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40代ブロガーの日常+アルファです。アクセス数よりも長寿を目指していきます。

12万キロの長旅

2015-05-25 19:51:35 | J氏の平穏な一日
このたび、私は車を買いました。
車種は一緒なんですけどね。
今まで約8年間連れ添ってくれたことに感謝します。

思い出してみれば9年前はスポーツカーに乗っていた。
2シーターのオープンカーにもなるものだ。
マニュアルで4気筒でよくよく走ってくれたものだが、乗り心地がよくなくやはりサスが固かったのを覚えている。
同じ距離を運転しても疲労感がまったく違う。
平成19年にワゴン型の愛車を買った。

当時では最高グレードのもので、室内は広くなかなかの乗り心地であった。
私も当時は30歳。
社内では昇進ももらい仕事も上々のころであった。
風水をかじり、吉方位旅行に行ったのもこのころであった。
縁遠い私のことだからと念入りにたくさん祈ったころであった。

吉方位旅行から数ヵ月後、私にも彼女ができた。
そのころ31歳。
二人の距離は約100キロという中距離恋愛であった。
その間も愛車は私たちに幸せを運んでくれた。
月に1~2回のデートも色々な場所へ行けて、私たちに感動と喜びを与えてくれたことを覚えている。
本当に幸せだった。

その3年後、私は彼女と結婚をした。
その間に転勤があり、いろいろと大変だったのを覚えている。
転勤先ではとても辛く、仕事は空回り、人間関係も悪くなり、仕事をする気がなくなってしまった。
今の職場で仕事をしたくないという状況であった。
「職場うつ」と言うらしいが、これは辛かった。
家では平気なのだが、職場に行くとパニック障害や適応障害と精神科で診断され、出勤前はひどい咳や嘔吐感で悩まされた。
睡眠時無呼吸症候群も発覚し、車で民家の塀に突っ込んでしまったこともある。
適応障害と診断され、2週間の休暇のあとに出勤すると・・・私の存在は無視されていた。
仕事を何も教えてもらえない。
この環境や状況で、私は退職を決意した。
結婚当初から、今まで続けた仕事をやめなければならないのは私にとっても非常に痛手であった。
結婚当初からこんな思いをさせてしまったのは今でも申し訳ないと思っている。

職場をやめてからというもの、私は将来の目標がなくなってしまい腑抜けのようになってしまった。
アパシー症候群であったと思う。
米の工場、厨房は仕事がまったく覚えることができず1ヶ月での退職となった。
そして介護業界へ行き、数ヶ月続いた。
しかし、動きが悪かったらしく常勤への候補にはならず退職。
しかし、ホームヘルパー2級(現介護職員初任者研修)を取らせてもらったのでその後も介護施設に3件勤めて
3件目に晴れて常勤になる。

その間にも妻の実家へ引越ししたり、自然が好きな妻のために、私の愛車は距離数を増やし
私たちに幸せを運んでくれた。夫婦愛を保ってくれた。
嫁のお母さんやお父さんも一緒に連れて遠出をして、家族の絆を深めることもできた。
父の日、母の日にはささやかながらプレゼントもした。
私のよき右腕として活躍してくれたこと、本当に感謝している。

しかし、先月に妻から別れ話を急遽持ち上げられた。
今でも続いている不動産の投資が「莫大な借金」としてしか受け止められないらしく
妻の親から急に別れてくれと言われてしまった。
マスオさんの立場の辛いところである。
納得いくまで話したい気持ちがあったのだが、事前に出しておいた離婚不受理届出も
妻のお父さんの「裁判してもいいけど、お金ないだろう。」の一言であえなく撃沈。

その晩、久々に泣いた。
そして、久々に深酒もした。
理性と感情との戦いにずいぶん悩んだ。
2015(平成27年)4月22日、私たち夫婦は法律上、他人となった。
今思えば、両家の相性もよくなかったし、妻は「さげまん」であったように思う。

翌日、離婚を理由に「もう、ここに勤める理由がなくなった」と退職を申し出るが、
「急すぎる」、「奥さんにされたことを会社にしている」と却下されてしまう。

しかし、年齢の割に低収入であることを自覚はしているため以前よりハローワークには通っていた。
1件目はグループホームのリーダーで来てもよいというところ。
3ヶ月は試用期間で、リーダーになれば5万円、ホーム長になればさらに5万円増えるというところ。
ここにはあらかじめ採用をもらっていた。

2件目は調理師で来てほしいというところ。当初は介護職員で応募をするが、厨房職員が足りないので私の履歴書を吟味したところ
厨房職員で来てほしいという話をされた。返事が遅かったので縁がなかったと思っていたが、まるで、どんでん返しである。
2件目は表面上は面接だが、中身は引き抜きに近かった。
「給与面も、当社規定で最高の号俸、介護職の希望ということも考慮し介護職員処遇改善手当を上乗せし
介護職員のカウントもできるようにします。ケアマネ受験に向けて条件は達成できるようにします。」とのことだった。
「さらに施設直営での雇用になり、賞与や手当てなどももちろん支給、ほかの調理職でここまで給与を出すところはありません。」
と施設長の強気な発言。
年収は見込みで現在の仕事よりも100万円ほどアップする予定である。
これは、冷静に考えても千載一遇のチャンスと言っても過言ではないでしょう。

1件目の施設に辞退の申し出をして、2件目に連絡をする。
翌日には採用通知がすぐに送られてきた。

そして、私はモデルチェンジをした新車を買った。
今度はノンターボという無難な選択肢を選んだ。
気の利いた装備が多いし、燃費も少し良い。
利率も1,9%と破格のときに買ったのでいい買い物をしたと思っている。
今の車はよく走るので走行距離はすぐに伸びてしまうので心配だ。

しかし、妻と別れてから1ヶ月、こんな話があるとは思いもしなかった。
本当に「さげまん」じゃないのかな・・・?

私の人生まだまだ続きます。
まだ、未来じゃないわけではない。
まだ、希望がないわけではない。
まだまだ、がんばれる可能性は残っている。
私がこれまで生きてきた人生、丸々、意味がなかったわけではない。
結果としてよいものではないが、決して無意味などではない。

未来を信じてみよう。

私は新たな一歩をすでに踏み出している。

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