あれから10日…だいぶ余震も少なくなってきたので、ようやくパソコンにも落ち着いて向かうことができます。
本当に、驚きと不安と恐怖がいっぺんに押し寄せたような出来事でした。
世界的な視点からは完全に平和といえる世の中でないにしても、この日本に住んでいるかぎり、平和が当たり前、関東大震災なんて、過去の歴史上の出来事と思っていた私にとって、まさかこのような地震に遭遇するとは、1ミリたりとも思っていませんでした。。。
3月11日、私は、月2回のヴォイストレーニングの講座を古河サティで受けていた。最初は、「いつもの地震かな?」と、大して気にも留めていなかったが、すぐ止むものと思っていた揺れが、だんだん大きくなり、そのうちに「えっ?!どうして?!」と今まで経験したことのない揺れを感じたかと思うと、地鳴りのような音がゴ~ッと押し寄せ、それと共にものすごい揺れが…!!!
最初はそれでも我慢していた私。が、我慢の限界を超えるような揺れになると、思わず隣の方にしがみついてしまった。アップライトピアノは今にも倒れそうなほどガタガタ動いている。ピアノは、災害時には凶器になる。アップライトは倒れれば下敷きになるし、グランドは車輪が付いているので動き回るか、もしくは上体の重さに耐えきれずに足が折れてしまうので、下に隠れるのはもってのほかだ。
そこで、ピアノの側にいらした先生に「先生、ピアノが危ない!」と叫んだら、先生、ピアノの側から離れるどころか、倒れないように必死に押さえていらした。その顔も恐怖にひきつっている……
館内アナウンスで、外に出るように指示され、やっとの思いで外に出た。既に、サティ内は、陳列された衣料品は横倒しになり、天井からはセメントのくずが砂埃のように落ち、スプリンクラーだろうか、異様な激しさでパイプから噴出した水が床を叩きつけている……
いったん、1階の駐車場に出た数十人の受講生たち。その中の1人の「駐車場がつぶれたら、瓦礫の下だから、空の見えるところまで行かなきゃ!」という声に、みんなはっとし、さらに遠くまで走り続けた。
余震が続く中、ようやくみんなの顔を確認することができ、ほんの一瞬、ほっとした。と同時に、次に浮かんだのは、「自分の家は、どうなっているのだろう。家族は…」
携帯をかけた…もちろん通じない…何度もかけた…結局、急いで帰るしかない…
2階の駐車場へは、非常階段を使って行った。
家までの道のりは、とても遠く感じた。運転していてもタイヤが飛び跳ねるような感覚の大きな余震が来たときには、数台前を走っていたパトカーから「みなさん、危険ですから車から降りてください」のアナウンス。車を止め、いつでも逃げることのできるようにドアを開けて待機。しばらくすると余震も治まり、再び車を走らせる…地面に亀裂が入っていないか、それとも余震を恐れてか、車が進む速度が妙に遅く感じられ、さらに不安が大きくなる…
ようやく、家が見えた…つぶれていなかった!家族は?そして動物たちは?
…みな無事だった。
ただ、部屋じゅうに本やCDが散乱して足の踏み場もないほどだった。机は倒れていないのに、棚の本がものの見事に全て、床に放り出されている…ふだん物置に使っている箪笥は半開きになり、中から布団類やぬいぐるみがやはり投げ出されている…
そこで、ふと、my猫「櫻」のことが頭を過ぎった。。。
そういえば、普段、私が外出する時には、他の猫たちと一緒の部屋においておくのだが、今朝にかぎって、暖かかったので、自分のベッドの上で眠っているのをそのままにしてきたのだった…
「さくら~!!!」呼んだ。返事がない。「さくら、どこなの?」呼び続けた。
すると、なんとその布団類が全部投げ出され、メチャクチャになっている箪笥の奥のクリスマスツリーの飾りに埋もれている2つの目を発見! 「あぁ~さくら、無事だったんだ!」
固まって動けなくなっている櫻を奥から引きずりだし、ようやく猫部屋へ…
ピアノ室も、CDが当たり一面散らばっている…しかし、これほどの災害にもかかわらず、もし夕方に生徒さんがいらしたら~と一応レッスンに備えて、とりあえずなんでもかんでもCDラックに入れる。幸い、ガラス類はわれることがなかったので、なんとか数時間で見た目は元に戻すことができた。(実際、翌朝、まだ停電している最中にいらした生徒さんも…)
しかし、落ち着いて見直してみると、2つのグランドピアノは、左右それぞれの向きに3~5cm、動いた跡がある。よほどの衝撃があったのだろう。
家に戻って数分すると、突然Fさんが、お父様と一緒にいらした。Fさんの頬には涙の跡が…「先生、無事でしたか?」わざわざ、心配して来て下さったのだった。私も思わず、泣いてしまった。
その後もしばらく余震は続いた…その上、停電は翌日の午後まで続いた。
ふだん、地震のための準備を全くしていなかった我が家は、懐中電灯1つなく、その上、電気を使わない暖房器具やラジオも全くなく…
しょうがないので、その夜は、車の中で過ごした。
翌日の夕方近く、ようやく電気が通じ、初めてテレビを付けた。
東北地方の惨状を見て、あらためてこの地震の大きさを知った。
津波による被害、画面に映し出される目を覆いたくなるような光景に、「これが日本か…」信じられない…
普通の生活が、一瞬のうちに壊される、そんなことが現実に起きてしまった。
直視したくない現実、放射能の問題、しかしとりあえず、情報はしっかり把握しておきたい……
あれから10日たった今も、肉親を探し続けている数多くの被災された方々、避難所での過酷な生活で、食べ物すら手に入らない困難な生活を余儀なくされている方々。
こんなブログで、どう言葉を締めくくったらいいのかわからないが、元気な人たちの祈り、思いは必ず届けれられると思う。
世界じゅうの人たちみんなが、心の支えになれるように…
ほんの少しでも、何か明日への希望が見えるように…祈っている。
本当に、驚きと不安と恐怖がいっぺんに押し寄せたような出来事でした。
世界的な視点からは完全に平和といえる世の中でないにしても、この日本に住んでいるかぎり、平和が当たり前、関東大震災なんて、過去の歴史上の出来事と思っていた私にとって、まさかこのような地震に遭遇するとは、1ミリたりとも思っていませんでした。。。
3月11日、私は、月2回のヴォイストレーニングの講座を古河サティで受けていた。最初は、「いつもの地震かな?」と、大して気にも留めていなかったが、すぐ止むものと思っていた揺れが、だんだん大きくなり、そのうちに「えっ?!どうして?!」と今まで経験したことのない揺れを感じたかと思うと、地鳴りのような音がゴ~ッと押し寄せ、それと共にものすごい揺れが…!!!
最初はそれでも我慢していた私。が、我慢の限界を超えるような揺れになると、思わず隣の方にしがみついてしまった。アップライトピアノは今にも倒れそうなほどガタガタ動いている。ピアノは、災害時には凶器になる。アップライトは倒れれば下敷きになるし、グランドは車輪が付いているので動き回るか、もしくは上体の重さに耐えきれずに足が折れてしまうので、下に隠れるのはもってのほかだ。
そこで、ピアノの側にいらした先生に「先生、ピアノが危ない!」と叫んだら、先生、ピアノの側から離れるどころか、倒れないように必死に押さえていらした。その顔も恐怖にひきつっている……
館内アナウンスで、外に出るように指示され、やっとの思いで外に出た。既に、サティ内は、陳列された衣料品は横倒しになり、天井からはセメントのくずが砂埃のように落ち、スプリンクラーだろうか、異様な激しさでパイプから噴出した水が床を叩きつけている……
いったん、1階の駐車場に出た数十人の受講生たち。その中の1人の「駐車場がつぶれたら、瓦礫の下だから、空の見えるところまで行かなきゃ!」という声に、みんなはっとし、さらに遠くまで走り続けた。
余震が続く中、ようやくみんなの顔を確認することができ、ほんの一瞬、ほっとした。と同時に、次に浮かんだのは、「自分の家は、どうなっているのだろう。家族は…」
携帯をかけた…もちろん通じない…何度もかけた…結局、急いで帰るしかない…
2階の駐車場へは、非常階段を使って行った。
家までの道のりは、とても遠く感じた。運転していてもタイヤが飛び跳ねるような感覚の大きな余震が来たときには、数台前を走っていたパトカーから「みなさん、危険ですから車から降りてください」のアナウンス。車を止め、いつでも逃げることのできるようにドアを開けて待機。しばらくすると余震も治まり、再び車を走らせる…地面に亀裂が入っていないか、それとも余震を恐れてか、車が進む速度が妙に遅く感じられ、さらに不安が大きくなる…
ようやく、家が見えた…つぶれていなかった!家族は?そして動物たちは?
…みな無事だった。
ただ、部屋じゅうに本やCDが散乱して足の踏み場もないほどだった。机は倒れていないのに、棚の本がものの見事に全て、床に放り出されている…ふだん物置に使っている箪笥は半開きになり、中から布団類やぬいぐるみがやはり投げ出されている…
そこで、ふと、my猫「櫻」のことが頭を過ぎった。。。
そういえば、普段、私が外出する時には、他の猫たちと一緒の部屋においておくのだが、今朝にかぎって、暖かかったので、自分のベッドの上で眠っているのをそのままにしてきたのだった…
「さくら~!!!」呼んだ。返事がない。「さくら、どこなの?」呼び続けた。
すると、なんとその布団類が全部投げ出され、メチャクチャになっている箪笥の奥のクリスマスツリーの飾りに埋もれている2つの目を発見! 「あぁ~さくら、無事だったんだ!」
固まって動けなくなっている櫻を奥から引きずりだし、ようやく猫部屋へ…
ピアノ室も、CDが当たり一面散らばっている…しかし、これほどの災害にもかかわらず、もし夕方に生徒さんがいらしたら~と一応レッスンに備えて、とりあえずなんでもかんでもCDラックに入れる。幸い、ガラス類はわれることがなかったので、なんとか数時間で見た目は元に戻すことができた。(実際、翌朝、まだ停電している最中にいらした生徒さんも…)
しかし、落ち着いて見直してみると、2つのグランドピアノは、左右それぞれの向きに3~5cm、動いた跡がある。よほどの衝撃があったのだろう。
家に戻って数分すると、突然Fさんが、お父様と一緒にいらした。Fさんの頬には涙の跡が…「先生、無事でしたか?」わざわざ、心配して来て下さったのだった。私も思わず、泣いてしまった。
その後もしばらく余震は続いた…その上、停電は翌日の午後まで続いた。
ふだん、地震のための準備を全くしていなかった我が家は、懐中電灯1つなく、その上、電気を使わない暖房器具やラジオも全くなく…
しょうがないので、その夜は、車の中で過ごした。
翌日の夕方近く、ようやく電気が通じ、初めてテレビを付けた。
東北地方の惨状を見て、あらためてこの地震の大きさを知った。
津波による被害、画面に映し出される目を覆いたくなるような光景に、「これが日本か…」信じられない…
普通の生活が、一瞬のうちに壊される、そんなことが現実に起きてしまった。
直視したくない現実、放射能の問題、しかしとりあえず、情報はしっかり把握しておきたい……
あれから10日たった今も、肉親を探し続けている数多くの被災された方々、避難所での過酷な生活で、食べ物すら手に入らない困難な生活を余儀なくされている方々。
こんなブログで、どう言葉を締めくくったらいいのかわからないが、元気な人たちの祈り、思いは必ず届けれられると思う。
世界じゅうの人たちみんなが、心の支えになれるように…
ほんの少しでも、何か明日への希望が見えるように…祈っている。