる運動会や文化祭も苦痛でしかなく当然のように迷子になり、
迷子になったお前が悪いと言われ学校との溝はますます深まるばかりだった。

【学校こそ人生の墓場であり社会の縮図である】
よく結婚は人生の墓場というが僕に言わせれば学校の方が人生の墓場であり、
大人が作ってきた社会をよく表していると思うし子供は大人の背中を見て育つので、
大人社会で起きているいじめなんかも忠実に再現できるんでしょうけども、
僕はスクールカースト最下層だった事もありずっと地獄を見続ける事になりました。
子供社会も資本主義で活躍する子供もいれば落ちぶれる子供もいるんですよね。

せめてこの時点で僕が学校と相性が悪い事に周りが気づいてくれていればなー。

僕が社会不適合者になるまでの自分史①保育所投獄編

2017年07月02日 | 意見やその日の感想
今回から僕が社会不適合者になるまでの歴史を語っていきたいと思います。

【幼少期から強制収容施設と相性が悪かった】
僕の場合は小学校に入るまでは保育所に毎日行かされていましたが、
親が見届けて鉄格子から離れていく度に泣き叫んでいた事は覚えています。
一人っ子で家では勝手気ままだったこともあり社会性も協調性も人間性も乏しく、
集団の中に全く溶け込めない自分はこの時から始まっていましたね。
すぐに他の子供と殴り合いの喧嘩になる事が多くトラブルメーカーでした。

【昔の僕はまるでブレーキの壊れた戦車】
小さい頃から空気が読めないし相手の気持ちを察することができないし、
複数の情報を同時に処理できないし予想外の事が起こるとパニックになるし、
衝動的に怒鳴るほど沸点が低かったり子供じゃなかったら普通に逮捕です。
親にも教師にも普通に毎日のように怒られていましたし自分でも何故、
みんなと同じようにできないのか分からないまま苦しみを背負っていました。

【理解者が一人もおらず自己肯定感の低い子供だった】
一人で遊ぶのが好きでみんなで遊びましょうとか言われた時なんか、
周りに合わせるのが苦痛で仕方なかったし家にいる方がずっと楽しい。
この時点で家庭学習の方に目を向けてくれていれば無理な集団生活に、
苦しまなくて済んだのに親は子供の居場所は学校しかないみたいな、
固定観念の持ち主だったのかこれで成人後まで学校に苦しむことになる。

【年功序列や滅私奉公や同調圧力への反発】
個人主義で発達障害持ちの人間にとって日本社会は地獄でしかない。
行事の強制参加は保育所時代からあったんですけども参加不参加を選べないのは、
明らかに異常ですし「参加する事に意義がある。」とか言われたけど、
あの言葉は強制参加を助長するための言葉じゃないし参加する事に意義があると、
言うのなら家での遊びに参加する事にも意義はあるわけだが何故か認められない。

【興味を持った事への異常な集中力を持っていた】
家にいる時はずっと恐竜の図鑑を読みその内容を全て暗記していた。
興味を持った分野の事に極端に詳しくそれ以外は全然知らないという有様で、
この時期からポケモンもやっていたが小学生に上がる前に初期のポケモンを、
全て暗記しタイプ相性も理解していたから環境に恵まれていたらゲーマーとかに、
なっていたかもしれないがその頃の僕の夢には特になしと書いてあった。

【自分なりの考え方がまるで通用しなかった】
保育所で問題を起こしては怒られていたのだが今でも疑問に思うのが、
反論させてくれなかった事であり「だってもかってもありません。」と言われ、
理由に関係なくとにかく謝れとかとにかくやれみたいな教育はもう始まっていた。
主体性を持った人間を育てる海外に対し日本は従順な奴隷を育てる教育だ。
子供の反論は海外では評価されるが日本では奴隷の問題行動でしかないのだ。

正直な話生まれる環境間違えたかもだし画一化教育の弊害を感じていた。