癒やされるかもしれない研究所日誌

人生とか人間関係とかお金とか、そんなことを考えて思ったまま綴っています。スピリチュアルなことも多いです。

「人をジャッジしてはいけない」の罠?

2020-11-19 10:23:37 | 気付いたこと
うまく説明できなくて申し訳ないけど、私の今後にかかわるので書くよーーー。






ちょっと前に、私の部署に新しい人が入ってきました。



おっとりした優しそうな人だと思っていたのですが、



最近、何か違うと思うようになり、




でも、




いやいや、私の心が狭いからそう思っちゃうんだ



いやいや、たまには人間そういうこともあるって!




と、やり過ごしていたけど、




やっぱり、違和感がぬぐえなくなってきました。




だんだん、その人と会話するのも、目を合わせるのもいやになりました。




でもその人とは一緒に同じ作業をすることも多々あるので困ってしまって、隣の部署の同僚に相談したら、





「あー、あの人ね。初めて会ったときから、勝ち気な顔してると思ってたけど、この間コレコレこういうことがあって、やっぱり見た通りの人だと思ったよ」




とのこと。




驚きました。




同僚は、「勝ち気」



私は「おっとり・優しそう」





同じ人物に対して第一印象がこんなに違う。




なぜ???






それで、自分の人に対する色々を分析してみました。




まず、私は人を見た目で判断しています。



太っていたら、おっとり・優しい人に違いない。

美人じゃない人はきっと控えめな優しい性格に違いない。

服装が派手だったら、きっと性格も派手に違いない。

中肉中背で一般的な容姿のひとだったら、普通の一般的な人に違いない。

などなど。


これをベースに付き合い方が変わるので、ハデそう意地悪そうなどと判断したら、まず近寄らないですね。



さらに、日ごろから私は人をジャッジしないようにしています。



ジャッジとは、人の言動を、正しいとか間違ってるとか、正義とか悪とかに仕分けすることです。




で、さらに、うっかり人をジャッジしないためにも、日ごろから人のすることにいちいち反応しないようにしていました。



でも、やっぱり、心のどこかではなにかを感じていて、


それに蓋をして見ないようにしていたから、それがつもり積もって違和感として意識に上ってくるんだと思います。




その違和感が気になるけど、「あの人はいい人」と表面では思っているから、



自分の中で矛盾が生じて自分が苦しくなるという悪循環が起きているのではないかと思いました。



人を見た目で判断
人をジャッジしない
人のすることにいちいち反応しない



確かにこれで、人ともめることが少ない人生だったと思います。



だけど、自分の本音や気持ちなどを無視したり隠したりしていたのです。


他のことでは、本音や気持ちを大事にとか言ってるくせに、対人関係の部分でこんなに無視してきていたんだと、自分のことながら驚きました。



もしかしたら、私のように



人をジャッジしないために人の言動に反応しないという、いき過ぎたことになってしまっている人も案外たくさんいるのかもしれないと思いました。



反応しなければ、今自分がその人の言動で

傷ついたとか、
悲しくなったとか、
それ嫌いだなとか、
ムッとしたとか、

そういった負の気持ちも感じなくて済みます。



だけど、それがかえって良くなかったんだなと、今は思います。



どんなに隠したところで、違和感として湧き上がってくるのだから。



でも、いちいち、人の言動に反応していたら、相手は職場の人なんだし、仕事がしづらくなるんじゃないかと思う。



昔の私だったら、


「そうだよね。だからやっぱりいちいち気にせずやり過ごした方がいいんだよ。それが大人の対応っていうものよね。仕事だってやりづらくなるものね。だから今まで通りいこう」


と、言ったことでしょう。



だけど、


気付いてしまったから、もう後には戻れないのだ。



不愉快なものは不愉快だし、
合わないものは合わないし、
つまらないものはつまらない。




自分の人に対する行動を、新しい時代に対応できるようにグレードアップすることをせまられている気がする(・・;)









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