今日は私の出勤場所ユラク管理課事務所2Fで大阪に続いて地元での二次選考会がありました。
京阪神方面から3名電車で、姫路から車で1名、地元養父市から1名、朝11時から夕刻五時まで順番に行われました。
駅までの送迎も必要です。
担当者も管理課に朝から集合し選考会の準備です。
私は御用が御座いませんので但馬豊岡の歴史探索へ
最初は市内中心にある城山神武山へ向かいました。
豊岡城の在った所です。
駐車場が無いので近くのショッピングセンター駐車場を無断拝借して向かいました。
駐車場から400メートル余りの距離です。
新緑の木々がさわやかです。
あいにく曇りで中国からの黄砂がひどく見通しが悪いですね。
引き続き日高町国分寺に移動し但馬国府、但馬国分寺の史跡の探索です。
西暦741年聖武天皇の詔で建設が始まった但馬国分寺、あれから 1300年弱
ここに立つと何となしにいにしえを感じますね。
但馬国府跡は但馬国分寺の近くの豊岡市役所日高振興局敷地当たりになります。
最後は近くにある豊岡市立歴史博物館(但馬国府・国分寺館)に立ち寄ります。
現在特別展示で第43回企画展で「城崎温泉守護の寺・温泉寺」特別展が4月13日から7月10日までの約3か月間展示されています。
1300年の歴史ある名刹温泉寺の鎌倉時代からの各種国指定重要文化財の品々が展示中です。
温泉寺にある美術館でも見ていますが、久しぶりに新たな気持ちで見入ってしまいました。
温泉寺は国指定重要文化財温泉寺本堂を始めご奈良の長谷寺の本尊と同木で彫られた本尊木造十一面観音立像、木造千手観音立像、宝篋印塔(ほうきょういんとう)そして絹本緒色十六善神像(けんぽんちゃくしょく)等の国指定重要文化財があります。
城崎温泉が大正時代に発生した北但大震災による火災被害により殆どの歴史資料が消滅した中、山の中腹に位置し被害から免れた温泉寺に残る歴史資料は城崎温泉の歴史資料として非常に重要です。
明治以前の資料が残るのは温泉寺所蔵資料のみなのです。
温泉寺の檀家であることは私の誇りでもあります。
少しオーバーな表現過ぎですね。
ではでは
▲城崎温泉の温泉宿。和モダンなロビーや美しい日本庭園などまさに癒しの宿。