千秋小梅日記

コミティア参加サークル「千秋小梅うめしゃち支店」を運営する小津端うめからの連絡、雑感、感想などです。

新潟コミティアお疲れさまでした

2010年09月30日 08時50分59秒 | 創作
 新潟コミティア参加してきました。
 やっぱり熱心な描き手読み手のいる場所だなーという感想をもって家に帰りました。
 ティアズマガジンで拙作を取り上げてくださった方、ありがとうございます。
 あそこに載っているもので今回「面白家老」というのを買いました。
 題からはギャグと思っていたのですが、割としっかりした内容で、しかも面白かったです。次巻が楽しみ。
 まだ買い込んだもので読んでいないものがいくつかあって、楽しみが一杯です。
 次回は11月東京、東京にはこれで新刊2冊になるけど、もう1冊いけたらいいが…ネタがなぁ。最近あっさり描くのが苦手。

たった一人の反乱

2010年09月23日 17時50分16秒 | 読書・活字
 先日丸谷才一「たった一人の反乱」を読みました。
 何点か、すごく印象に残るところがありましたよ。
 今、手元にないからはっきり覚えていないんだけど、ええと…
 そうそう、中盤、靴を磨いていて市民社会というものは女中を代表とする奴隷的労働を他者に押し付けることで成り立っている、という気付き。
 これ、自分が一人暮らしを始めたとき、また、結婚した時、また、子供が出来てから今まで、漠然とながら心の片隅に引っかかっていたことでした。
 ほれ、よくドラマとかで描かれる「好ましいカップル像」とか「好ましい家庭像」。あれって、絵空事のような気がするなぁと思っていたけど、上手く言葉に出来なかったのでした。それがすっきりしますね、これを用いると。
 つまりドラマではあの裏に隠れた女中仕事をないことにしているわけです。
 いやいや、ちゃんと靴を磨いたりという描写もあるじゃないか、という人もいましょう。でもそれには反論したい。例えば仕事で疲れている時、ドラマみたいに楽しんでやったりその後家族と仲良くなれる幸運がやってきたりすることは、ない…とは言い切れませんが、自分の性格では無理だろう、と思います。つまりそういう奴隷的労働を楽しめないときどうするかの指南はあまり見当たらないなぁと思うのです。
 そしてそれを志向しない家族像になると今度は逆の極端にいってしまう。つまり「渡る世間は鬼ばかり」。ひたすら押し付けられたという愚痴の世界。あれも終わりがきましたね。あれに負けないエネルギーを持ったリアルな家族が減っているのではないかと自分は思ったけど。
 話がずれちゃいました。「たった一人の反乱」の前半はとても好ましい家族像が提示されます。そのため歌子ばあさんという方が出てきてその家庭が崩れていく予兆を感じた時、一度本を閉じてしまったくらいです。しかしすったもんだがあって、家庭というものの生活に含まれる奴隷的労働を女中に押し付けていた自分に主人公が気が付くわけです。これは古い言葉で言うと自己批判でしょうが、その言葉にまとわりつくじめじめして、ねっとりして、重苦しい感じとは全く違った、あっけらかんとして、自分を切り刻むものじゃなくて、自分を過度に守ろうとしない爽やかなものです。この感じ、いいなぁ。やっぱり自省というものは人生において必要な時があるものだと思うから、苦しいより爽やかな方が良いですものね。その雰囲気のせいか、最初に提示された家族像が崩れていくのをあんなに怖がっていたけど、いざ変化していくのを読んでも怖くなく、読み終わったときは「あぁ本当に良かった」という感想を持てるものでした。
 さて、そこで読者もそこまで読んでわが身を省みて見るわけです。この作品は女中というかたちでオブラートをかけていますが、近代現代家族において、奴隷的労働の担い手は妻だったわけです。自分も今まで無意識に妻を女中の仕事をやるものとして、つまり奴隷的労働は妻に任せておけばいいと思っていなかったか?
 う~ん、全く否定はできないなぁ。自分の市民的生活のために妻を犠牲にしてはいかんなぁと思うのです。さて、そう考えていくと明治維新後作られた近代家族~市民社会というものは明らかに変わらざるを得ないわけです、少なくとも我が家において。
 とりあえず、今ある家庭のこっちを曲げたり、あっちを曲げたり、こっちを継ぎ足したりしながらなんとか我が家なりのものを作っていかねばなぁと思うのです。
 ここで話は飛びます。前作「HAPPY/BLUE’10」での最終話、はっきり意識しないなりに主人公2人を結婚させなかったのですが、上記のことを考えていたと思うのです。そんな偉そうな…と言われちゃいそうですが、温かい目でそう見てやってください。更にこれは全く自覚していなかったのですが、作中において主人公たちに市民生活を謳歌してもらうため配置してしまっていたと今更気付いた娘と親友。これが、二人が新たな関係を作るのと期を一にして退場していくのですね。本当に、全く意識してなかったのですが、きちんと主人公たちが、新しい、女中、奴隷あるいは妻という召使に頼らない男女関係を作るという展開にしていた過去の自分を褒めてあげたいと思います。
 しかし「たった一人の反乱」の夫婦の描き方、特に終盤の対決の場面、とても良かったです。あぁ、もう敵わないな、拙作の最後もこんな風に描けたら良かったのにと身もだえと悔し涙と羨望を送ってしまいました。
 新刊は、前作の女主人公の女中的役割をしていた親友が主人公です。本当は前作の女主人公も出してもっと大きな話にしたかったのですが、上手くいきませんでした。「たった一人の反乱」を読んだ今なら「もっと大きな話」に出来たかもしれません。なにせ2人の関係がずっと鮮明になりましたから。でも運命はそうさせず、小ぶりな、親友の内的世界を小さくまとめたものに新刊をさせました。残念だったなぁ。でも、きっと何か理由があるんでしょう。市民生活の枠外の目線を手に入れたかったのかもしれないなぁなどと考えたりしています。次回作にうんと生かしていきたいなぁ。
 長い話になりました。ここまで読んでくださって感謝です。