今日は10:00~弟修生の葬儀です。
昨日の事前焼香の事もあり結構な方が事前焼香にお越し頂きました。
勿論平日でもあり仕事の方も多数おられたことでしょう。
お参りいただき有難うございました。
葬儀にも沢山の皆さんにお越し頂き感謝しています。
弟修生の交友関係の方も多くお越し頂き、弟は良いお付き合いをしていたのだと感じました。
さて最後の親戚の挨拶ですが今回は最後まで読み終えることが出来るか心配でした。
しかし案の定、たまらなく涙が吹き出し文字が読めないほどになりました。
お恥ずかしい限りです。
同じ状況を数回繰り返し思い余って隣に同じく挨拶の為に立っていた3男の弟泰弘に続きを委ねました。
所が弟も感極まり私と同じように詰まってしまいましたが何とか止まり止まりながら読み終えてくれました。
二人で挨拶をつなぐ光景など私も見たこともありません。
非常に恥ずかしく申し訳なく思いましたが「ユラク三兄弟」のきづなの強さを知って頂く機会にはなったかなあと恥ずかしながら思っています。
以下ご挨拶の全文です。
只今紹介頂きました故人修生の兄、伊藤清悟と申します。
親戚を代表してお礼のご挨拶をさせて頂きます。
本日はお忙しい中、弟の葬儀並びに告別式に御参列頂き、又過分なるご香典を頂き誠にありがとうございます。
私たちは男三人兄弟で生まれ、修生は私と六歳離れた次男、その三歳下に三男の現ユラク会長の泰弘が居ります。
次男修生は両親と私が旅館湯楽を開業して以来の懸命の経営状態を見かね、通っていた大阪の学生当時も毎週土日には三男の泰弘と共に城崎に帰り客室の布団敷き、そして茶碗洗いと下働きを率先し湯楽の苦しい経営を支えてくれました。
大学卒業時も大阪に就職する、との話もありましたが最終的には両親と兄貴を助けて、湯楽を守るんだと故郷城崎に帰り旅館業を助けてくれました。
修生の思いが三男の泰弘にも伝わり、同じく湯楽に就職してくれることになりました。
ここからは、世間から「ユラク三兄弟」と言われる結束力が発揮され、先行投資で苦難の経営から成長へと転換するユラクグループへ変身出来たのも、大学時代鍛えた少林寺拳法部でつちかった、強い精神力と行動力を発揮してくれ、弟の泰弘と共に、両親や兄貴を支え、湯楽を守り必ずや成長させるぞ、と言う思いと努力の賜物だと心から感謝しお礼を言いたいと思います。
弟たちの協力が有ったからこそ、私も頑張って来ることが出来ました。
順調な時、苦境な時、何時も三人が一致協力して困難に立ち向かって来ました。
正に周りに誇れる頼もしい、力強い、戦友だったと思っています。
平成24年、私が私の長男にユラクの社長交代する迄、専務として頑張ってくれました。
そして平成27年には㈱ユラクの子会社だった㈱ほ~ゆ~本店を、自ら買収し独立経営、本当に長い間お疲れ様でした。
60歳の頃、癌を発病以来十年、入退院を繰り返しながら仕事を頑張り癌と闘ってまいりました。
この7月には満70歳の古希と言う、区切りの誕生日を迎える矢先の事でした。
長男の私とは6歳の年齢差があり、まだまだこれからも、人生を楽しんでくれるものと思っていましたが残念です。
悲しいです。
本当に長い間、家業ユラクの為、懸命の努力をしてくれました。
お疲れ様でした。
これからは天国から「ユラク」と「ほーゆー」を見守ってください。
心から冥福を祈ります。
最後になりますが、最近まで暮らしていた城崎の旭町町内会、そして隣保の皆様、そして弊社社員の皆さん、仕事関係でお世話になった皆さま、そして城崎の祭りの連中の皆さん、同級生や友人だった皆さま、故人に成り代わりまして今までのご厚情に、心より感謝しお礼申し上げます。
そして残された遺族にも故人の生前同様のご厚情を頂きます様、よろしくお願いいたします。
本日は葬儀御参列誠にありがとうございました。
恥ずかしながらブログ日記の一部とし記録して残します。
沢山のお見送りありがとうございました。
心よりお礼申し上げます。
ありがとうございました。 長男 伊藤清悟 三男伊藤泰弘
ではでは
