友人を亡くしたのは、
多分彼女が初めてだ。
小学生低学年の時、
ご近所の同級生が亡くなって
ご焼香をあげたのはなんとなく覚えてる。
交通事故だったかな?
彼の記憶は全くない。
だから、
さやが初めて亡くした友人は
ともちゃんだった。
彼女とは高一の時同じクラスになった。
筋ジストロフィーのため、
小さい身体で車椅子に乗っていた。
なんだか彼女とは気が合い、
よく話し笑い、遊んだ。
放課後遅くまで残っていて
彼女のお母さんのお迎えを待つ。
高二からはコース別になってしまうので
美術コースのさやと、理数系の彼女は別々。
それでも同じ部活で
仲良しには変わりなかった。
ともちゃんは少しワガママで
でも優しくて、人一倍努力家だった。
一人っ子だから、ワガママなのも仕方ないな。
兄弟の多いさやはそう思っていたし、
ともちゃんもひどいワガママを言う訳じゃない。
さやはともちゃんの真っ直ぐな姿勢が好きだった。
将来のコト、今までのコト、今のコト。
沢山たくさん語った。
お互いの夢のことも。
ともちゃんの病気のことも聞いた。
だからこそともちゃんの夢には重みがあった。
三年になって受験のムードが漂い始め
彼女ともなんとなく疎遠になっていった。
何かのキッカケでさやの志望校を知った彼女は
志望校をそこに変えるといった。
推薦入試だった。
お互い条件はクリアしていた。
ともちゃんは余裕で、
さやはギリギリで。
でもさやは受かって、
ともちゃんは落ちた。
入学してから、
ともちゃんの面接官だった先生と話して
ともちゃんが落ちた理由が分かった気がした。
この先生だったのは運が悪かったと思った。
その先生の考え方とともちゃんの考え方は相容れない。
入試の面接でそんな問答が出来る程、
ともちゃんは神経が太くなかった。
一浪してともちゃんは別の大学へ。
ほとんど連絡を取ることもなくなっていた。
卒業してさやは静岡へ。
転居届を送った。
しばらくメールのやりとりをしていた。
四月、さやは新入社員になり
ともちゃんは四年生になった。
「今から卒論が大変なんだ」
「院に進むつもりだからしっかりしたもの書かないと」
「今ね、彼と同棲してるの」
「機会があったら是非さやにも会わせたいよ」
そんな春の会話。
忙しく春は過ぎ、夏も半ば。
ともちゃんにメールを送った。
返事は二三日後。
「ともの母です」から始まるメール。
届いたのは仕事中だった。
その後の仕事を
どうこなしたのかよく覚えていない。
ただ、頭にはメールの一言。
「ともは○月○日、○時○分に永眠しました」
それは半月程前の日付。
さやはそのことを知らないまま過ごしていた。
メールを送らなかったら、
一生知らなかったかも知れない。
知らなかったとは言えさやが送ったメールは、
娘を亡くした母が読む内容のメールじゃなかった。
後悔ばかりが頭を占める。
あれから何年か経っているけれど、
去年の訓練校で筋ジスの話が出た時は
まともに聞いていられなかった。
涙がこぼれてとまらなかった。
さやは愚かだった。
筋ジスは単なる難治症の病だと思っていた。
進行性のものだと言うことを知ったのは、
最終的には死に至る病だと知ったのは、
彼女を亡くしてからだった。
どんな気持ちで夢を語ってくれたのか。
自分の身体のコトを病のコトを
ともちゃんは知っていたんだろうか。
そのことに気が付かないでいた自分。
今だからこそ、あの頃は
知らないで付き合えて良かったと思う。
だけど離ればなれになった時、
どうしてそのことを知らなかったのだろう。
もしかしたら、
二度と会えなくなることを。
ともちゃんのお母さんとは幾度かメールをした。
仕事が落ち着いた頃、お顔を見に伺います。
そう言ったまま何年もが過ぎた。
早生まれのともちゃんの22歳の夏だった。
多分彼女が初めてだ。
小学生低学年の時、
ご近所の同級生が亡くなって
ご焼香をあげたのはなんとなく覚えてる。
交通事故だったかな?
彼の記憶は全くない。
だから、
さやが初めて亡くした友人は
ともちゃんだった。
彼女とは高一の時同じクラスになった。
筋ジストロフィーのため、
小さい身体で車椅子に乗っていた。
なんだか彼女とは気が合い、
よく話し笑い、遊んだ。
放課後遅くまで残っていて
彼女のお母さんのお迎えを待つ。
高二からはコース別になってしまうので
美術コースのさやと、理数系の彼女は別々。
それでも同じ部活で
仲良しには変わりなかった。
ともちゃんは少しワガママで
でも優しくて、人一倍努力家だった。
一人っ子だから、ワガママなのも仕方ないな。
兄弟の多いさやはそう思っていたし、
ともちゃんもひどいワガママを言う訳じゃない。
さやはともちゃんの真っ直ぐな姿勢が好きだった。
将来のコト、今までのコト、今のコト。
沢山たくさん語った。
お互いの夢のことも。
ともちゃんの病気のことも聞いた。
だからこそともちゃんの夢には重みがあった。
三年になって受験のムードが漂い始め
彼女ともなんとなく疎遠になっていった。
何かのキッカケでさやの志望校を知った彼女は
志望校をそこに変えるといった。
推薦入試だった。
お互い条件はクリアしていた。
ともちゃんは余裕で、
さやはギリギリで。
でもさやは受かって、
ともちゃんは落ちた。
入学してから、
ともちゃんの面接官だった先生と話して
ともちゃんが落ちた理由が分かった気がした。
この先生だったのは運が悪かったと思った。
その先生の考え方とともちゃんの考え方は相容れない。
入試の面接でそんな問答が出来る程、
ともちゃんは神経が太くなかった。
一浪してともちゃんは別の大学へ。
ほとんど連絡を取ることもなくなっていた。
卒業してさやは静岡へ。
転居届を送った。
しばらくメールのやりとりをしていた。
四月、さやは新入社員になり
ともちゃんは四年生になった。
「今から卒論が大変なんだ」
「院に進むつもりだからしっかりしたもの書かないと」
「今ね、彼と同棲してるの」
「機会があったら是非さやにも会わせたいよ」
そんな春の会話。
忙しく春は過ぎ、夏も半ば。
ともちゃんにメールを送った。
返事は二三日後。
「ともの母です」から始まるメール。
届いたのは仕事中だった。
その後の仕事を
どうこなしたのかよく覚えていない。
ただ、頭にはメールの一言。
「ともは○月○日、○時○分に永眠しました」
それは半月程前の日付。
さやはそのことを知らないまま過ごしていた。
メールを送らなかったら、
一生知らなかったかも知れない。
知らなかったとは言えさやが送ったメールは、
娘を亡くした母が読む内容のメールじゃなかった。
後悔ばかりが頭を占める。
あれから何年か経っているけれど、
去年の訓練校で筋ジスの話が出た時は
まともに聞いていられなかった。
涙がこぼれてとまらなかった。
さやは愚かだった。
筋ジスは単なる難治症の病だと思っていた。
進行性のものだと言うことを知ったのは、
最終的には死に至る病だと知ったのは、
彼女を亡くしてからだった。
どんな気持ちで夢を語ってくれたのか。
自分の身体のコトを病のコトを
ともちゃんは知っていたんだろうか。
そのことに気が付かないでいた自分。
今だからこそ、あの頃は
知らないで付き合えて良かったと思う。
だけど離ればなれになった時、
どうしてそのことを知らなかったのだろう。
もしかしたら、
二度と会えなくなることを。
ともちゃんのお母さんとは幾度かメールをした。
仕事が落ち着いた頃、お顔を見に伺います。
そう言ったまま何年もが過ぎた。
早生まれのともちゃんの22歳の夏だった。
友人を亡くすのはとても悲しいことですよね。病院でも、何人もの仲間の死を見てきました。悲しいけど、彼らの分も生きなきゃ、て思います。
「ともちゃん」さんのことは、せめてさやさんの心の中に生きていると思いたいですね。
恥ずかしいことにさやは大泣きしてしまいました。
彼女のことを講師の先生にお話ししたら、
「そうやってあなたのココロに残っていることが
彼女にとって一番幸せなことかもしれないわね」と。
彼女の分も生きることは出来ないけれど、
彼女のことは忘れずに生きていきたいと思っています。