1月6日(日)名古屋国際センター第二研修室で 「相馬看花 第一部 奪われた土地の記憶」の上映会が開催されました。
2011年3月の東日本大震災の後世界中から支援の手が差し伸べられました。外務省のHPにはどの国の政府からどんな援助があったかを見ることができます。しかしそれ以上に世界中の人たちから個人的に、そして民間の団体を通して様々な支援が寄せられたのでした。この上映会の主催者の方から「あまり知られてない民間の援助を紹介したい」と申し出があって 日本ユーラシア協会愛知県連が関わったリャザン大学からの支援を紹介していただくことになりました。
会場にはリャザン大学で日本語を学ぶ学生さんたちや先生方が日本の文化を紹介しながら募金活動をしてくださった時の写真が展示されました。
リャザン大学からの支援についてはこちらをご覧ください。
また ロシアからの支援について 名古屋大学の留学生ゴアール・シャイバジャーンさんがスピーチをしてくださいました。彼女は地震の惨状を知って心をいためた年金暮らしのおばあさんが「せめてこれだけでも被災者の方に」とモスクワの日本大使館にお金を届けに来た」というエピソードを話してくれました。
展示を見た方からは
「ロシアというと、北方領土の問題ばかりが取り上げられるが、今日の話を聞いてロシア人の心の温かさを知った。」というコメントもあったそうです。
会場にはその他、トルコ、ハンガリー、エストニア、ウクライナ、クロアチア、ブラジルの人たちからの草の根の支援の様子が展示されていました。いずれもマスコミではあまり取り上げられなかったものです。こちらは在日のトルコ人たちの援助活動の様子。
このスピーチの後 映画が上映されました。
避難所の生活、配られる冷たいお弁当。すぐには立ち入り禁止にならなかったので家の様子を見に行くと、何者かがカギを壊して侵入した様子。こんな時にも泥棒はいたんですね!
めちゃくちゃに破壊された町の様子は当時テレビでも毎日のように報道されたものですが、この映画に写された立ち入り禁止区域の無人の街の風景はまた違う意味でショッキングでした。家も壊れておらず、お店もそのまま、信号も点滅しているのに人の気配はなく、まったくのゴーストタウンです。よろよろ歩いているのは置き去りにされて飢えたペットの犬たちだけ。
また 避難所に行かず、自宅に残る老夫婦もいました。妻が脚が悪く、自宅のトイレでなければ用が足せないというのがその理由。夫の方はあの原発で安全管理者として長く勤務した人でした。「放射能は怖くねえ」という彼。電気もガスも水道も使えない状態で二人は自宅で炬燵に入ったまま何日を過ごしたのでしょう。
映画の後は 福島から愛知県に避難してこられた方のスピーチがありました。福島に住み、高校の理科の先生だった彼女、原発についても放射能についてもほとんど知識がなかったそうです。「新聞を始めとするマスコミの報道は必ずしも信じられない。助言するとしたら本を読むこと、自分で判断することです。」と言われたのが印象的でした。
さらに防災専門家のレクチャーもあり、この映画を撮った松林容樹監督のお話もありました。映画はこの日3回上映され、合計130名が来場したとのことです。
詳しい報告はこちらに
ご協力くださったみなさま、ありがとうございました。
2011年3月の東日本大震災の後世界中から支援の手が差し伸べられました。外務省のHPにはどの国の政府からどんな援助があったかを見ることができます。しかしそれ以上に世界中の人たちから個人的に、そして民間の団体を通して様々な支援が寄せられたのでした。この上映会の主催者の方から「あまり知られてない民間の援助を紹介したい」と申し出があって 日本ユーラシア協会愛知県連が関わったリャザン大学からの支援を紹介していただくことになりました。
会場にはリャザン大学で日本語を学ぶ学生さんたちや先生方が日本の文化を紹介しながら募金活動をしてくださった時の写真が展示されました。
リャザン大学からの支援についてはこちらをご覧ください。
また ロシアからの支援について 名古屋大学の留学生ゴアール・シャイバジャーンさんがスピーチをしてくださいました。彼女は地震の惨状を知って心をいためた年金暮らしのおばあさんが「せめてこれだけでも被災者の方に」とモスクワの日本大使館にお金を届けに来た」というエピソードを話してくれました。
展示を見た方からは
「ロシアというと、北方領土の問題ばかりが取り上げられるが、今日の話を聞いてロシア人の心の温かさを知った。」というコメントもあったそうです。
会場にはその他、トルコ、ハンガリー、エストニア、ウクライナ、クロアチア、ブラジルの人たちからの草の根の支援の様子が展示されていました。いずれもマスコミではあまり取り上げられなかったものです。こちらは在日のトルコ人たちの援助活動の様子。
このスピーチの後 映画が上映されました。
避難所の生活、配られる冷たいお弁当。すぐには立ち入り禁止にならなかったので家の様子を見に行くと、何者かがカギを壊して侵入した様子。こんな時にも泥棒はいたんですね!
めちゃくちゃに破壊された町の様子は当時テレビでも毎日のように報道されたものですが、この映画に写された立ち入り禁止区域の無人の街の風景はまた違う意味でショッキングでした。家も壊れておらず、お店もそのまま、信号も点滅しているのに人の気配はなく、まったくのゴーストタウンです。よろよろ歩いているのは置き去りにされて飢えたペットの犬たちだけ。
また 避難所に行かず、自宅に残る老夫婦もいました。妻が脚が悪く、自宅のトイレでなければ用が足せないというのがその理由。夫の方はあの原発で安全管理者として長く勤務した人でした。「放射能は怖くねえ」という彼。電気もガスも水道も使えない状態で二人は自宅で炬燵に入ったまま何日を過ごしたのでしょう。
映画の後は 福島から愛知県に避難してこられた方のスピーチがありました。福島に住み、高校の理科の先生だった彼女、原発についても放射能についてもほとんど知識がなかったそうです。「新聞を始めとするマスコミの報道は必ずしも信じられない。助言するとしたら本を読むこと、自分で判断することです。」と言われたのが印象的でした。
さらに防災専門家のレクチャーもあり、この映画を撮った松林容樹監督のお話もありました。映画はこの日3回上映され、合計130名が来場したとのことです。
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ご協力くださったみなさま、ありがとうございました。