拝啓 陸の孤島から

いいことがあってこその 笑顔じゃなくて
笑顔でいりゃいいこと あると思えたら それがいいことの 序章です

上質な漫才は続く

2006年06月07日 20時09分36秒 | 日々の話
およそ半年前、ブログにこんな記事を書きました。


あれから半年が経ちましたが、
世の中はまるで、
若手のお笑い芸人が斬新なネタを競うかのように、
良質な漫才を提供し続けています。

「ひと月前に自分の娘が水死して悲しんでいましたが、
 隣の隣の家の子を首を絞めて殺しました」


我々はこの冗談とも事実とも区別のつかないことの前に立ち尽くすのみなのでしょうか。

「俺の犯罪の方が残酷だぞ!」
「私の殺人の方がワイドショー受けするわ!」


まるで犯罪者同士がそう言っているかのような気さえします。



ミスチルに「タガタメ」「HERO」という曲があります。
(アルバム「シフクノオト」収録)
こんなニュースが流れる今、哀しく聞こえます。

「タガタメ」歌詞

「HERO」歌詞

「シフクノオト」に収録されているこの2曲。
最後から二曲目と最後の曲です。
このアルバムが発売されたときに、
なんかのラジオでおちまさと(放送作家・プロデューサー)が、
「この2曲の間の空白を味わって欲しい」と言って、
2曲ともすごく長い曲なのにその空白を放送する(変な言葉だけど)ために、
わざわざ2曲を連続して流したことを覚えています。

この2曲と空白、敢えて安易な言葉で言うのなら、
桜井さんの自問、思索、そして答えだと思います。

「子供らを被害者に 加害者にもせずに
 この町で暮らすため まず何をすべきだろう?
 でももし被害者に 加害者になったとき
 かろうじて出来ることは 相変わらず 性懲りもなく
 愛すこと以外にない」(「タガタメ」)


桜井さんの絞り上げるような悲痛な叫び。
怒り。悲しみ。葛藤。

その「愛すこと以外にない」というのは、

「例えば誰か一人の命と
 引き換えにして世界を救えるとして
 僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ

 愛すべきたくさんの人たちが
 僕を臆病者に変えてしまったんだ」(「HERO」)


という歌詞に集約されていると思われます。

はっきりとは形を取らないけれど確かにそこにある愛。
普遍的にして無条件な愛。
人間が本来持っている心性に訴えかけているように思われてなりません。
(それは次作の「I ■ YOU(アイラブユー)」にてもっと明確に打ち出されているのでしょうが)


こういう話をすると、この作品も思い出します。

山田詠美の「風葬の教室」という作品ですが、
主人公の杏はクラスでいじめにあって自殺を考えます。
二階の自室でいよいよ死のうとしたとき、
一階から母と姉が元気のない杏のためにシュークリームを作ろうとして、
カスタードと生クリームのどちらが杏が好きか相談している声を聞きます。
それを聞いた杏は、私は死ねないと思い、こう悟ります。

「私は、ただの一個の人間ではなかったのです。
 目に見えない足枷によって身動きのとれない
 幸福な奴隷だったのです。」



「目に見えない足枷」が現代の世の中には薄くなってきているのでしょうか。


長くなりついでに、こないだの産経抄もなかなか良いこと言ってたなあ。

【産経抄】

↓「産経抄」の中で紹介されるエッセイ漫画↓
【毎日かあさん】

・・・こんなにいろいろ引用して大丈夫かな?(^_^;)