まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

歴史研究

2012-06-18 00:29:02 | 懐かしのパチンコ本・攻略誌・漫画

昭和51年(1976年)に発行された、古いパチンコ書籍を研究中。

出来る事なら、この時代に勝負したかったが…当時は、幼稚園で「お遊戯」している頃だ。流石に「お遊技」はしていない。

小学2,3年の頃に、パチンコ好きだった少年野球の監督に連れられて、近所の古臭いパチンコ屋に入った事はある(今思えば、とんでもない監督だ)。

ただ、その時は台にまったく興味が無く、床に這いつくばって、玉拾いや小銭拾いをしていた。当然、設置機種など覚えているはずもない。

手打ち台に触れた場所といえば、温泉地の射的場ぐらいなもの。あの手の店の隅には、結構レトロなチューリップ台が残っていた。残念ながら、釘は相当シブかった印象しかない。

ともかく、ホールでの手打ち台経験は皆無に近いので、こういった類の古い文献は、却って新鮮に感じる。もちろん、この時期には、既に電動ハンドルも登場している。

 

目次をざっと眺めると、とりわけ楽しそうなのが、この企画だ。

当時のパチプロ、一般ファン、クギ師が一堂に会して、パチンコの魅力を語る「座談会」。

「楽しきかな、パチンコ」

やはり、「クギ師」という言葉に時代を感じる。今や、専門のクギ師など皆無であろう。

 

で、この香ばしい企画に「パチプロ」代表として参加しているのが…

 

故・田山幸憲プロ(当時29歳…若い!)。

 

まだ20代の田山青年が、この時代のパチンコとどう向き合っていたのか、大変興味深い。

東大を中退し、パチプロ人生がスタートしたのが24歳(1970年)というから、’76年はプロ6年目に当る。パチプロとしての「壁」にぶち当たった時期もあるそうだ。

因みに、田山さんは28歳の頃に、いわゆる「物書き」の仕事を始められたという。

某スポーツ紙で、パチンコとは関係ない「食べどころ・飲みどころ」というコラムを書いたのが、始まりだったとか。

その後、同紙で「儲けのテクニック」というパチンココラムを担当。さらに、「マジックマガジン」という月刊誌でも、パチンコ記事を執筆されていた。

そういえば、氏の名著「パチプロ告白記」も、執筆は1976年。田山さんがちょうど30歳の時の作品だから、この座談会の直後に執筆したという事になる。うーん、何だか感慨深いな。

リアルタイムでは、必勝ガイドの「パチプロ日記」しか知らないが、作家としてのキャリアは、既に70年代中盤からスタートしていた訳だ。

 

ともあれ、冒頭で紹介した「趣味の世界9 パチンコ」は、今や貴重な歴史資料である。楽しみつつも、入念に読み進んでいきたい。