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山田サトのブログ

なんでもありのブログ

上品寺

2016-09-29 22:46:18 | 神社仏閣(寺社仏閣)
東京都葛飾区東新小岩7-8-2 (新小岩北口より徒歩15分) 上品寺(じょうほんじ) にお参りしてきました。
新義真言宗の上品寺は、八幡山来迎院と号します。
閻魔堂には、座像ながら約2メートルの閻魔大王の像が安置されています。
江戸十六閻魔の一尊で、その製作手法から室町時代の作と云われています。
その昔、中川の氾濫時に、上流から流れてきたお像を村人が奉納したとも伝えられています。
江戸名所に数えられていましたが、安政2年の地震による倒壊後、閻魔像は本堂の片隅に安置されていたが、昭和50年に現在の閻魔堂を再建しました。
ご利益は厄除け、縁結び、商売繁盛です。

東新小岩(上平井)天祖神社

2016-09-27 15:07:27 | 神社仏閣(寺社仏閣)
東京都葛飾区東新小岩8-6-20 (新小岩駅の北口より徒歩15分) 東新小岩(上平井)天祖神社にお参りしてきました。
江戸時代には「皇太神宮社」「葛西神明」とも尊称されたが、明治四年に天祖神社と改称されました。
創建は鎌倉時代の源頼朝の家臣壱岐守平清重(葛西三郎)が勧請したと伝えられる。
御祭神は、大日女霎尊、天児屋根命、誉田別命で、ご利益は所願成就、出世開運など。

繁栄稲荷神社

2016-09-23 20:43:27 | 神社仏閣(寺社仏閣)
東京都江東区木場2-18-12(地下鉄東西線木場駅徒歩3分) 繁栄稲荷神社 にお参りしてきました。

大丸百貨店の業祖である下村彦右衛門正啓が、宝暦7年(1757年)、深川木場4丁目、現在の繁栄橋のほとりに貯木場を備うる別墅を営み、その一廓に社殿を造り伏見稲荷大社の御分霊を祀り繁栄稲荷と称したのが創祀だそうです。
その後、明治末年に大丸東京店(江戸店)の閉店と同時に木場の別墅も廃したとき、社殿は根津嘉一郎の山邸に移り同家の嘉栄稲荷の社殿とされました。
昭和35年5月に社殿が繁栄稲荷のものであったことが判り、根津家の厚意で大丸へ返譲、旧地に接したこの地に本殿、玉垣その他を移築し、あらたに伏見稲荷大社の御分霊を勧請して現在に至っているとのこと。

御祭神は、御魂大神、佐田彦大神、大宮能売大神です。
強運のお稲荷さんなので、金運の御利益があります。


上小松天祖神社

2016-09-20 16:52:10 | 神社仏閣(寺社仏閣)
東京都葛飾区東新小岩4-23-8 (新小岩駅北口より徒歩15分) 上小松天祖神社 にお参りしてきました。
正福寺(東京都葛飾区東新小岩4-8-4)法印権大僧都永盛が寛文6年に創建、旧上小松村の鎮守として奉祀したといいます。
御祭神は天照皇太神で、御利益は家内安全、病気平癒、開運厄除、学業成就など。
尚、東京都葛飾区東新小岩8-6-20にある天祖神社は、東新小岩天祖神社と称し区別しています。

正福寺

2016-09-19 20:12:14 | 神社仏閣(寺社仏閣)
東京都葛飾区東新小岩4-8-4 (新小岩駅北口より徒歩15分) 正福寺 に行って来ました。
真言宗豊山派寺院の正福寺は、青松山金剛院と号します。
行基菩薩が東国教化の際(729年~749年)、照明寺(現在の照明寺は、東京都葛飾区新小岩3-19-6)のあった地に小松山金剛院正福寺として創建したと伝えられます。
その後雷火のため焼失・衰退しましたが、正安2年(1300)賢栄法印が当地に青松山金剛院正福寺として中興したといいます。
江戸時代には、門末80余寺を擁し、慶安元年(1648)には10石の朱印状を拝領、将軍家鷹狩りの際の御膳所となっていました。
御本尊は、阿弥陀如来で、南葛八十八ヶ所霊場の23番、新四国四箇領八十八ヵ所霊場21、22番である。