千秋小梅日記

コミティア参加サークル「千秋小梅うめしゃち支店」を運営する小津端うめからの連絡、雑感、感想などです。

文化的雪かきにすらならない。

2014年08月30日 21時37分16秒 | 創作

この間久しぶりに「ダンス・ダンス・ダンス」村上春樹を読み返しました。

やっぱり一番好きな作品だなぁ。この文章のリズムや、どこに出るのかわからない展開、妙に俗っぽい描写とそれを客観的に皮肉ってるノリ、そして失われた70年代精神(これはノルウェイの森に通じるんだな、と今気づいた。同じ時期の作品ですものね)。

さまざまな名言があます。例えば時々自分のしていることが無駄なことのように感じる時、いつも僕は「これは雪かきなんだ。これは雪かきなんだ」と自分に言い聞かせます。これはこの作品に出てくる「文化的雪かき」という言葉から。作中の登場人物も言ってましたが、便利な言葉です。

しかし、今新作と旧作編集版とのネームを切っていて(恐らく11月新潟で後者、2月で前者発表)、思ってしまったのは「これは文化的雪かきですらない」という言葉。だって、誰もこの雪をどけなくたって困らないのだ、自分以外。それどころか、却って紙とインクの無駄遣いかもしれない。雪を寄せられた場所の人が怒り出すかもしれない。

まぁそれでも、何も考えずこつこつと雪を寄せてゆこう。この本には「踊るんだよ、何も考えず。皆が感心するくらい」という言葉があったし、どこかにはこれだけ皆が大気汚染しているんだから、僕がやったっていいだろうみたいなことも書いてあった気がする。

とにかくネーム、プロットを久しぶりに延々と捩じってやってます。色んな創作の方法があるけれども、自分はジャズやロックみたいにアドリブでできる人間じゃないんだなぁ、村上春樹みたいに、というのを今までの創作過程から思いました。とにかく、馬鹿みたいに積み重ねていこう。色んなやり方で色んなものが出来上がるのだから。

11月2日、新潟コミティアに参加予定。

明日の東京は買い物に行けません(涙)。参加される方頑張ってきてください。


行って戻ってくるようだ。

2014年08月25日 22時57分34秒 | 創作

何のことかって、創作方法のことですね。

最近部屋の掃除をして、久しぶりに今まで描いてきた創作ものを見直しました。

遥か昔のものから順々に見返してきた感想が上記のものです。

最初のころ、そんなに深く考えず、必死になって創作をしていた。

段々と、色んな知識を知り、「こうすると分かりやすい」「こうするとすごい作品になるかも」と、考えている内、逆にそういった方法論が自分を縛っていく。

そして突き詰めていた結果、今、新作に向けてやっていることは、必死になって創作していた頃とあまり変わりないようなことです。

しかし、「こうしたらこうなったからこれをこだわり過ぎるのは止そう」「この考え方は自分に合わなかったから固執するのはやめよう」と実感して、実感し尽くして戻ってきた今と昔は、やってることは似ていても、やはり違うのかもしれません。

つまり悩んだ結果得たものは特になくてもその過程が自分の心のひだを増やしてくれたのではないかと。

そう考えると、今まで一杯悩んだことを喜びたい気持ちになれます。

勿論これからも悩み続けるのだろうけど。そう考えて、これからの創作も乗り越えていけたらなと思います。

 

HPの準備でプロフィールを書くのに、色々掃除していたのですが、自分が何度も何度も読み返してそれでも好きな漫画というのは、殆どが思春期に読んだものと知って唖然とします。今の自分とあの頃の自分を比べると、物事に対する集中力が全く違うんですね。やっぱりあの頃の受信力ってすごいんだなぁ。

ちなみにその漫画は、一般的な千秋小梅のイメージからやや離れて、

文月今日子「ふくはうち」新谷かおる「ガッデム」三原順「SONS」曽根富美子「ファーザー」村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」でした。

そうそう、その過程ですごく久しぶりに小山田いくを読みましたよ。そしてーーー感動して、涙を流しそうでした。いやね、今の自分には物足りないところもあるのですが、そのコマ割りや、登場人物の感情の流れを伝える腕は、良いなぁ、面白いなぁと素直に感動しました。

ここから自分の創作は始まって、ここからどこまで離れるかが途中からのテーマだったのですが、今回読み返したことで何だか、もういいかなぁ、という気持ちになりました。もう、無理して離れようとしなくていいかな。


しつこいですがカシオペア。

2014年08月21日 22時34分13秒 | 音楽

カシオペアというフュージョンバンドがあります。今日はその話。

まず、フュージョンという言葉を知らない人も多くなってきたでしょうから、そこからお話ししますね。フュージョンというのは、その昔70年前後から出てきた言葉。その頃音楽のジャンルというものはもっと厳密に区分けされて、演奏様式も割とはっきりと規定されていたんですね。ところが徐々に人間の想像力によってそのジャンル分けが崩されていった。色んなジャンルが融合(Fujon)していった。そういった、色んな要素が融合した音楽をフュージョンと言いました。

しかし、日本でフュージョンというと、大体その原初の状態から段々と再びジャンル分けが進んでいき、「インストルメンタルが多く、ジャズミュージシャンまたはプログレッシブロックみたいな細かく揃った演奏を聞かせるが、難解ではなく明るい音楽」というイメージが定着しています。

で、その中でも有名で代表的なバンドがカシオペアとT-スクウェアですね。世間ではF1の影響があって、T-スクウェアの方が有名です。

カシオペアは芸歴が長く、70年代から現在まで活動していて、アルバムも40枚くらいあります。有名なのがギターが野呂一生、キーボードが向谷実、ドラマーが神保彰、ベースが櫻井哲夫というメンバーだった80年代の時期。その後ベースとドラマーが変わり、ドラマーは二転三転して、最終的にサポートメンバーという謎の立場で神保彰が出戻ってきて、近年はキーボードが女性のオルガにストに代わり、今に至ります。で、今日の話は3代目ドラマー(神保彰が2代目)日山さんの話。

私がカシオペアを聞き始めた高校時代、日山時代ど真ん中でした。しかし、僕が楽しんで聞いたのは神保時代のカシオペア。そして、新譜で発売された日山さんドラムのアルバムを聞くたび物足りなさを感じておりました。
そして20年後、今になって日山時代のカシオペアが大好きになっています。


日山さんのドラムというのはテンポが少し遅れたように聞こえるところが特徴だと、個人的に思っています。神保さんドラムは正確かまたはテンポより速め、疾走感を感じますね。
そのややのろのろっとしたドラムと、リーダー野呂一生の、神保ドラムと相性ばっちりすぎな疾走感を感じさせる演奏が、はっきり言って混じり合いません。「こんなに上手い人同士なのにどうしてこんなに合ってないようにしか聞こえないんだろう」と頭を悩ます程です。


しかしそこに鳴瀬ベース、向谷キーボードが入ると、まさに化学反応が起こります、1+1+1+1=4ではなく、異次元の値が現れたかのようです。危ういバランスで、不思議なグルーヴが現れてくるのです。これを感じられると、日山時代のカシオペアの演奏がとてつもなく楽しくなります。


そんな日山さんはわずか3枚のスタジオアルバム、2枚のライブアルバムを残し短期間で脱退してしまいました。今聞いていても、「まぁ、そうだろうな」と納得。このバランスを保ち続けるのは精神的にタフじゃないと難しいんだろうなぁ。

お勧めのアルバムは「FULL COLORS」ですが、ライブ盤「MADE IN MELBOURNE 」も良いです。そして、お手軽なのはyou tubeのこれ。45分と長めですが、良い演奏してます。


新潟コミティア11月2日。

2014年08月14日 21時53分23秒 | 創作

東京が11月23日、冬は2月1日ですね。

全部出れたら最高ですが、東京はどうなるかなぁ。

今、新作のプロット中です。今度は久々に長編になりそうです。しかし、11月2日に間に合うのかと言われるとかなり怪しい進行状況。9月に入る前にネームを始められないとほぼ無理です。

焦って消化不良になってはいけないですね。

今やっている新作、高子さん主役の話4つを再編集したもの、それと「きみならずして」の3冊を並べられるようにして作ったら、善衛さんシリーズは完璧に整うのですが、それは今のところ僕の頭の中にある夢ですね。そんな暇が全くないです。10月に向けて仕事も忙しそうなので、困ったなぁ。漫画に集中したいのだけど、仕事も生き続けるために大事ですものね。

てなわけで、新作、なんとか11月に出来るように頑張りたいと思います。

あと、・・・

出来たら、やっぱりHPを作ろうと思います。この間パソコンや押入れを掃除していたら、HP「千秋小梅」の絵やデータが沢山出てきました。当時は上手く描けない自分をふがいなく思ってばかりいましたが、それが今の糧となっていたんだなぁと見返して思いました。これからの10年のため、そういう糧を得るための場を創りたいな、と思ったのです。イラストを創らないといけないなぁなんて思う一方、漫画もやんないといけないじゃないかと自分に突っ込んだりしていますが、なんとか活動していこうと思いますので、その際はまたよろしくお願いいたします。

 


ガンスミスキャッツを初めて読む

2014年08月07日 21時36分06秒 | 読書・漫画

ずっと気になってた漫画でした。

中学生のころ、実際の映像は見たことないのに、園田健一が描く「ガルフォース・地球章」の絵がとても好きでした。

細いわけではない、太いのに滑らかで丸い描線に惹かれていました。

しかし、代表作のこの作品、中々読む気になれませんでした。

というのも、僕がガンアクションに全く興味のない子供だったからです。もっと言うのなら、アメリカの警察映画ジャンルものにも全く興味がなかったのです。そのため、ぱらぱら、と見ていても、面白さがよくわからなかったんですね。それで、「いつか読もう、いつか読もう」と思っているうちに日々が過ぎていきました。

ある日気づいたら本屋、古本屋からすっかり消えていたのです。まぁ古い作品ですからね。その時、好き嫌いは別にして一度読まないと後悔するぞと思い立ち、今回購入になりました。

読んでみて…話はまぁやっぱり十分入り込めなかったかもしれません(^_^;)。でも、何より感動したのはやはりその描線。

最近の漫画家さんはどの人もどの人も本当に絵が上手いなぁ、と本屋に行くたびに思っていました。でも、やはりデジタル前の世代の一時代を築いた方の絵は語る次元が違う、という感じです。

今の人の絵は全体のバランスがすごくいいし、線の正確さは凄まじいものがあるな~と見るたびに感心します。それに比べると昔の人の絵は全体のバランスは崩れていることは多いし、線は荒いです。

でもたった一本の描線が与える快感の度合いが違う。顔の輪郭線が美しい、それだけで、全体の中に散見される多少の欠点は簡単に吹っ飛びます。

「萌え」と言い出した辺りからこの変化はあった気がしますが、どの作品位が分岐点なんでしょうね。

この間読み返した新谷かおるの線と言い、今も自分が付けペンに拘るのは、こういう線を忘れられないからなんだなぁ、と再確認しました。