朔のつれづれ

つれづれに書き散らしております。

ボーッとするわよ。

2009-02-19 22:56:13 | Weblog
花粉症と風邪のダブルで鼻がえらいことに。

鼻がつまりすぎて眉間の辺りにイヤーーな痛みと不快感。
頭まで痛くなってくる。

しかも、先日婦人科へ休日に注射を受けた時の支払いを済ませに行ったら
そこで風邪を貰ったらしく、その日の夕方から熱が~T^T

やけに寒気がするので、インフルだけは勘弁してくれと
ビクビクしていたのだが
なんとか、熱は微熱程度で落ち着いてくれたので一安心。

ちょっとの熱くらいでは仕事は休めないので、
ダルい体とボーーっとする頭にムチ打ってレッスンへ。

でもやっぱ頭が働いていなかった。
「グレープバイン」(ステップの名前です)
を、思わず

「グレープフルーツっ!」

と叫びそうになり、危うく口に出しかけて思いとどまった(笑)
何言ってんだ自分!?
と一瞬わけわかんなくなりましたわさ。

まぁ、

グレープフルーツという名前は、実がブドウの房状になることに由来してるし
グレープバインは、足をブドウの蔓みたいに絡まるように動かすステップだし(バインは蔓、の意)
グレープつながりではあるのだが。

いや、そんなことはどうでもいいw

風邪のときにレッスンやると、声を無理して張り上げるので
開始のときの美声が、終了時にはとんでもないハスキーヴォイスにw
それがちょっと「イントラ」っぽくてなんだか嬉しくなる私。

って、うれしいんかい。

それにしても、花粉症。
私は目よりも喉にきます~

目は目薬でかゆみが治まるじゃないですか。
鼻も今は鼻うがいとか色々薬あるじゃないですか。

喉の激かゆは一体どうしたら・・・・・

うがいじゃ届かない所ですよ。

ホント、ベローンと外に出してブラシで洗いたいくらいだ。

なんかいいものないですか。





お騒がせなダンナ

2009-02-06 17:16:36 | Weblog
ダンナサマが、先月中ごろのとある日
突然私に一言。

「・・・トイレに行くと鮮血がべったりつくんだけど・・」

そーとー凹んでいる様子。
そうよね。男性って、血に免疫がないのよね。
怪我とかして、ちょっとでも血が出ると大騒ぎするものね。

真っ赤な血なら、おおかた痔でしょう。
便がどす黒かったりしたら大腸がんとか心配だけど・・・

と、言ってやったが全く慰めにはならなかったようだ。
むしろ、そんな人事だと思ってのんびりしやがって、と
ご不満しきり。

心配で仕方がないらしく、すぐに友達じゅうにメールを打ちはじめたりなんかしてる。

・・・そしたら、意外や意外。
結構30過ぎの男性、痔で悩んでる人が多いではないですか。
友達のほとんどが、
「血が出るのなんて日常茶飯事」「俺、昔から痔」
という返答。
・・・そーゆーもんなのか・・・・
男性諸君は大変なのねぇ。
女性も出産のときになる人は多いとはいうけれど。

しかし、ダンナ。
男性としては珍しく(今は珍しくはないのか)、酷い便秘症。
10日出ないのが当たり前だというのだ(!)
だから、腸内環境は心配といえば心配。
折角いい機会なので、名古屋市内の有名な専門病院で
検査を受けることに。

その検査が本当は一月末だったのだが、検査当日が通夜と重なって流れてしまったので(ダンナは検査準備で前々日からずっと下剤を飲んでいた為、通夜葬式とエライ目にあった 汗)今日改めて検査を組んでもらった。
キタナイ話だが、下剤を飲んでくれるのでまぁ、トイレの掃除が大変なんだよなー
これが・・(健康には代えられないから文句は言わない。)

で、先ほど無事検査は終了したらしく肛門周辺の痔と大腸の炎症があるものの、
ポリープは見つからなかったということでほっと一安心。
一応組織をとってもらったけどね。

朝から病院にいってレモン味の下剤を2リットル(!)飲んで腸をからっぽにするんだって。前にTVでやってたのを見たことあるけど、まさにその通りの方法。
その後診察台に上がるまでに17回もトイレに行ったそうだ。

大変そうだが、私も一回腸内からっぽにリセットしてみたいなーー

軽く麻酔をかけるのでカメラを挿入しても全く痛みは無かったらしい。
運転は危険なので今日はこのまま病院でお泊り。

日本人は大腸がん、多いっていいますからねぇ。
私もそのうちやるぞーー。






バタバタ

2009-02-03 12:46:46 | Weblog
先週木曜日に義父が亡くなり、週末が慌しく過ぎました。

病院から呼び出しを一旦受けたのは水曜日の昼。
このときは危ないからと呼ばれたのではなく、病状説明と血圧が上が60(!)しか朝なかったということで一応お話を、ってことだそうで
長男、長女(ダンナと義妹)が仕事で抜けられなかった為
私が病院に行って医師と話をしたのです。

「今危ないということではなくても、病状や年齢からいっても
それが今夜になるかもしれないし、まだまだ先かもしれないし
どちらにせよ確実に日々悪くなっていっているので
本人の気力と体力の問題だ」

というお話でした。
義父は10月に肝臓の癌を摘出し、手術は無事成功。
12月には元気に退院するはずだったのですが
退院二日前になって突然高熱が出て、毎日39度にまで達する発熱を繰り返し
ベッドから起き上がれなくなり、食事が摂れなくなり・・・
一月は階段を転げ落ちるように症状が悪化していきました。
手術のときから、「次の再発はもう手術は不可能」と言われていましたが
まさかこんなにすぐに再発するとは。

話の後、病室に行くと義父は目を覚ましていて
酸素マスクと、喉から食道に管を通しているので話はよく分かりませんが
確かに目が合ったし、手を差し伸べてきたので私と分かったようでした。
が、その後は意識に波があって目を開けてても呼びかけへの反応は薄く
たまに何か声を出すのですが、内容は聞き取れませんでした。
私は仕事の為、夕方5時に退出。

その日の晩、再び医師から「来てもらったほうがいい」と連絡を受け
仕事が終わった義妹とダンナは病院へ。
一旦大丈夫そうだとダンナは10時頃家に帰ってきて、それでもいつでも連絡を受けてもいいように着替えは枕元に置いて就寝。
夜中2時頃、病院に残っていた義妹から連絡が来ました。
心臓が止まりそうだ、と。
私達が駆けつけた時、モニターはすでに全て静かに一直線を描いているだけでした。

間に合いませんでした。

義妹もダンナもその日最初に病院に来たとき、すでに義父の意識はほぼなかったようでした。私がコンタクトを交わした最期となりました。

ダンナが喪主なので・・・
その後はすぐに葬儀場の手配など慌しくなりました。
病院からはとにかくすぐに出されてしまいます。
義父には帰る家がないので(生活していた場所は商売を畳んですでに売却)
そのまま葬儀場へと運ばれました。

私達も葬儀場へ移動。まずは安置した場所でお経を上げてもらい
すぐに打ち合わせ室に通され、葬儀の段取りを話し合って決めていきます。
3時、4時、5時・・・
だんだん空が白んできます。
すぐに決めなければならないことが次から次へと山ほど葬儀屋さんから出され、
本当に、悲しんでいる間なんてない!のです。

午前中に一旦喪服を取りに帰宅。昼には再び戻って「湯灌」という儀式。
遺体を洗い清めて、装束を着せ、お化粧を施す儀式です。
初めて経験しました。
大きな移動式バスタブのようなものを部屋に置き、そこに遺体を寝かせ
係の若い女性二人が頭をシャンプーしたり、体を石鹸で丁寧に洗ったりしていました。(就職すると最初にやる仕事なのかなーと思って見ていましたが)
着替えをすませ、お化粧をした義父の顔はとても穏やかな顔をしていました。
亡くなったとき閉まらなかった口もきちんと閉じられ、かすかに笑っているような顔で・・・眠っている時となんら変わりはありませんでした。
儀式を見守った人間全員で、お棺へ入れてあげて湯灌の儀式は終了。

会場のある階へ上がって説明などを聞き、あっという間に通夜の時間が来て
駆けつけてくださった人々へ挨拶をし、人がはけて静かになったらもうすでに
日付は変わっていて、そこからさらに香典の整理やら、供花をくださった方の確認やら、読み上げる弔電を選んどいて下さいと言われたり・・
一昨晩から寝ていないので、気が張っているとはいえ午前3時頃には限界が来ました。来場者を帳簿に書いているときの記憶があいまいで、ダンナ曰く、そのときの私の様子はかなりおかしかったとのことです(汗)

今のお通夜は、番をしなくても大丈夫なように、ろうそくも線香も一晩もつものを
用意してくれます。他の部分で大変だから、睡眠はとって下さい、ということらしいです。線香は蚊取り線香みたいなぐるぐる巻きのものを使います。
だから、限界の私は4時くらいには一旦寝させてもらいました。

葬儀も滞りなく終わり、喪主とならんで骨箱を持って挨拶し
お骨を拾って・・・
お葬式って子供の頃出たきりだったので
ましてや、とり行う中心として全てが初めての経験でした。

慣習や作法など分からないことだらけで
本当にバタバタしました。
まだまだ私達が若いので、失礼もあったかもしれません。

終わってもやるべきことが色々残ってます。
まだまだバタバタは続きます。

葬儀に出られなかった、そして義父が亡くなったことも恐らく分かっていないであろう義母のことも・・・・胸が痛みます。