ブルースカイⅢのブログ

gooブログを新設し、田舎の自然、風土、日常の出来事を
発信して行きます。今後とも、宜しくお願い致します。

【 大河ドラマ「どうする家康」で大阪冬の陣を見ていたら‥。】

2023-12-07 07:30:00 | 歴史

おはようございます!

3日の日曜日、NHKの大河ドラマ「どうする家康」

を見ていたら、私が「あべのハルカス」から撮っ

た写真と同じ風景が出て来てビックリしました。

 

今回は、「どうする家康」での「大阪冬の陣」に

ついて、徳川家康が布陣した場所と大阪城と大砲

を写真と共に紹介します。

 

では、早速ご覧下さい。<m(__)m>

 

 

< ① >

 これが、大河ドラマに出ていた同じ風景です。

 

 大阪城と「大阪冬の陣」で徳川家康が陣取っ

 た場所が、「あべのハルカス」から見ると

 一目瞭然です。

 

 黄色い楕円の所が、家康が陣取った「茶臼山」

 です。

 赤い矢印が大阪城、青い矢印は一心寺、緑の

 矢印は四天王寺です。

 大阪城周辺には豊臣軍10万人、それを取り囲

 むように徳川軍30万人が戦を行ないました。

 

 今から、409年前の1614年11~12月のことでした。

 

 

< ② >

 大阪城小天守台には、幕末に製造されたと言う

 青銅製の大砲が置かれています。

 

 家康は、国内で製造された写真のような大砲と

 イギリス、オランダから輸入した大砲とを合わ

 せ、約100門を大阪城北側の備前島(現在の

 都島区網島町)から砲撃し、大阪城を壊滅状態

 にしました。

 

 その後時代は移り、明治7年までは明治政府の

 陸軍により、朝昼晩の時報として号砲を響かせ

 「お城のドン」として市民に親しまれていたそ

 うです。

 

 

< ③ >

 これが、大阪城天守閣です。

 現在の天守閣は、三代目となります。

 

 大阪城は、豊臣秀吉が築城しましたが、「大阪

 夏の陣」で落城し、その後徳川家康が再築。

 時は、幕末から明治維新に移り、その動乱の

 最中大阪城は炎上焼失。

 

 現在の大阪城天守閣は、92年前の昭和6年(19

 31年)大阪市民の寄付により復興しました。

 

国内のそれぞれの城には、色んな歴史があります。

その中で、特にこの大阪城は時代を代える惨劇が

ありました。

今では、市民の寄付により再興され、観光と憩い

の場となっていますが、城内には「大阪冬、夏の

陣」に関する資料が展示してあります。

これらを見ると、激動の時代だったんだとつくづく

感じます。

 

今度、関西を訪れることがありましたら大阪城へ

行き、これらの展示物をジックリと見学したいと

思っています。

 

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【 清泉山 禮光寺:その① 】

2021-12-05 07:55:59 | 歴史

おはようございます!

今回は、あるお寺の風景を紹介します。

 

先月、我が家で、法要がありました。

その際、ご住職より自寺の写真撮影の

依頼を受けました。

折角のご依頼ですので、快く引き受け

ました。

 

次の日、天気が良かったので、下撮り

を兼ねて訪問し、撮影して来ました。

初めての撮影ですので、どのような

構図にすべきかまだ決めかねますが、

まずはご覧下さい。

 

尚、写真の投稿については、許可を

取ってあります。

 

 

< ① >

 ここは、清泉山 禮光寺(れいこうじ)です。

 我が家の菩提寺です。

 今回は、写真撮影の下見にやって来ました。

 初めて撮る場所ですので、まずは一回りし

 ながら撮って行きました。

 

 

< ② >

 こちらの山門は、風格があり凄く立派です。

 

 

< ③ >

 この山門で目を見張るのは、彫刻です。

 よく見ると、龍、獅子、獏(ばく)が

 彫られています。

 

 神社仏閣を訪れる時は、必ず彫刻を

 見るようにしていますが、これは

 ホントに素晴らしいです。

 

 

< ④ >

 こちらは、本堂です。

 お寺の歴史等については、今回は記して

 いませんが、後日聞いてみます。

 

 

< ⑤ >

 お寺の納骨堂がある裏山に登ってみました。

 ここからは、日本海が望め、又、石見地方

 独特の茶色い石見瓦の家が点々と見えます。

 

 今回は、その①を紹介しましたが、後日

 その②をご覧頂きましょう。<m(__)m>

 

 

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【  お詫び 】

2021-05-24 13:22:26 | 歴史

こんには!

前回より「出雲散策」の記事を投稿し、出雲大社の

素晴らしさをご覧頂きました。

 

次回より、「県立古代出雲歴史博物館」の展示物を紹介

しようと博物館に写真掲載許可を申請しましたが、展示

物には博物館所有以外の物(借用品)も含まれており、

ネット掲載にはその持ち主の許可が必要と言うことでした。

 

係の人は、ネット掲載予定の写真を送って貰えれば、許可

出来るか否か判断し知らせるとのことでした。

しかし、こちらとしては、そこまでして係の人の手を煩わ

すも気の毒ですので、掲載はしないと伝えました。

 

三年前に、同じように展示物の掲載許可を頂き投稿出来た

のですが、近年は著作権等の問題がありそう簡単には行か

ないようです。

ですから、ブロ友さんの一部には出雲のお宝(レプリカ)

を紹介すると言いましたが、上記の理由により投稿は

出来ませんので深くお詫び申し上げます。<m(__)m>

 

「県立古代出雲歴史博物館」の展示物については、出雲

大社にお出でになられた際、是非ご自分の目でご覧下さい。

きっと、驚嘆されます。ヽ(^。^)ノ

 

【 巨大柱発掘現場 】

 出雲大社御本殿入り口に「八足門」が、あります。

 この階段下の石畳のピンクの丸い印の場所で

 巨大柱が発掘されました。

 この柱は、直径約1.4mのも大木が3本束ねられて

 いたそうです。

 これは、平安時代出雲大社の高さが48mもあった

 証拠と言われています。

 

 その巨大柱(レプリカ)が「古代出雲歴史博物館」

 に展示してあります。

 それと共に、358本の銅剣や銅鐸、銅矛など出雲の

 宝を紹介する予定でしたが、諸事情によりお見せ

 出来ません。

 これらについては、「島根県立古代出雲歴史博物館」

 を検索してご覧下さい。

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【 出雲散策:二つの日本一編 】

2021-05-20 07:45:00 | 歴史

おはようございます。

「出雲散策」は、シリーズ5回目となります。

 

今回は、「二つの日本一」と題してある物を

ご覧頂きます。

さて、その日本一とはなんでしょうか。

では、どうぞ。

 

< ① > 【  神楽殿:大しめ縄 】 

 まず最初の日本一は、「神楽殿」の大しめ縄です。

 全長13.6m 重さ5.2tもあり、正に日本一

 を誇ります。

 大しめ縄の下に居る人と比べてみると、その大きさ

 が分かります!ヽ(^。^)ノ

 

 この日は、神楽殿にて結婚式があり、そのあと

 記念撮影が行われていました。(写真右下)

 なんとも、いいタイミングでした。ヽ(^。^)ノ

 

 

< ② >

 この神楽殿は、大しめ縄を飾るに相応しい巨大な

 建物です。(◎_◎;)

 

 

< ③ > 【 日本一の日章旗 】

 次の日本一は、日章旗です。

 掲揚塔の高さは、47mもあります。

 その頂上に掲げられている日章旗の大きさは、

 縦9m 横13.6m 畳75畳分に相当します。

 

 この日章旗がなびくには、かなりの風が吹かな

 ければなりません。

 その姿をじ~っと待っていましたが、これが

 最大でした・・・。(◎_◎;)

 

 

< ④ >

 出雲大社の散策も、ほぼ終わりに近づいて

 来ました。 

 拝殿に向かう途中、巫女さんを見つけ一枚

 パチリッ!

 赤い袴が、出雲大社の境内によく映えて

 いいショットが撮れました。ヽ(^。^)ノ

 

 さて、次は、いよいよ古代出雲歴史博物館

 へと向かいます。

 さて、どんな宝物が出て来るでしょうか。

 

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【 出雲散策:出雲大社編② 】

2021-05-18 07:45:00 | 歴史

おはようございます。

今回は、出雲散策:出雲大社編②を

紹介します。

 

ここ出雲大社には、社が沢山あって

それぞれに神様が祀られています。

 

今日は、その中でも御祭神を正面で

拝まれる場所をご覧頂きます。

では、どうぞ。<m(__)m>

 

< ① > 「御本殿」西側

 ここに一人の信徒と思われる方が、先ほどから

 何度も拝礼をされており一寸気になりました。

 失礼とは思いましたが、顔はなるべく避けて

 一枚撮らせて頂きました。<m(__)m>

 

 御本殿への拝礼でしたら正面からですが、ここ

 で拝礼する理由はちゃんとあるのです。

 

 

< ② >

 先ほどのご婦人が拝礼されていた場所は、

 ここです。

 右側の立て札に何か書いてあります。

 それは・・・。

 

 

< ③ >

 その立て札には、「御祭神大国主大神はのお鎮まりになる

 御本殿の正面は南向きですが殿内の御神座は西向きとなって

 います。」

 つまり、御祭神は、西向きに御神座されこちら側に向かれて

 いるのです。

 その方向には、全国の八百万の神々が渡って来る稲佐の浜が

 あります。

 

 御祭神への拝礼は、必ずこの場所に廻り参拝することになります。

 

 

< ④ > 「 素鵞社(そがのやしろ)」

 写真は、大国主大神の父、素戔嗚尊(スサノオ

 ノミコト)を祀っている社です。

 素戔嗚尊は、八岐大蛇を退治したことで有名です。

 この社の床下の砂を土地に撒くと、神の御加護が

 受けられるそうです。

 

 

< ⑤ > 「西十九社」

 出雲大社は、全国の八百万の神々が旧暦の

 10月10日に出雲に集まり、一年の会合を

 開きますが、十九社はその神々がお泊りに

 なる宿舎です。

 御本殿東側に「東十九社」もあります。

 

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